2010-04-11

【週俳3月の俳句・川柳を読む】 石地まゆみ

【週俳3月の俳句・川柳を読む】
幸せな気分……石地まゆみ


3月の週俳を読む、をお願いします、と言われ、うかうかとハイハイ~と返事をしてしまったら、150号は川柳特集でした。川柳のことはよく知りません。人情風俗の、滑稽、風刺、機知などを読む、という一般的なこと以外には。この号の6名の川柳を読んでも、お、言うねえ…!と分かる句と、あ、全然通じない…という句とありました。私のような頑迷なアタマには、???です。

さて、よく男性陣に、オンナドモはどーして話の途中にそんなに話が飛ぶんだ!と言われます。でも私たちには「○○の話」→(頭の中で○○に関係した△×話→更に×○話)→言葉に出るのは「××ってさ…」。それが「他の話をしているのになぜ!」と男性陣。こちらの頭の中では関連付けていたり、話の途中で目に飛び込んできた「あ!△△が咲いてる!」という言葉を発してしまうだけなのです。オンナドモ同士だと、それでもビュンビュン話は続いていくのですが。

今回の川柳で、「どうしてこれとこれとが関係するのだ?」「ナゼにこんな発想が出てくるのだ?」と思うわけですが、この方たちの中では、連想ゲームのように自在に発想を飛ばしていて、決して奇抜なことではないのかもしれません。けれど、私には奇抜なことを言ってみる言葉遊びに終ってしまっているんじゃないの?という気持ちが捨てきれません。それが、川柳なのかもしれませんが。でも、オンナドモの飛んでゆく話と、それは似ているのかしら?と思ったりもします。

普段の生活では、男性陣がイラつくほど話を飛ばせるのに、いざ俳句となると、やけに真面目に、普通の句を作ってしまう私は、自由自在な奔放さがないから、「つまらない…」と言われてしまうのかしら?……なんて、暗ーくなって来たので、俳句評を。


「美らさん」で終はるしりとり春の浜  山下つばさ

「ん」と付けてしまったしりとりも、「美らさん」で終るなら楽しい。幸せな気分になります。「春の浜」の長閑さも好きです。

漬けられしハブの薄目や春の地震

地震に「春」とか「夏」とか付けて季語にするのはどうか?とエライ先生などはおっしゃるかも。けれど、壜に漬けられた「ハブの薄目」は、夏でも秋でも冬でもなく、やっぱり「春」だなあ、と思わせる句です。「ハブの薄目」も「春の地震」も、ちょっとヒヤッとする肉体感覚で合っている気がします。一連の沖縄句を読んで、夏の沖縄にしか行ったことのない私は、「春の沖縄」に行ってみたくなりました。



弥勒よりこゑの洩れたる春の山  石蔦 岳

「弥勒」「真言」「くわんおん」と、私の好きそーな言葉が並んでいるけれど、この方の句は、それらがとても身近な人のように感じられます。「弥勒」の句は、一読「山越阿弥陀」図を思い起こしたのですが、あれは阿弥陀三尊でしたね。弥勒菩薩は、彼岸に行けるのに此岸に残り、衆生を救うために手を差し伸べている、というのが私の認識。ですから、阿弥陀の声は聞くことができなくても、弥勒の声は届くような気がします。芽吹き始めた春の山は、その声と同じように私たちを幸せな気分にしてくれます。

陽炎を食うて太れる女かな

霞を喰って生きている。とは聞きますが、霞を喰うなら陽炎でも。ほぼ無職の私は、どうやって生きてるの!と人様からよく言われるので、この句をこれから返答に使わせてもらいましょうか。



芽吹山から観音の顔白し  小久保佳世子

また、ホトケ句を採ってしまいました。山の中腹に、大きな観音像が立っているのをたまに見かけます。大抵、白い観音像です。冬の枯木の中ではその白さも際立たないのですが、木々が芽吹くと、観音様にも命が吹き込まれ、春の訪れを喜んでいるようで。

桃の日の頬杖に顔乗つてをり

頬杖に顔が乗つているのは、当たり前のことなのだけれど、「桃の日」とくると、なんだか当たり前のことが、そうそう、そうなのよ、と言いたくなります。お雛様の頭が体の上に乗っている…などと関連付けると、つまらなくなるでしょうか。今日はひな祭りだなー、なんて思いながら頬杖をついている、そんなぼんやり感が好きです。




川柳作品
石 部 明 格子戸の奥 7句 ≫読む
石田柊馬 キャラ  7句 ≫読む
渡辺 隆  ゴテゴテ川柳  7句 ≫読む
樋口由紀子 ないないづくし 7句 ≫読む
小池正博 起動力 7句 ≫読む
広瀬ちえみ 鹿肉を食べた 7句 ≫読む

曾根 毅 神域 10句 ≫読む
山下つばさ 春は沖縄 10句 ≫読む
石 嶌 岳 紅 10句 ≫読む
長 田美奈子 日の本 10句 ≫読む
小 久保佳世子 雛のごとく 10句 ≫読む
山 田耕司 長崎屋桐生店地下食品売場吟行記 10句 ≫読む

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