2010-04-18

恋の平行四辺形 北陸湯けむり殺人紀行:前編 上野葉月

青春俳句小説! 斯界最長! 17万字!
恋の平行四辺形 北陸湯けむり殺人紀行 【前編】

上野葉月


待ち合わせ場所の東海道新幹線改札口についた途端、やられたと思った。

靖子がジーンズを履いていた。

大学に通っている若い女がジーンズを履いていても珍しくともなんともないが、その当たり前のことをまったく予想していなかった。当然いつものように上品な比較的おとなしい格好なのだろうと考えていたので、私もそれに合わせておとなしい服装で抑えていたのだ。それなのに、だ。ジーンズしかもローライズである。これは靖子のイメージからかなりかけ離れている。
今日ここで待ち合わせしている私を含めた三人の中にもこれを予想できた者はいないはずだ。それは断言できる。それよりも気になるのは、この意外な服装が、あろうことか似合っているのだ。もう踏んだりけったりというか。こういう場合は踏んだりけったりとはいわないのかもしれないが。
そもそもローライズのジーンズなんて、脚が長い上にウエストが明確にほっそりしているという問答無用な奴しか似合いようのない、なにやら勘違いが横行しそうな世界での出来事なのだ。それが和服の似合いそうな印象の靖子がちゃっかり可愛いく着こなしている。いかにも活動的な若い女性といった風情。そういえば、和服の似合いそうなと言いながら靖子の和服姿は写真でも見たことがない。
こちらはちょっとした事情があって母親が奮発して買ったツーピース。お嬢さん大学らしくシックに決めたつもりだが。だいたい今回の旅行は大の男がふたりも来るので重いものがあれば、持たせてしまえば良いという観測のもと、あえておしとやかな装いと相成ったわけだ。それがさらにおしとやかな装いしてくると予想された靖子がジーンズであまり大きくないディバッグを背負っており、これではまるで私が自立してない女みたいじゃないか。まあ彼女の場合、実家に帰るのだから荷物が少ないのは当然といえば当然だが。
靖子が私に気づいて、にっこり笑った。女の私でも見とれるような笑顔である。本当に困った奴。
「おはよう、香奈さん。その服、すてきね」いきなりこれだ。その上、まったく悪気がないところがニクイ。と言うか、悪気がないことがはっきりと丸わかりになる性格がおニクとでも言おうか。
「その肩のアクソン」と指差す。
「うん、ちょっと奮発しちゃった」荷物から手を離して時計の反対回りに一回転。あくまで元気な私。
「この色、何色?」
「当てたらえらい」
「ビアンキ・アジュール?」
そんな色あるかいな。
改札前には同行者が三人とも揃っている。それはそうだ。十五分前には東京駅に着いていたのに構内の書店で時間をつぶして、わざわざ三分遅れて来たのだから。
「こうやって見ると、元木さんもけっこう美人だね」志々目くんが割り込んできた。
「ほお、朝っぱらから、いきなり口説いたりするわけですか、最近の若者ときたらまったく」
「なんて言ったかな、こういう場合。馬の耳に念仏?」もうひとりの同行者が訊いた。
この神屋さんはどうもつかめないところがある。もちろん冗談でわざと言っているにきまっているのだが、もしかしたら本気で言っているんじゃないかという疑惑をどうしても消せない。
「馬子にも衣装!」志々目くんが何の迷いもなく突っ込む。
「なんなのよ、それ、そんな大きな声で自信満々に。私のどこが馬子にも衣装な訳?」あくまでも元気キャラをくずさない私。こう見えてもけっこう体力が必要だ。志々目くんは笑いながら頭を掻いている。これは真似できないセンスだ。
このとき靖子がアシックスのランニングシューズを履いていることに気づいた。しかもただのアシックスではない。懐かしのオニツカタイガーブランドである。どこで探してきたんだろうか。この辺の選択には私の影響が覗えたりする。
すこし余裕が出てきた。裏原宿あたりでひとり買い物をしている靖子というのを想像するとちょっと微笑ましいような。
「靖子、そのベルトかっこいいじゃない」ランニングシューズは置いておいて、とりあえず、靖子がつけている幅の広いベルトをほめた。今風に腰にひっかけているだけだ。
「あ、これ。これはお祖父さんのおさがり」
お祖父さんのおさがり、とは恐れ入った。もしかしたらオニツカタイガーのシューズもお祖父さんのおさがりなのだろうか。高校の陸上部で国体を目指してトレーニングしている若き日のお祖父さんというのは、ちょっとシュールだ。
「お祖父さんのって、すごいね」それにしてもウエストが細い。まいってしまう。
別に測ってみなくても私より細いことが明らかだと言えよう。なまじ身長が同じくらいなだけにこれはかなり辛いぞ。見た目にもウエストサイズと体重で勝ってしまっていったいどうする、とのんびり自分で突っ込んでいる場合じゃない。
「はいこれ」と言って、志々目くんが特急券と乗車券を差し出した。「ありがとうございます」乗車券を手にとり、志々目くんが私の荷物を持ってくれるのではないかと二秒ほど待ったが、彼はそのまま改札のほうへ歩き出した。
まったく、気の利かない男だ。こういう良くしゃべる奴に限って、自分では気が利くつもりでいるくせに実はまったくだめなんてことが多い。
改札を抜けると、掲示板ではわたしたちの乗るひかりは二十一番腺から十時二十七分発と出ている。エスカレータにたどり着くまで少し階段を上らなければならない。
「荷物持とうか」と隣にやってきた神屋さんが聞いた。
「大丈夫です」と私。
「重そうじゃない」と神屋さんは手を伸ばして私の荷物を取った。「うん重い、元木さんの質量の三十パーセント相当はありそうだ」と笑顔のまま階段を上ってしまった。
やはり志々目くんと違ってけっこう大人である。志々目くんだって神屋さんと同じ学年なのだから、口に出して呼ぶときは当然志々目さんと呼んでいるわけだが、私の脳内ではどうしても志々目くんである。高校時代の同級生となんら変わることがない印象が多分そうさせているのだろう。
一方、神屋さんはまだよくわからない。眼鏡こそかけているが、世間一般の(あるいは私の)想像する理系の秀才というのとはちょっと違う。貧弱なメガネのチビというわけではない。身長がかなりあって運動神経も悪くなさそうだ。それに落ち着いているような印象がある。性格は今のところまったく見えない。
階段の上の神屋さんに急いで追いついて「ありがとうございます」と言って荷物を取り戻した。もちろん要所要所では持ってもらうことを期待しているのだが、いつも持たせっぱなしじゃ、まるで私が自立していない女に見えてしまうではないか。
エスカレータでホームへ出ると「弁当、弁当」と言って志々目くんがお弁当のスタンドに近づいていった。
「待てよ志々目。発車までまだ時間がある」と神屋さん。
「ああ」
「荷物を座席に置いてから買いに来ても、じゅうぶん時間があるよ」と、ごもっともな意見。
「じゃとりあえず、九号車だな」
そんなやり取りをしながら私たちはホームにすでに停車していた「ひかり」に乗り込んだ。席は一五EDと一六EDで車両の真ん中あたり。志々目くんと神屋さんが一五の席を回転させ四人で向かい合って座れるように変えた。やはり男手があるのはいい。この前旅行したときは女ばかりだったのでこんなことも自分たちでやった。
荷物も神屋さんが網棚に上げてくれる。
「弁当を買ってくるけど、何にする」志々目くんが訊いた。
「僕は深川めしで」
「私は幕の内をお願いします」と言って財布から千円札を取り出した。
「いいよ、弁当代ぐらい不詳わたくしめが出させていただきます」
「いいんですか」
「うん奢るよ。もう奢り昂ぶっちゃう」
「千円ぐらいで奢り昂ぶれるなら安いものだな」と神屋さん。
「そのとおり。羽根さんは何にする」
「私も幕の内で。ありがとうございます」丁寧に頭を下げた。
「じゃあ米原で乗り換え待ちのときは、僕がコーヒー代を出そう」と神屋さん。
「米原? 名古屋で乗換えじゃないんですか」
「名古屋という手もあるんだけど、米原のほうがいいと思って」
「志々目。早く買いに行かないと乗り遅れるぞ」
「はいな」と言って志々目くんが去っていった。
周囲のひとたちがこちらを見ている。靖子と時々行動をともにするようになって一年ちかくになる。さすがに最近なれてきたが、やはりここまで人目を攫うのは気持ちいい。私たちは席についた。
「元木さんってやっちゃんと旅行するのは初めて?」と神屋さんが訊いた。
もしかした私が考えていたことが判ったのだろうか。ちょっと油断できない。
「初めてです。一緒に地下鉄に乗ったことだってそんな多くないですよ。私たち学部も違うしサークルだって違うし」
「でも元木さんって一番の親友なんだろ」今度は靖子のほうを向いて訊いた。
「私、親友って言葉使ったかしら」
「うん、親友じゃなかったな。とにかく一番仲がいいんだよね」
「ええ、大切な友達」微笑みながら靖子が言った。
どうして照れるわけでもシニカルな表情も見せるわけでなく、こういう言葉を口にできるんだろう。いつも感心してしまう。
「仲良くなるきっかけとか、そもそもなんだったの」
「入学式の後のガイダンスでたまたま隣に座ったんですよ」と私。
「それ以来の付き合いなんだ」
「何の付き合いだって?」弁当と共に戻ってきた志々目くんが訊いた。
「元木さんと大学入学以来の付き合いなんだって」
「ふーん」袋から麦茶の大きなペットボトルを出しながら志々目くんが「はい、これ」と言って紙コップも手渡す。「元木さんって確か羽根さんと学部違ったよね」と言いながら私の斜め向いに腰掛けた。
「ええ私は英文で、彼女は家政学科」
「香奈さんってすごいのよ。TOEIC初挑戦で七百五十点取ったんだから」
「へえすごいね」と神屋さん。
「TOEICって九百九十点満点のほう?」と志々目くんが訊いた。
「そうだよ」
「ねえ靖子、ちょっとやめてよ、そんな話」私は半ば本気で文句を言った。わたし達のような私立文系トリアタマ女子大生の間では悪くない成績かもしれないが、国立理系の連中を前にして出す数字ではない。
だいたい卒業までに八百五十点以上とるというのが、大学進学に際しての私と父の約束だった。これからが大変なのである。高校のころはインディーズバンドの追っかけばかりやっていて何の勉強もしていなかった私だが、最近英語だけはそれなりに勉強している。こころを入れ替えたという表現も甘んじて受けいれるつもりではあるが、この二人の前では点数は伏せておきたかった。
「麦茶なんて、志々目さん、けっこうお子様趣味ですね」私は話題を変えた。
「そうだな。新幹線ではいつも缶ビールじゃなかったか」と神屋さん。
「取り合えず、投句まではアルコールは入れないよ。選句のときは飲んでてもかまわないけど」
「トウク? センク?」
「うん。俳句を書いて出すまで」
「俳句を書いて出す?」
「あれ、やっちゃん言ってなかったの?」
「私も新幹線の中で句会をやるなんて聞いてないですよ」
「でも句会するって予想はしていただろ」と神屋さん。
「予想はしましたけど」靖子は落ち着いたものである。
「句会? 句会って何?」
「集まって俳句を詠むのが句会です」と志々目くん。
「おふたりとも俳句を詠むのですか」言葉があらたまってしまった。「だってジャズ研でしょ」
「ジャズ研究会は志々目だけ。ぼくは彼とは根津俳句会つながり」と神屋さん。
「ジャズやる上に俳句なんて」
「志々目は他にもいろんなものに手を出しているよ」
「ジャズ研の人間が俳句を詠まないとは限らないか。逆の命題は?」
「『ジャズ研の人間が俳句を詠むとは限らない』だろ」
「ふざけるなよ、社先生」
「正解は何なんですか」と靖子が訊く。
「ジャズ研の人間が俳句を詠まないと限る」
「本当に」思わず訊いてしまった。この二人とは旅行の打ち合わせで二月に一度顔を合わせただけだったが、ちょっと油断するとこんな会話を始めることは知っていた。かなりしんどい道中になりそうな予感がしてきた。
「まあ、取り合えず題を出そう」志々目くん。
「題って」
「席題といって、いくつかの言葉を決めてそれを俳句に詠み込むルール。雑詠といって特に決めないで俳句を作って投句するパターンの句会もあるけど。大抵ぼくたちの場合は席題を決めてその場で俳句をつくるやつばかりやってる」と神屋さん。
「ふたり会ったときはいつも句会するんですか?」
「いつもって訳じゃないよ。でも四人以上集まったらだいたいいつもかな」
「『句会には席題を設けるものがある』、逆の命題は?」
「いい加減にしろよ、志々目」
「題はいくつにする」
「五つぐらいでいいだろ。初心者もいることだし」
「米原まで二時間以上ある。七つにしよう」
「うーん」
「ちょっと待ってください。初心者ってわたしのこと」
「あれ、元木さん、句会やったことあるの」
「ないです」
「じゃ、やっぱり初心者だ」
「だから、そうじゃなくて私も参加するの?」
「参加してくれるでしょ。旅は道連れ世は情け」
「本当にいつも思うんだけど、志々目と付き合っていない限り、実際に人がそんな台詞を口にするところに立ち会う機会がない」と神屋さん。
「袖触れ合うも他生の縁と申しますし」
「ほんとにいつもよりかなり病状が悪化しているな、今日は。まあ、元木さん、難しいものじゃないから気楽に参加して」
「気楽にって言ったって」
「やっちゃんだって、前、いきなり参加させられたけど、別に難しくなかっただろ」
「難しくはなかったけど、簡単ではありません」と靖子。
「そうよねえ」と私。
「まあ、千里の道も一歩からとも言いますし」志々目くん。
「本当に静かにできないのかね、この男は」
ここで乗っている列車が動き出した。反対ホームの人たちがゆっくり視界を流れていく。先は長いと改めて思った。もともと靖子の実家に泊めてもらうついでに春スキーという当初の計画だったのが、行く予定にしていたスキー場が不況のあおりで三月初めにこの冬の営業を止めてしまったので、温泉にでも行こうという話に変わって来ている。それだけでも充分ひなびた展開なのに、その上俳句まで作らされるなんて。
「でも、さっき社が気楽にって言ったけど、本当に気楽に考えていいよ。ジャズのバンドにいきなり初心者がひとり混ざったら大変な騒ぎだけど、句会ではそんな心配まったくない」と志々目くん。
「でも私、俳句なんて作ったことありません」
「中学のときに、国語の授業で無理やり作らされなかった?」と神屋さん。
「いいえ」
「でも、五七五で季語を入れればいいと言うのは知ってるよね」
「はい、それはそうですけど」
「じゃ、大丈夫だよ。それだけでじゅうぶん俳句だから。あとは『や』とか『かな』とかつけると俳句らしくなる」
「でも『や』とか『かな』をつけるにもルールがあるんでしょ」
「ルールか。ルールはない」と神屋さん。
「ルールではないけど、何かしらのものがあるよな」と志々目くんが笑う。
「何もないと断言したいのは山々だけど」しばらく考え込んでから神屋さんが答えた。
「まあ、よく見る例は季語のあとを『や』で切るやつとか。『山吹や句会始まる新幹線』というような感じで、季語プラス『や』で始めて最後名詞で終わらせるのが、ありがちと言っていいような」と志々目くん。
「でも、山吹と新幹線って何の関係もないじゃないですか。全然似てないし」
「おお、いきなり俳句の根幹にかかわるような鋭い意見が」と神屋さん。
「似ていたら、かえって俳句にならない。むしろ関連性を排除した場所に季語が屹立してこその、俳句であるべきなのかな」志々目くん。
「ちょっと自信なさそうだな」と神屋さん。
「少なくとも山吹じゃなくて、『木蓮や句会始まる新幹線』だったら、新幹線が白木蓮に似ていると取れないこともないので、『この句はちょっと』ということになると思う」
「山吹で救われていると」
「そこまでは言わないが、いずれにしてもこれから楽しい句会が始まると言うのに、堅い話はナシにしたいな、正直なところ」と志々目くん。
「私がいけないっていうんですか」と私。
「いや、そういうわけじゃなくて」
「じゃ、どういう訳なんです」
「どうも、こうも、とにかく五七五で季語が入ればいいの」と志々目くん。
「五七五にきれいにまとまらなくても良いよ。季語も無理しなくても」
「社、いつもと違って、優しくないか」
「ぼくはいつも通りだよ」
「このあいだ、無季の句を出したら、めちゃくちゃ叩いただろ」
「あれは無季だからじゃない。単に俳句として出来が悪かった。ついでに言わせてもらえば、『句会始まる新幹線』じゃ季語が『木蓮』でも『山吹』でもひどい句であることに変わりはない」
「こうだもんな」と靖子の方を見て「社ってこういう奴ですよね」
「はい。ええ、まあ」靖子がどうにでもとれるような返事をする。こういう奴なんだかどういう奴なんだか、さっぱりわからない。
「じゃあ、題は七題でいきましょう」と神屋さん。
「本当に始めるんですか」と私。
「往生際が悪い。羽根さんなんて辞書まで持ってきてる」と志々目くんが靖子の電子辞書を指差した。
「靖子はいつもあれを持ち歩いてるの」
「元木さんにはこれを貸してあげよう」と志々目くんがバッグから取り出した文庫本を差し出した。手にとると角川文庫で第四版俳句歳時記春の部とある。
「私、そっちの大きい方がいい」と志々目くんが持っているもうひとつの厚い本を指差した。
「でもこっちは春だけじゃないから、かえって使いにくいよ」
「自分だけ大きいのを使って、人にはこんな薄っぺらなものを渡すなんて、変じゃない」
「変じゃないよ。もう。かなわないなあ」と言って、その厚い本と文庫本を取り替えてくれた。なかなか素直である。
私だってすき好んでこんなことを言っているわけじゃない。なにしろ靖子がキャラクタ的にこういうのに向かないから、ついふたり分がんばってしまうのだ。私だって靖子のように黙ってニコニコしているだけでいいならそうするが、この先、金沢まで五時間もあるのだから、誰か騒がしくしなきゃお通夜のような雰囲気になる可能性のあることだって一概に否定できない。状況が許せば当然おとなしくしている。その方が楽に決まっている。
渡された厚い本は合本歳時記という表題がついている。出版社は同じく角川書店。
「じゃ、それぞれ題を出して」と神屋さん。
「ちょっと待ってください。本当に私、まったくの初心者だから、自分がこれから何をやるのか全然わかってない」
「俳句を作って出すことになります」と志々目くん。
「だ、か、ら、その手順をとりあえず説明して欲しいんですけど」
「そうだね。具体的な作業を順番にとりあえず説明しておこう」と神屋さん。「まずこれからやることは、俳句に詠み込むことを想定して七つの言葉をみんなで考える」
「七つの季語を選ぶんですか」
「いや別に季語じゃなくてもいい。単語じゃなくても例えば新幹線の線という文字ひとつでもいいし、みんなが知っている言葉だったら外国語でもかまわないと思う。年配のひとがいるところでそういうことをやると嫌がられたりするけど、今日は若いのばかりだし」
「若くて美しい女性複数名を含む若者数人と言って欲しいです」
「魅惑的で美しいお嬢さん複数名を含む若者だけの集まりだから、外来語も外国語もありということで」
「何度も言うようだけど、やっぱり今日の社って親切じゃないか」
「何度も言うようだけど、ぼくはいつも通りだよ。それより志々目の方が明らかにハイになっているような気がする」
「長い間、風邪でまいっていた後で、病み上がりだし。ハイと言えばハイかな」
「そういえば今日は咳きをしてないな」
「二月に会ったときは咳きをしてましたね」と私。
「あのころからずっと調子が悪かった」
「ほんとに風邪なんですか。新型インフルエンザとか」
「はは、そうかもしれない。志々目は上海出身の友達も多いし」
「広東人の知り合いは多いけど、最近里帰りした奴はいないよ」
「でも、志々目の友達がまたその友達の最近里帰りした人間に接触している可能性は捨てきれない。というよりじゅうぶん可能性はあるんじゃないか」
「でも新型インフルエンザって日本にまだ上陸していないんでしょ」と靖子。
「といっても合衆国やメキシコや中国とこれだけ行き来が多いご時勢だから、上陸していないなんて考えにくいことはたしかだな」
「それはそうだが」
「だいたい要はインフルエンザなんだから、栄養不良かなにかで弱っていて死んだりしないかぎり、精密検査でもしないと判明しないんじゃないか」と神屋さん。
「インフルエンザって風邪なんですか」と今度は私が訊く。
「風邪って発熱や怠さを伴う感冒症状一般のことだからインフルエンザも風邪と言えば風邪の一種」と志々目くん。
「インフルエンザなのにどうしてみんなあんなに騒ぐんだろう。死者の数だって数十人程度だろ。毎年インフルエンザで普通にもっとたくさん死んでいるはずだよ」と神屋さん。
「やっぱり新種というのが人目をひくんだよ。新種のウィルス、人類滅亡、おきまりのパターンだけど、やっぱり説得力が違う」
「そうか?」
「戦争の怖さや経済危機とは明らかにインパクトが違う、病気の場合」
「そうか? 戦争の方が風邪よりよっぽど怖い」
「いや、やっぱりウィルス系の病気の方が致命的だよ。二十世紀は言わずと知れた大戦争の世紀で、かつて考えられなかったほどの膨大な戦死者や難民や餓死者を出した前代未聞の言わば狂気の世紀で、実際に核兵器すら使われた訳だけど、人口は増える一方だった」
「なるほど。それが病気とどう関係する」
「別に二十世紀に限らず、人間の数はここ数千年間ずっと右肩あがりだったことは判っているんだけど、唯一例外的に人口が減少した一時期があるんだ。十五世紀。何故だと思う」
「ペスト?」
「さすが社先生。正解。全力をあげて人が殺しあっても人口を減らすことは難しいという状況があるにもかかわらず、一方で強力な伝染病ならかなり広い地域の人口を半分にしてしまうことだってある。それぐらい病気というものは人を根絶やしにできる。例えばアメリカ合衆国の建国に際して騎兵隊が原住民を殺しまわったような印象があるけど」
「あるかあ?」と神屋さん。私もその印象にはそれほど一般性がないような気がする。
「あるよ」と志々目くん。「ともかく、インディアンと呼ばれたアメリカの原住民はだいたい大西洋を渡ってやってきた伝染病がもとで激減したんだ」
「生物学科ってそんなこともやるのか」
「そんなことって」
「人間の数は数千年間右肩あがりだったとか」
「うーん、その辺になると、むしろ趣味の範囲かもしれない」
「お前の趣味に付き合っていると、ほんとにきりがない」
志々目くんって生物学科の学生だったのかと私は思った。単に理系の学科というところまでしか把握していなかった。四回生という話だから、就職先はどこですかと訊いたら、あっさり進学ですと答えたのが印象的だった。国立理系の四回生の場合、半数以上が修士課程に進学するということは二月に彼らに初めて会うまでまったく知らなかった。どっから見ても軽薄な若者という感じだが、四月から生物学の大学院生となるわけだから、将来はトマトとジャガイモの合いの子の自分で畑を耕したりする自走式野菜かなんか開発してノーベル賞を取ったりするのだろうか。
「すみません、句会の手順はどうなったんですか?」私は歳時記を顔の前に持ってきて神屋さんに訊いた。
「あ、そうだった。えっとどこまで話したかな」
「題は別に季語じゃなくてもかまわない」
「そうそう、外国語でも外来語でもOKというところだった。今日は七題みんなで出し合って、その言葉を読み込んだ俳句を全員で作る」
「一人当り、七つ俳句を作らなければいけないんですか?」
「この句会の場合、七つじゃなくてもいいよ。席題の言葉が含まれているなら、十個でも二十個でも。厳密に一題に対して一句という決まりでやる句会もあるだろうけど」
「いえ、七つも作れませんよ私」
「米原に着くまでまだ二時間以上あるよ」と神屋さん。
「米原に着くまでに作るんですか」
「米原までに作った俳句をこの短冊に書いて出して」と志々目くんがバックから取り出した紙の束を差し出した。見ると片面にはどうもスクリプトというのだろうか、コンピュータ用のプログラムをプリントアウトしたような文字が並んでいる。使用済みコピー紙を細く切ってたばねたもので、いかにも不景気な感じ。学生らしい倹約の態度に好感を覚えるべきなのだろうか。しかし短冊と呼ぶには違和感がある。
「米原での待ち時間に俺がセイキしておくから、『しらさぎ』に乗りかえてから選句しよう」
「志々目やっぱり今日はハイだな。自分からセイキを申し出るなんて」
「セイキ?」
「なんか元木さんが言うと、ズコズコばこばこ、音がしそうだね」
若い女を見たらズコズコばこばこしか考えないのはお前の方だろ!
とは思ったが言わなかった。高校のころだったら、すかさず口に出していたことだろう。私も大人になったものだ。
「志々目、お前なあ、なんというかやっぱり色々考え直すべきだよ。下品な人柄はおのずとかもし出されているんだからわざわざ自分で宣伝しなくても。どっちにしろあと百年ぐらいは結婚をあきらめた方がいいな」と神屋さんが言った。批難しているというよりどこか慈悲が感じられる。
「ズコズコばこばこは下品か? 俳味があるような気がするけど」と志々目くん。「夏草やズコズコばこばこ音がする」
「夏草のズコズコばこばこ鳴りにけり、の方がまだ俳句らしい」
「それ以上ばこばこ言ったら私、新横浜で降りて帰ります」
「元木さんが帰ることないよ」と神屋さん。「志々目に帰ってもらうから」
「わあわあ、もうしません。ごめんなさい。反省してます」
「お前の反省ってのが、これがまた」神屋さんがそういっているとちょうど列車の速度が緩みだし、新横浜のホームが見えてきた。
「音のことはいいですから、セイキって何なのか教えてくれませんか」
「ああ、ごめんなさい」と神屋さん。「セイキっていうのは、清書することです。清書の清に記入の記。短冊で出された俳句を改めて一枚の紙に書き写して誰が作ったか筆跡から見分けられないようにするんです」
「どうしてですか」
「筆跡で誰の作品か判ると、選ぶとき判断が狂うでしょ」
「選ぶときって」
「俳句、というか句会というものは選ばれてからが問題だと言えるんです。もういちど初めから順序だてて説明した方がいいな」と神屋さん。
新横浜に着いたので乗り込んでくる乗客がけっこういて、通りかかると必ずと言ってよいほど靖子の方をちらちら見る。志々目くんは落ち着かないようだが、神屋さんは靖子と古い付き合いのせいか慣れているようだ。
「句会っていうのは複数の人間が集まって俳句を作るだけじゃないんだ。まず題を決めるなりして、各自俳句をいくつか作ったら、それを集めてひとつまたは複数の紙に清書する。これがさっきも話に出た清記。それから清記された俳句をみんなで読んでその中から、良いと思ったり気になったりする俳句を各自がいくつか選ぶ。その選んだ俳句について時間があればそれぞれの意見を交換し合うのが句会だと言ってもいい」
「いくつ選ぶんですか」
「場合による。今日は四人だから五六句ってところから。今日のところは別に厳密に決めてやるつもりはないけど」
「選んだ句について、何か必ず言わないといけないんですか」
「そんなに堅苦しく考える必要はないよ」
「たくさん選ばれた人が勝ちって訳なんですか」
「勝ちなのかな」
「勝ち負けで言えば、点数を一番集めた句が勝ちだよな」と志々目くん。
「句会がゲームだとすれば、得点が多い句の勝ちということになるだろうね」
「でも、点を集めた句が一番出来がいいとは限らないぞ」
「句会では、とにかく選句してもらわないと何も始まらないけど。とりあえず、あらためて順序を纏めると、俳句を作り、集めて清書して、みんなで読んで選んで、それぞれ意見を言うということになるわけです」と神屋さんがこちらを向きながら言った。
「初心者でも意見を言わないといけないんですか」
「意見って言っても堅苦しく考えなくていい。単に好き嫌いでいいんだから。俳句結社での句会は場合によって先生がここが良い悪いと言って直してくれたりもする場合があるけど、ここは単なる句会だから、思いついたことをその場限りの感想をして口に出すだけだから。志々目、お前だけはちゃんと考えてくだらないことを口にしないようにしろよ」
「はあい、わかりました、社先生。ほんとに女の子にばかり優しいんだから」
「女の子に優しい訳じゃない。お前に優しくする気になれないだけだ」
ここで靖子が可笑しそうに笑った。私もつられて笑ってしまった。
「手順の説明もすんだので、題を出そう」と志々目くん。
「じゃ、『旅行』」と神屋さん。「やっぱり旅行じゃなくて『行』にしよう。旅行の『行』、行進の『行』、行くという字」
「ほら、早いもの勝ちだよ」と志々目くん。
「じゃあ、『勝ち』」と私。
「羽根さんは」
「『レール』」と靖子が答える。
「じゃあ俺は『風呂』」と志々目くん。
「あと三つだ」と神屋さん。「『花曇り』」
「おっと、季語が出たな」
「『おぼろ月』」歳時記の目次の春のところを眺めていて、目についた言葉を言った。五音の季語が決まっていれば、あと七五付けるだけだから初心者の私でも出来そうだという計算である。
「だいぶ句会らしくなってきたね」
「あとひとつだよ、ひとつ」志々目くんがテキヤのような声を出した。にぎやかである。新幹線の車両内では、いくら靖子の前だからといっても駝鳥のように求愛の踊りを始めることもできないのでこうやって騒がしくするぐらいしかやりようがないわけだが。
「志々目出せよ」
「羽根さんもひとつしか出していない」
「やっちゃん、何かある」
「そうですね」靖子はノートから顔を上げてしばらく考えてから答えた。「『弟』」
「じゃ米原に着くときまでに短冊に書いて出して」
「やっぱり、もう一つ出そうよ」と志々目くん。
「どうして」と神屋さん。
「七つというのは縁起が悪い」
「なんでラッキーセブンっていうじゃない」と私。
「それはUSでのことだろ。しかもベースボールの話だ。日本じゃ昔から七は縁起が悪いの」
「本当か?」
「本当だよ。十までの自然数のなかの素数で自らの倍数が十までの自然数に含まれていないのは七だけだ。孤独なのさっ」
「それと縁起の悪さって関係するのか」
「多分。関係しない」
「笑っている場合じゃないだろ」
「とにかくもう一つ増やして八つにしよう」
「そこまでいうなら。末広がり縁起の良い八にしよう。元木さん何か出して」と神屋さん。
「私もう二つ出しましたよ」
「でも、やっぱり女性に花を持たせる意味で」
「じゃあ。『日向』」
「『日向』か」神屋さんはちょっと難しい顔をした。「じゃ、それで行きましょう。行、勝、レール、風呂、花曇り、朧月、弟、日向の八題で米原までに」
「うむ。とりあえず飯にしよう、飯」
「まだ早いだろ」
「朝飯食ってないんだ」
「本当にしょうがないな。一人旅しているわけじゃないんだから」
「私もお腹がすいたから、お弁当にしましょう」いつの間にか出していたノートをしまいながら、靖子が言った。志々目くんを見かねて助け舟を出した訳ではない。靖子の場合、見かけによらず(まさに文字通り見かけによらず)よく食べるのだ。多分、量にして一日トータルすると私の倍近く平らげるのではないだろうか。まるで食べることで、その美貌を保っているかのごとくである。霞でも食って生きているような顔をしているくせに。その上ウエストが細いのだから、ほとんど謎の生物である。
「じゃ食べましょ」私は紙コップを取り出してみんなに配った。麦茶用である。志々目くんは弁当を配り始めた。
新幹線で向かい合っての四人掛けだと、ものの置き場所があまりない。弁当の置き場所を各々のやり方で確保しながらの食事開始。

食べ始めてすぐ神屋さんが話題を振ってきた。
「そういえばこの間、志々目の言ってた『円のプリンスたち』を読んだけど、あれっていわゆるトンデモ本じゃないのか」
「どの辺りがトンデモなんだ」
「ほら、あの本って要約すると、日本経済を左右しているのは日銀出身の数人の日銀総裁で、昨今の不況も、単に日銀が各銀行に対して貸し渋るように窓口指導しているのだけが原因だってことじゃないか。しかもなんでそんなことやっているか理由はわからないという話。まさかそんな単純な原因で十年以上も大不況がつづくか」
「いや、通貨の供給量は銀行の活動次第だというのは、経済の初歩だよ」
「通貨の供給量だけで、景気不景気が左右されるわけなのか。しかも日銀がどうしてそんなことをしているのか理由がわからないってことだし」
「何とも言えないな。それこそ専門ではない」
「僕よりは詳しいだろ」
「志々目さんって生物学科なんでしょう」と私が訊く。
「でも志々目のオヤジさんって外資系の銀行でディーラーしてるから、門前の小僧で金について詳しい」
「社センセの方が最近、立て続けに経済本を読んでないか」と志々目くん。
「僕の場合は、青木雄二関連ってだけだから」
「青木雄二のエッセイ読んでると、彼の経済学の知識ってマルクスだけだってところが印象的だよな」
「そう、しかも多分資本論だけしか読んでない」
「青木雄二って誰ですか」どちらともなく訊いてみた。
「ほら、『ナニワ金融論』のマンガ家」と神屋さん。「ああ、あの人」と答える。と言っても絵柄が思い浮かぶだけで、読んだことはない。
「そう、あのマンガ家さん。いかにも現場主義者ってイメージだけど、自称マルクス主義者なんだ」
「それで、神屋さんの言ってたその『円のプリンス』もマルクス系の本なんですか」
「いや、あれはドイツの政治学者で現代日本の専門家の書いたものなんだけど、特にマルクス系の人ではないと思う」と言って、神屋さんは弁当の中の漬物をつまんだ。
「たぶん僕が不勉強なせいなんだろうけど、今まで通過の供給量は政府が決めているものだという印象があったから、あの本に書いてあることがどうもしっくりこない」
「あの本にだって日銀がすべて決めているって書いてあるだろ」と志々目くん。
「でも厳密にいえば日銀は政府から独立しているじゃないか。特殊な存在だけどいわば一企業だし、その日銀だって非公式に"指導"するだけで、実際に貨幣を供給しているのは民間企業であるそれぞれの銀行ってことになるじゃないか」
「それは日本だけじゃなくてどこの国でもそうだ」
「そうなんだよ。その辺がひっかかりのもとで、子供のころから漠然と造幣局でお金を刷っているから、必要になったら増刷しているような印象のままで来たから」
「でもお金って造幣局で刷っているでしょ」つい口をはさんでしまった。お金のことなのでおとなしく聞いていられない。「私も必要な分刷っているんだと思っていた」
「この辺は確かにわかりにくいな。俺だって専門じゃないから上手く説明できる自信はないけど、要するに世の中で流通しているお金の量は銀行が貸し付けるお金の量によって決まってくるわけだ。確か"信用創造"とかいう用語を使うんじゃなかったか」
「あの本によると、銀行が企業に貸し付ければ貸し付けるほど、世の中の通貨の流通量が多くなるような書き方だったけど」
「それはあの本に限らず、一般的な見解じゃないか」
「素人考えなのかもしれないけど、銀行が企業にお金を貸せば、企業に行った分の金が当然銀行の金庫から減っていくわけじゃないか」
「考えてもみろよ。帳簿上に書き込まれるだけで、実際に現金が動いているわけじゃない」
「口座に振り込まれるということは、通帳の数字がかわるだけだと理解して良いわけなのか」
「うん。まず現金が動くわけじゃないことをよく押えておいて。それにもかかわらず、借りた企業の口座はプラスになる。そして貸した側の銀行も債権として帳簿上は同じだけ財産が増える勘定になる」
「現象としては二重にお金が発生したことになるのか」
「それだけじゃない。当然取引先や従業員の口座にも影響がでる。貸し付けられることによって発生したお金は、取引先に流れたり、従業員の口座に流れたりする。取引先への支払いは当然この企業のメインバンクの口座を利用するだろうから、ここでも帳簿上の数字が書き換えられるだけで現金は動いていない」
「言ってることがよくわからない」私は真剣になってきいた。俳句のことなんかはともかく、ここの話題はよく理解したい。
「どの辺から説明した方がいいかな。個人消費のように現金でやり取りされるお金の流通は経済全体からすれば限られた範囲で。ここまではいい?」
「はい」
「一方、経済全体に影響するような規模の大企業間の取引は主にその企業のメインバンクの口座から引き落とされ同じ銀行の取引先の口座に振り込まれる。大きなお金の流れっていうのはだいたいこんな形をとるわけ。ということは実際には銀行券いわゆる現金は全然動いてなくて、企業Aの口座上の残高をたとえば十億円へらすのと同時に企業Bの残高を十億円増やすという数字の書き換えが行われているにすぎない。実際には現金、銀行券が動いているわけじゃなくて、ほら時々いる銀行の制服が良く似合って一見地味な感じなんだけど制服を脱ぐと実は私すごいんですみたいなお姉さんが端末に数字を打ち込んでいるだけなわけだから」
「でも銀行の制服ってある意味けっこうすごくないか」
「でも基本として地味であるだろ」
「でも口座のデータを打ち込むだけって言ったって、いつかはその口座からお金を下ろして使うわけでしょ」話がいらん方向へ逸れて行きそうなので、私は慌てて質問した。
「確かに口座からお金をおろせばその時点で現金は必要になるけど」と志々目くん。
「そういう個人消費は何度もいうようだけど、経済全体のお金の動きから見ればこの場合問題にしなくていい。実際は大銀行から大融資を受けているのは大企業だけで、まあ住宅ローンなんか数千万だけど利用しているのは百万単位の消費者だから全体としてはかなりの額か。まあ住宅の購入資金を現金で用意して机の上に積み上げたりする人もたまには居るかもしれないけどそういうのは例外だし。通常は個人の住宅購入だってやはり住宅ローンを設定した銀行の口座から不動産会社の口座に振り込まれる場合がほとんどで現金は動かないし。さっきも言ったように企業間の取引はお互いの口座振込みだし、発注元の企業はメインバンクから融資を受けていて取引のある企業も十中八九同じ銀行の口座を持っていてその口座に対して振り込んでもらっているのが常態であって、現金としてのお金の動きのほとんどは、というか問題になってくるような大きな金額の動きは同一銀行内の単なる帳簿上のプラスマイナス、要するにさっきも言ったような電子データの入力だけだから。それにその融資を受ける会社の従業員だって給与振込み用の口座は当然メインバンクに用意してあって、同一銀行内の企業の口座のデータがマイナスになった分従業員の口座がプラスになるだけだから、単なる帳簿上の数字の動きでしかない」
「網タイツのOLさんが打ち込んでる?」と神屋さん。
「OLは網タイツは履かん。当然、黒いストッキングかなんかで」
「当然?」
「いや、なんとなく黒がいいかな、と。グレイでもいいけど」
「やっぱりミニスカートなんでしょうか?」
「いやミニスカートとは限らない」
「志々目さんの女性の服装に関する趣味はとりあえず後回しにして、お金ってどこで生み出されているかの方の説明を続けて欲しいのですが」と私。
「元木さんにとってはたいそうな問題じゃないかもしれないけど、志々目にとってはOLさんは一生を左右する重大な課題なんだ」
「一生は左右されんと思うが」と志々目くん。
「でも去年の今頃は修士課程に進むのはやめて、丸の内の会社に就職活動しようかって真剣に悩んでいただろ」
「どうも丸の内は無理だってことがすぐ分かってあきらめたけど。あるのは筑波の研究所とか群馬県の工場勤務とかそんなんばかりで」
「なんで丸の内なんですか。よくわからないけど、神屋さんたちの大学の人って霞ヶ関にばかり行くような印象がある」
「文科の連中には多いだろうけど、いずれにしろ志々目の場合はお父さんが許さないだろう」
「どうして」
「確かにありえねえ。うちの父親はなにしろ公務員嫌いで、もし俺が役所に入ったら、怒るだろうな。ほとんど無政府主義者と言っていいぐらいだから。別に職業の選択は自由だし、親子の縁を切られてもかまわないけど」と志々目くん。
「それで丸の内なんですか」
「いや志々目の場合、高校時代西日暮里の学校に通うのに毎朝京浜東北線で満員電車に揺られているうちに、東京駅方面のOLさんなしでは生きていけない身体になってしまったのだった」
「京浜東北線って、志々目さん実家はどこなんですか」
「南浦和。今じゃ、さいたま市っていうか」
「さいたま」
「そう、彩のくに、埼玉」
なるほど、そういわれてみれば、この志々目くんはどこからどこまで彩の国な感じである。
「そう、それで丸の内の会社に勤めてきれいなOLさんにかこまれながら仕事して、3年以内には同僚の埼玉美人のOLさんと結婚して川口の築5年ぐらいのマンションを買って住むのが、志々目の野望なんだけど」と神屋さん。
埼玉美人という言葉は耳慣れないが、確かにそういう感じの人は実在しそうだ。「それじゃ、志々目さんにとって、私なんか全然アウトオブ眼中な訳ね」
「そりゃ、埼玉美人じゃないけど、元木さんだったらいつでもウエルカムです」
「ところで。やっぱり私よくわからない。銀行がお金を貸すと、まるで何もないところからお金が生まれてくるみたいに聞こえるけど」
「うん、ある意味そういう理解でかまわないと思う」と志々目くん。
「それってサギじゃん」と私。
「詐欺もなにも、近代の貨幣経済ってそういう風に動いているものだから」
「志々目はそういうけど、やっぱり違和感があるよ。日常的に感じられないというか。銀行は自分の金庫にある金を貸しているわけじゃっていうのは。経済の分野では常識なのか」
「うーん。信用創造という言葉があるぐらいだから常識と言っていいのかな」と志々目くん。
「ある銀行がある企業に投資した場合、銀行側に債権が増える分を除外して考えても、通貨の流通量は投資額の二百パーセント程度増加すると考えるらしいから」
「なんにもないのに銀行の担当者が投資を決めるだけで、お金が発生しちゃうってこと?」と私。
「なんにもないは言いすぎだよ。事業や事業計画や担保もあるわけだし」
「事業や事業計画なんて、なんていうか実体がない。約束事の集合体、単なる情報だと言っていいだろ」と神屋さん。
「お金だって単なる情報だよ。約束ごとだもん」と志々目くん。
「なるほどね。いや、ちょっと待て。じゃあ、現在流通しているお金ってみんな元を正せば誰かの銀行からの借金な訳か」
「その理解でかまわないと思う」
「じゃあ、何度も念を押してしまうけど、国じゃなくて、銀行という私企業がお金の流通を生み出しているって」
「私やっぱり納得できない」私は幕の内弁当のシュウマイを咀嚼してから言った。話に夢中だったのでまだ弁当が半分以上残っている。「靖子、理解できた」
「え、よくわからない」靖子はもう食べ終えている。わからないというより、興味がなくてまったく話を聞いていなかったようだ。相変わらずマイペースな奴。
「世の中のお金は元々銀行の担当者が貸し出すって決めた分だけ世の中に出て、さっきこのお弁当を買ったお金だって、もともとは誰かが銀行から借りたものなんだって」
「そうなの?」
「どうしてそんな冷静でいられるのよ」
日ごろから憎からず思っているお金がそんないい加減なよくわからない出自だったなんて話を聞きながら、私はとても冷静に弁当なんて食っていられない。でも靖子にはそんな気持ち理解できないのかもしれない。
「元木さん、ずいぶん熱くなっているね」と神屋さん。
「お金のことで興奮しないで、何に興奮するんですか」
「うーん、たとえば俳句とか」
「俳句で興奮する人なんて見たことがない」
「志々目なんていつも興奮してるよ。もっとも彼の場合大抵のものには興奮するけど」
「OLさんとか、黒いストッキングとか」
「それは九十七パーセント以上の確率」
「また人を万年発情男のように」
「あれは誰が言ってたのかな。セイシンさんかな、志々目のこと『結婚からもっとも遠いところにいる男』って言ったの」
「ああ、セイシンさんだよ。『志々目が北極点めざして進んでいたら結婚相手はきっと南極でペンギンの観察をしている』ってヤツだろ」それから私のほうを向いて説明した。「セイシンさんてジャズ研の先輩で三十ぐらいの男性」
「セイシンさんってどんな字書くんですか?」
「清い神、神さまの神って書いて清神」
「変わった名前ですね」
「うん」
「それで、志々目さんが東海道新幹線に乗って西に向っているときは、結婚相手はどこにいるんですか」
「ガラパゴス諸島あたりでイグアナの観察でも」と神屋さん。誰か特定の人物を想定しての冗談なのだろうか。
「なるほどね」と志々目くん。「そういえば、羽根さんって苗字も珍しいよな」
「そうよね」と私。
「古くから続いている家なんでしょ」志々目くんが靖子の方を向いて訊く。
「一応、鎌倉時代ぐらいまではさかのぼれるらしいですけど、それより前のことはよくわからないそうです」
「そりゃ、まさしく旧家だ。でも羽根って珍しくないか。古い家って近藤とか遠藤とか藤の花がついていたり、そうじゃなきゃ橘とか安陪とか式神でも飛ばしそうな名前とか。そうだ、羽衣伝説とか家に残ってないの?」と志々目くん。
「羽衣伝説?」
「昔、ご先祖さまが天女の羽衣を隠して、無理やり嫁にしてしまったとか」
「ありませんよう」さすがの靖子も表情をくずして笑い出した。
「お前、またすぐに自分の趣味に走る」と神屋さん。
靖子の容姿は南浦和の多感な青年のオトメチックな心をいたく刺激するようである。
「だって、羽根とかいうと」
「その無理やり嫁にするって発想は志々目家独自のものだろ」
「またすぐそうやって。でも羽衣じゃなかったら鶴の恩返しとか」
「おまえねえ…」
「昔はハニという名前だったそうなんだけど、泥臭い名前を嫌って江戸時代に苗字改名を願い出て羽根に変わったとは聞いています」
「へえ、苗字改名を願い出て。すごいな。幕府に願い出たの」
「ご領主にでしょう。前田さまに」
「すごい」と思わず私も言ってしまった。どこがすごいのかわからないが、なんとなくすごい。「でも、ハニって名前、泥臭いの?」
「埴輪のハニだよ」と神屋さん。
「ハニって泥臭いかしら」
「ようわからん」と志々目くん。
「そういえば、うちの年寄りたちは、いまだにハニって発音するな。ハニの家とか。やっちゃんのこともハニのお嬢さんだから」
「ハニのお嬢さん!」
「そう言われると僕の場合、土偶みたいなものを連想してしまうけど」
「靖子で土偶を連想するのは簡単ではないでしょ」
「ハニが泥くさいかあ。そういえば社は羽根さんの親戚って話だけど、またいとこだったっけ」
「僕のお祖母さんのひとりが羽根家の先々代と兄弟だから、ええっと、はとこになるのか」
「でも羽根のお祖母さんは慎一郎さんのお母さんのいとこにあたるはずだから」と靖子。
「そうそう、そっちの方から辿ると僕がやっちゃんの『またいとこ叔父』とかなんとかになるんだよ」
「わかったわかった、どっちにしろ遠いような近い親戚なんだな」
「ハニって泥臭いですか」
「まだ言ってる」と神屋さん。神屋さんも弁当を片付け始めている。まだ食べ終えてないのは私だけだ。お金の話に夢中で食事がはかどらなかったなんてあんまり外聞のよい話ではない。
「そういえば鶴の恩返しの話はないですけど、南北朝のころうちに篭城した武士がうちに敷地で討ち死にしたとかで庭の隅に祠があります」靖子が思い出したように言った。
「へえ、それは南朝側の武士団なの?」志々目くんが眼を輝かせて訊いた。
「それはちょっと思い出せません」靖子は助けを求めるように神屋さんの方を見た。神屋さんは少し暗い表情で何も言わない。
「ちょっと思い出せないの。それは浮かばれん話だなあ」
「そうですね」困った顔もせず靖子は応えた。「そのことでいまだに色々なことを言う人もいます」
「色々なことって」
「羽根の家では若くして死ぬものが多いとか」
「本当に? その討ち死にした武士って八人で八つ墓様と呼ばれているとか」志々目くんが嬉々として訊いた。本当に見かけどおり鈍感な奴である。人相の悪さに実に良く似合った気の効かない質問。人相が悪いというより犯罪者顔とでも言うか。若い女の子の中にはこの手の顔を美形っぽいと感じてしまうアホなのもいるかもしれないが、幸いなことに私はそこまで人を見る眼がないわけではない。
「たしか二十何人かだったと思います。そうそう今思い出しました。南朝側の人たちだったそうです」靖子は屈託がない。実際まったく気にならないのかもしれない。無敵!
という印象を捨てることは難しい、この靖子に関しては。靖子のお父さんが亡くなってちょうど一年のはずだ。お母さんはもっと前、靖子が小学生のころ亡くなったと聞いている。志々目くんがそういった事情をまったく聞き及んでないとは思えない。私だったら志々目くんを睨みつけているところだが、靖子はすくなくとも表面上まったく気になってないように見える。靖子はまたいつのまにかノートを広げて何か書き込んでいる。金融の仕組みについてノートを取っているのでもなければ家系図を書いているわけでもなさそうだ。すっかり忘れていたが、どうやら俳句を作り始めているらしい。
「志々目って親戚なんてものに縁がないからな。よくわからんだろうけど。まあとにかく着いてしまえばわかるよ。村中が親戚同士みたいなところだから」と神屋さん。
「でも金沢ってけっこう大きな町じゃないか」
「だから、その金沢から自動車で一時間なんだって」
「どうも想像がつかない」
「高校時代バスで通学していたんだけど、毎朝乗り合わせる全員が全員、名前と顔が一致するどころか、お互いの家族構成から勤め先や学校の成績にいたるまで、なんでも知っていたものだよ」
「何人乗りぐらいのバス」
「二十人乗りぐらいのバスに十人程度。七時台八時台に二本づつ。いまだに東京でバスに乗っても知り合いにひとりも会わないのが不思議で。あのバスだけでもじゅうぶん幻想的な街だよ、東京は」
「幻想的な街か、さすが俳人は言うことが違う」
「すぐまぜっかえす奴だな。そういえば、元木さん。短冊だけ渡されたって俳句をいきなり書き付けるのは難しいだろうから、ノートを寄付しよう。新しいのまとめ買いしたから」と神屋さんがノートを取り出した。
渡されたノートはなんの変哲もない大学ノートだったが、開いてみると縦書きである。
「いいんですか。ありがとうございます」
「わあわあ、優しい社ってほとんど社じゃないみたいだ」
「本当にやかましい奴だ」
「照れてるの。や、し、ろがテレテル」
私もやっと弁当が終わったので片付けて、志々目くんに網棚の荷物をとってもらいボールペンを取り出した。といっても何も思い浮かばない。五七五にすればよい事ぐらいわかっているが季節感なんてものとは縁がないので、どうしていいかさっぱりわからない。誰がために鐘はなるなり法隆寺みたいなパロディのようなものだったらけっこう思いつくけど。
「どうしたの元木さん、ぼんやりして」
「ちょっと、お金のことを考えていて」
「まだ銀行のこと考えていたの」
その後も銀行とか金融関係のことが長い時間に渡って話題になった。お金に関することなので私も口と挟んでいるうちにいつのまにか私はお金が好きだということになってしまった。
「元木さんのサギという表現を借りれば、お金というサギに頼れなくなったら自分の口先三寸でサギを働く必要が出てくるわけだな」と志々目くん。
「むしろ僕が今考えていたのは逆の方向性で、コミュニケーションの欠如の度合いが増大しすぎてきたため、それを補うためにお金がこれほどまでに必要になってきているんじゃないかということなんだが」
「じゃあ、もし人類のコミュニケーション能力が飛躍的に向上したら、人類はお金なんて必要としなくなるとか」
「うん。そういう希望は持って生きていきたい」
「社って、年齢の割に老成した感じを与えるくせに、時々そういう夢のようなことを語るから、女の子がコロっとだまされたりもするんだよな」
「なんか私の聞きたかった話題から微妙にずれてきている気がするんですけど」お金というサギに頼らずに口先で生きていくべきだと言われても女の子はコロっと行かないと思うぞ。
「でも。元木さんだってお金が好きかもしれないけど、別に札束にくるまって寝たいとか考えているわけじゃなくて、お金で買えるものが必要とか、お金で買いたい情報や物品がたくさんあるということでしょ」
「札束にくるまって寝たいわけじゃないのはそうですけど。私が言いたかったのは騙されている感じがしていやだし、なんか割に合わない気がしていやだということ」
「働いても割りに合わないという意見は僕にはマルクス主義的な印象があるな。ソ連がなくなってから何年も経つけど、最近の世の中マルクス主義的な言説が多くなってきているような気がする」
「そうか、例えば?」
「例えば、さっき話しに出た『ナニワ金融道』とか。けっこうよく売れた『働いたら負け』なんかモロという気がしたな」
「社って本当に読書家だよな。そんな本まで読んでるのか」
「活字中毒なんだろう」
「どんなことが書いてあった?」
「一言でいえば、働いていても人は貧乏になるばかりだから、働いているひまがあったら投資しろってところかな。一般的なマルクス的言説ではないのかもしれないけど」
「それをマルクス主義的と言ったら、USはマルクス主義帝国だ」
「それはそうだが。それにしても銀行に関しては、ホントにそんなんで大丈夫なんかと心配になるような話ではあるな」
「『働いたら負け』ってそんなことが書いてあるんですか。働いていても人は貧乏になるばかりとか」神屋さんに尋ねた。
「煎じ詰めれば、そういう本です。一応、真面目に働いて貧乏しながら、多くの友人に囲まれて過ごす人生も悪くないというような、エクスキューズはついているけど」
そんな本が売れているのかと考えながら、父のことを思い出した。去年、現在通っている女子大に入学が決まったときの父の落胆振り。私は子供の頃から成績がよく、高校も都立のそれなりに名の通ったところに行っていたので、まさか偏差値五十を少し上回る程度の女子大にしか合格しないとは思っていなかったのだろう。高校に入ってからの私がどんなに勉強しなかったか親にはわかるはずもない。かわいそうと言えばかわいそうな話ではある。滑り止め以外の全ての大学への不合格が決まったとき、父は珍しく私を呼んでふたりになって話をした。おもむろに電卓を取り出した父は高校出の会社員と四年制の女子大出の会社員の給与差が現状ではほとんどないことを説明し、今後四年間に私が私立女子大に通う際に必要となるトータルの金額を計算し、私に提示して見せた。いつも家ではごろごろしてテレビのチェンネルすら自分で換えない父が電卓を操って、四年間に私が必要とするであろう金額をてきぱき弾き出すところを私は姿勢を正して見守った。高校を卒業して普通の事務職で手に入れる収入に四年制の私立女子大に必要な金額を足した収入を稼ぎ出せるようなキャリアップは、私立女子大を卒業することによってはほとんど望めない。高校を出て五年目の会社員の給与と女子大新卒の給与の差はほとんどないと言っていい。むしろ四年制の女子大に通う若い女性は学生とは名ばかりの潜在的な失業者なのだと、静かに父は説明した。お説教ではなかった。むしろ仕事の話みたいだった。一部上場企業の総務畑に三十年勤めて次長にまでなっている人間に対して、高校卒業まじかの小娘に反論の言葉などあるはずもなかった。ともかく、浪人して一年間予備校に通ったところで、その投資に見合ったそれなりに名の通った大学に受かる保証もないので、浪人せずにこのまま唯一合格した女子大に進学することになるが、在籍中にTOEICで八百五十点以上は必ず取ること。父は私にそう約束させた。他にも取得したい資格があれば経済的な援助はするとも言った。今は出身大学名より資格をもっているか、あるいはそれ以上に英語の実際的な能力が就職には最も影響があると言っていた。そのために一年程度だったら留学するのだってかまわないとも言った。留学とはありがたい申し出ではあるが、イタリアやフランスならともかく英米だったら留学する気にはなれそうもないのが正直なところだが。父は我が家は代々東京に住んでいるので、それなりの家もあり住宅ローンの負担もないので娘を私立女子大にも通わせることができるが、本来勤め人の給与ではそういう贅沢はできないのだということも言った。父の口調には、我が娘が偏差値五十程度の大学にしか受からなかったこと以外にも、どこか寂しさを漂わせている部分が感じられた。もしかしたら、三十年間真面目に勤めてきてそれなりに全力を尽くしたのに、親から受け継いだサラリーマンの家にしては少々広い一戸建ての家以上のものを稼ぎ出せなかった自分に対するいらだちようなものだったのかもしれない。私にしてみれば、元々あるものにしろ父が稼ぎ出したものにしろ、それなりに広い家があることが悪いはずもない。受け継いだものでも誇りにしていいのではないのだろうかとは思う。
靖子をみるとノートを広げ、時々新幹線の天井に目をやり何か考えている。志々目くんはしきりと歳時記を開けたり閉じたりしている。すると、神屋さんと目が合った。
「神屋さん、俳句考えているですか」
「うん、ぼちぼち」
「話し掛けると迷惑ですか」
「ぜんぜん。名古屋過ぎるあたりでは必死になっているかもしれないけど、今のところまだ時間もあるし。大丈夫」
「そういえば、題でしたっけ。なんだったかしら」
「ええっと。旅行の『行』行列の行、それから『レール』、『勝』、『花曇り』、『朧月』、『風呂』、『弟』、『日向』」
私は神屋さんにもらったノートをひろげて一頁目にメモした。
「そういえば志々目。温泉の手配終わったのか」
「うん、ホクホク温泉、白泉荘」
「ほんとに?」
「なにか?」
「本当にホクホク温泉っていう名前なの」
「本当だよ。観光案内にも出ているし、羽根さんちからも遠くない」
志々目くんはパンフレットを取り出して渡してくれた。「日本三大秘湯のひとつだって」
「ホクホクなのに秘湯なの?」
「温泉の名前にまで責任はもてないよ」
「お前、この旅館の名前で決めただろ。白泉荘」
「そのとおり」
車窓に浜名湖が見えてきた。そういえば今日は天気が良いのに富士山が目にはいらなかった。話に夢中で気づかなかったのだ。どうもいつものペースが保てない。半ば初対面のような二人の異性がいるせいはもちろんあるのだが、やっぱり靖子のせいが大きいような気がする。確かに仲良く一緒に行動することも多いのだが、どうもペースが合わないように感じることが多い。もちろん靖子が嫌いなわけではない。それに靖子に好かれている実感はかなりある。もちろん若い女同士、どんなに仲良く見えても、どこかお互いに排除し合おうとするような緊張感が漂うものだが、どうも靖子といてもそういう緊張感が希薄だ。そのせいでもしかしたらかえって疲れるような気がするのかもしれない。自分でも考えていることが矛盾しているように聞こえるが。
「ああ、本当。三大秘湯のひとつって書いてある」私はパンフレットを見ながら言った。「効用、神経痛、肩こり、糖尿病、美肌効果。なんにでも効くみたいですね」
「ほんと」となりから覗き込みながら、靖子が相槌を打った。
「おいお喜べ志々目。ここに『平安時代から万病を癒すこと有名で、恋の病にすら効くと伝えられている』って書いてあるぞ」
「なんで俺に言うんだよ」
「この機会にその温泉のお湯を十リットルぐらい飲んでおけば、むこう十年ぐらいは何回失恋しても大丈夫だ」
「よかったですね、志々目さん」
「どう大丈夫なんだ。失恋して大丈夫な奴なんて人間じゃない」
「すごく説得力がある」と私。
「説得力がある志々目を観察できる機会は非常に少ない。おめでとう」と神屋さん。
「おめでたいんですか」
「悪いことじゃないよ」ここまで無意味な会話を淡々とやりとりできる神屋さんも、やはり只者じゃない。
「温泉って大抵神経痛とかに効くようなことが書いてあるけど、あれってなにが効いているですか」
「スパシーボだろ」
「プラシーボ!」と志々目くんの訂正。
「いずれにしても、お湯に浸かったところで皮膚からお湯の成分を吸収するはずもない」と神屋さん。
「美肌効果も?」
「それは普通のお風呂でもあるんじゃないかな。温泉じゃなくても」と志々目くん。「肌を清潔にして暖めて血行をよくする訳だから。ああ、でもナトリウムを多く含んでいる温泉なら石鹸と使わなくても、石鹸的な効果、脂肪分を分解するというような効果は期待出来そうな気がする」
「よくわからんけど、弱アルカリ性だったら美肌効果あるじゃないか、あてずっぽうで悪いけど」
「そう言われればそんな気もするけど、弱酸性じゃないと傷口に対する消毒効果とかないから。よくある、怪我した野生動物もつかりに来るなんていう御伽話のような宣伝文句は不可能だよな」
「傷や皮膚病に効くといううたい文句があった場合はアルカリ性じゃないから、かえって肌にやさしくないと考えていい訳か」
「その可能性が高い」
へえ、そんなものなのかと私は思った。
「浸かるだけじゃなくて飲んでみれば、それなりに影響はあるだろう」
「そりゃ飲めば身体の中に入るわけだから」
「やっぱりホクホク温泉に着いたら飲んでおいた方がいいぞ」
「便秘とかなら飲めば必ず効くような気がするけど」
「飲めば効くの?」と私。
「そりゃ、飲めば効く。ただの水だってたくさん飲めば便秘に効くだろうし、普通のミネラルウォータだって効く。温泉なら鉱物やナトリウムをたくさん含んでいるだろうから、余計効きそう」そう言いながら志々目くんはパンフレットを神屋さんから取り戻した。「この効用の中の高血圧っていうのは、ほぼ確実に効果があると思う」
「どうして」と神屋さん。
「お湯に浸かったら、体温が上がって血管が開くから当然血圧は下がる」
「身も蓋もないな。それじゃ普通のお風呂も同じじゃないか」
「同じだとは限らない。たとえばうちの近所の銭湯なんてかなり温度が高いから、交換神経を刺激して緊張が高まって血管が収縮するはずだから血圧はかえって上がりそうだ」
「体温も上がって血圧もあがるんじゃ、なんか身体にずいぶんよくない感じがするな」
「うん、ぬるい湯に長い間浸かれば、血圧も下がるしリラックスできて身体にかなりいいんじゃないか」
「五十度以上の熱い温泉だったら?」
「そりゃ、ほとんど料理の材料になっているようなものじゃないか。血圧どころかやけどするよ」
「最近どこでも温泉ばやりで、ありがたみが少ない感じがする」
「このパンフレットによるとホクホク温泉は平安時代から知られているぐらいだから、きっとよく効くよ。最近の深く掘って無理やり温泉にしたのとはちがって」
「深く掘ると温泉になるんですか」
「日本は火山島だから、どこでも深くさえ掘ればある程度は温かい水がでるよ。いや地球上どこにいったって、地表から数キロも深いところなら温度は高い。過去二十年ほどの間に掘削技術が進んだので、昔と違って安くかなり深いところまで掘れるようになったこともあって、最近は日本中どこでも温泉だらけになった」
「温かければ温泉というわけじゃないんだろ。含有成分に関して色々規定があったはずだ」と志々目くん。
「へえ、そうなのか」
「そういえばそれでふと思い出したけど、うちの親父さんが、子供のころあと三十年で石油が枯渇するってさんざんの脅されて育ったけど三十年たっても相変わらず石油が掘られ続けているって、こないだ言ってたけど、あれも掘削技術が進歩したせいなのか」
「志々目の親父さんらしい発言だな。技術的な進歩といえば三十年前に比べて確かに随分進歩しただろうけど。多分三十年で枯渇するというのは、その時点の技術で掘った場合、当時の石油価格だったら三十年以内に採算が取れなくなるという意味での元々の発言があってのことだろ」
「ちょっと待て。よく分からない」
「だから。四十年前は石油の価格は今に比べると異様に安かったわけじゃないか。この四十年間に石油ショックって呼ばれるものが何度も起きているんだろう。その四十年前の石油価格で採算の合う簡単に掘れるような浅いところにあるような石油は三十年分程度しか発見されていなかったんだろう。そこで後三十年で枯渇するぞ大変だって騒いだり、そのほか色々な理由もあって石油の値段も上がって、深いところや海底にあったりするものまで手間を掛けて掘っても採算が合うような価格になってきたんだと考える方が自然じゃないか」
「四十年前は海底油田なんてなかったんだ」
「ちゃんと調べたわけじゃないけど、なかったと思うよ。千九百七十四年だったか、第一次石油ショックって。あの前は海にまで行って掘ったりしなかったと思う」
「今じゃ、いろんなところで深くまで掘っているわけだ。実際のところ、あと何十年ぐらい持つんだ」
「わからんなあ。これからも掘削技術や探査技術は進歩するだろうし。それから最近出てきた説だと、石油は石炭のような化石燃料じゃなくて、実はマントルの成分が染み出しているんじゃないかとも言われているし」
「化石燃料じゃないって」志々目くんが少し大きな声になった。
「うん。こないだ読んだ英国の学術誌にそんな内容の論文が載っていた」
「俺たちが中学の頃はまだ理科の教科書では化石燃料扱いだったよな」
「そうだ。中学生のとき、自動車って恐竜の死骸燃やして走っているんだって感心したことを憶えている」
「恐竜の死骸燃やして走っている?!」私まで大きな声を出してしまった。
「あれ、習わなかった。あれは中学ぐらいの理科だよな」と神屋さん。
「ゆとりの教育ってやつじゃないか」と志々目くん。
「そうだね。何学年も違うからな」
「あの石油って恐竜の死骸なの?」
「最近は違うっていう説も出てきたようだけど、社が言うには。中学理科だと石炭は中生代のシダ類が堆積して炭化したもの、石油は恐竜の死体が堆積して炭化したものって習ったような記憶がある」
「すごい、すごい、それって」
「すごいと言われればすごいような」
「すごいわよ。恐竜の死骸を燃やして自動車が走っているなんて。なんていうの、ファンタスティック?
マントルの成分が染み出しているなんて言うのよりずっと素敵」私はかなり本気でそう言った。
「電気も半分ぐらい火力発電所で作っていることを考えると、この新幹線も恐竜の死骸を燃やして走っていることになるわけだ」
「ファンタスティック。確かに元木さんの言うようにファンタスティックかもしれない」と志々目くん。「そういえば父がこないだ、漫画喫茶というところに入ってみたら、飲み物が飲み放題で、まるで子供のころ夢見た二十一世紀が実現したような気がしたなんて話もしていたな」
「志々目の親父さんって漫画喫茶に入るのか」
「出先でインターネットにどうしてもアクセスしなきゃいけなくなって入ったらしいけど」
「ああ、なるほど」
「高度経済成長期以前の子供にとっては、ジュース飲み放題というのは、夢の中のできごと輝ける未来だったらしい」
「志々目さんのお父さんって、志々目さんに似ているの」
「うーん」と志々目くんは神屋さんを見た。
「似ている部分はあると思う。でも親父さんはちゃんと結婚できたんだから、やっぱり別種類の人間だと言えるんじゃないか。万が一何かの間違いで、志々目が結婚できたら、親父さんによく似た人間になるような気はするけど」
「なるような気はするけど、その可能性は非常に低いと言いたいんですか」
「そういうこと」
「どうしてみんなして、そんなに俺の結婚のことを心配してくれる訳。ありがたくて涙が出るよ」
「志々目は高度成長以前と言ったけど、むしろ幕末以来の日本人の一貫した目標だったんじゃないか。今日あるような物質的な豊かさというのは」
「富国強兵ってやつ」
「古い言葉を。やっちゃん、富国強兵なんて知ってる?」
「知りません」
「元木さんは」
「いいえ」聞いたことぐらいあったが、靖子が簡単に知りませんと答えたので、それに合わせた。こんなところで差別化を図ってもしょうがいない。
「まあ、僕が言いたかったのは、そういう国の方針のようなことではなくて、日常的な感覚として、飢える心配のない生活をずっと一貫して目指してきていて、この五世代程のあいだについに達成したと言っていいじゃないかというようなことだったんだけど」
「食う心配がなくなって大人はパチンコやって子供はテレビゲーム、おまけに女子中学生が退屈紛れに売春するような社会を、目指していたわけか」
「志々目はそういうけど、やはりこれは達成なんだと思う。世界中どこの国に行っても十二歳で売春する少女はいるだろうけど、まさに食っていくために身体を売るわけで、合衆国のような金持ちの国ですら売春する少女は食うためにやっているだろうけど、日本の場合、食うためでないことは確かだ。飢えた子供がいないというのは、この世界の中で誇っていいことだよ、明らかに。なにも少女売春を引き合いに出す必要は感じられない」
「明治以来の日本人の努力は成功を迎えているというのが社先生の意見か」
「飢えで病気になったり死んだりする子供がいないというのは、何にもまして価値があるような気がする」
「若い独身男性の意見とも思えん」と志々目くんは同意を求めるようにこちらを見た。
「幕末以来というけど、江戸時代の日本人のほうがよっぽど世界に誇れるんじゃないか」
「大衆文化という観点からすれば、まったくもって世界に誇るレベルだろうけど。浮世絵に歌舞伎に俳諧に落語、ちょっと考えただけでいくらでも出てきそうだ」
「それに、たぶん江戸時代の日本人は明治時代の日本人ほど貧しくなかったと思うな。けっこう豊かな暮らしをしていたはずだ」
「うーん、二百年も戦争がなかったからな」
島原の乱って何年の出来事だったのだろうとふと思った。受験で日本史を選択していたので一年前だったらすぐ思い出せたが、今ではすっかり忘れている。
「だいたいそのことだけでも世界に誇れるだろう。軍縮が進んで二百年以上戦争がなかったっていうのは、それこそ世界史上の奇跡と言っていいのかも」
「確かにね。説得力があるな。でも志々目。それって誰かの受け売りじゃないか」
「はは、その通り。名前は忘れたけどフランスかドイツの学者の受け売り」と言って頭をかく。言っていることはともかく、ここで頭をかくというのはなとなくオリジナリティがあるような気がする。
「どんなに志々目が江戸時代を評価しても、あんな相互監視社会が訪れたらまっさきに逃げ出すタイプの人間にしか見えんぞ」
「確かにそうだ。まっさきに逃げ出している」
それにしても若い男というものはどうしてこういう話が好きなんだろう。ここでどんなに見解を交換したところで江戸時代や明治時代の人たちの生活が変わるわけでもないのに、うれしそうに実生活になんの影響もない意見のやり取りを繰り返す。股間にあんな具象的なものをぶら下げているくせに、なぜか空辣な議論を好むのだ。もっともあんな具象的なものをぶら下げているからこそ、こんな会話を続けられるのかもしれない。ちなみに私は男性器を触るのが好きだ。しかし残念なことに、今まで心行くまで触ったりいじりまわしたりする機会に恵まれたことがない。いつか、頭のいい(さらに望みを言えば見目麗しい)恋人ができたら、そのことを説明して、思う存分触ったりいじったりさせてもらおうと思っている。頭が良くない奴にそんなこと説明するつもりもないし、だいたい触りたいとも思わないだろうけど。
「それにしても、石油が化石燃料じゃないっていうのはなんか唐突に出てきた印象をうけるな」
「僕にはそういう印象はないな」
「恐竜がらみなあたりが特に香ばしい感じではあるのだよ」志々目くんはほくそ笑む。やはり犯罪者的人相である。恐竜に関する常識は特に変わる、現時点では、小惑星の衝突が恐竜絶滅の原因だと言う説が広く信じられているけど、一昔前はトンデモ学説扱いだったのだよ。石油の件だって一世代ぐらい経ったらどうなっているか分かったものじゃない。今大方の学者は恐竜は爬虫類のような変温動物じゃなかったという説を支持してるけど、十年後にはすっかり別の説が幅を利かせていることなんて如何にもありそうだし」
「哺乳類のように恒温動物だったのか」
「哺乳類というより、鳥類をイメージしているんだろうけど。恐竜が胎生じゃなくて卵生だったなのは疑いようもないから」
「そういえば、空を飛ぶ恐竜もいたよな。トリケラトプスだったか」
「プテラノドン」志々目くんがまた訂正。見かけによらず律儀な性格なのかもしれない。温泉からすっかり話題が離れてしまったので、もとにもどすつもりで私は訊いた。
「結局、ホクホク温泉って美肌効果があるんですか、ないんですか」
「元木さん、そんなに肌がきれいなのに、これ以上どうしようって言うの?」と神屋さん。
あららどうしましょう。一応感謝の言葉でも述べておこうか。
「本当に、今日の神屋って、いつもと違ってやさしくないか」と志々目くん。もう本当に落ち着かない奴。私が何か気の効いた返答はないかと考えていたのに、間髪入れずに割り込んでくる。
「僕はいつも通りだよ。何度目だ、これ」と神屋さん。
「きっと元木さんの美肌はさらに綺麗になるよ。血行は良くなるし転地効果もある」
「ようするにスパシーボだと」
「プラシーボ! それこそ何度目だ。だいたい、気のせいをバカにしちゃいけない。世の中たいていの事は気のせいで決まるんだ。大体、お風呂や温泉が健康に良さそうに思えるのは、まずただ単にそんな気がすることが大きな力となっているだろう。お風呂が身体に良いとは限らない。特に心臓や血管が弱っている年寄りには。浅くてぬるい風呂に浸かっているならあまり問題ないだろうけど、普通の深さの風呂に肩まで浸かると人間の体表面積を考えるとかなりの水圧になるだろう」
「そうだな」
「お風呂での事故死ってかなり多かったはずだ」
「そうそう。確か一年で一万人以上だとか」
「交通事故死より多い」
「自殺に比べると少ないけど」
「自殺に比べると何だって少なくなるの、今の日本では」
「こういう場合、風呂が身体に良くない場合があるというのは常識というのかどうかな。むしろ風呂が身体に良いという見地の方が常識的なのかな」
「風呂が特に身体の弱っている人には害があるというのは、けっこう良く知られているけど常識と呼ばれるようなものではないんじゃないか」
「僕の場合、常識って概念自体なじめないものがあって。常識っていうけど、どの程度まで一般の人に信じられているか明確な測定技術のようなものがないのが気になる。さっきの銀行に関してだって、志々目が常識だって言っていることもここにいる中では志々目ひとりしか把握できていなかったとすると、世間一般でも同じ程度かそれ以下の割合でしか浸透していない可能性は大いにあると思う。今なんとなく思い出したけど、僕たちが中学生だった頃、やたらマスコミがイジメイジメって騒いでいて、よくテレビなんかでも特集されていて、子供が荒れている学校が荒れているというのが定番だったけど、あの頃気になって犯罪の統計を調べてみたことがあった」
「変な中学生だな」と志々目くんがまぜっかえす。
「別に変じゃないよ。向学心旺盛な中学生」
「確か当てつけに遺書書いて自殺するような奴が連続して、マスコミが騒いでいたよな」
「そのせいなのかどうか、なんかまったく的外れな感じでテレビのワイドショーっていうのか、学校は暴力の嵐で自殺する奴もいっぱいいるようなことばかり言うので、どうも変な感じがして調べたんだが、それで知ったんだけど、十代の少年の暴力犯罪って戦後一貫して減っているんだ」
「子供が減っているのとも関係あるんじゃないか」
「未成年者全体数に対する刑事事件の件数の割合も一貫して減少していた。少なくとも僕が調べた時点で参照した統計では。この数年はまた変わって来ているような気もするけど」
「ふーん」
「戦後間もない頃の数字なんかと比べると本当に見事なまでに減っていて、子供が荒れているどころか、わずか数十年でここまでおとなしくなっていいのかと思うぐらいで」
「それは俺たちが中学生のころだろ。今はさすがに増えているんじゃないか」
「犯罪の検挙率が下がっているのはよく話題になっている。犯罪数に関する最近の統計は見ていないから分からないけど、一世代以上に渡って続いた傾向が急に変わったりするかな」
「むしろ変わらずにずっとその傾向が続いたとしたら不気味だけど」
「そういえばこの数年、一九七十年ぐらいまでは一貫して減っていた自殺が増えているだろ」
「増えているって、年間三万人だろ、すごい数だよ。戦後ずっと減ってきていて三万人てことはないだろ。大雑把にいえば一日百人。俺たちが新幹線に乗ってから今までの間に七人位は死んでる計算になる」
「なんで七人なんだ。仮に一日百人にしたって一時間あたり四.一六人。七人ってことはないだろ」
神屋さんが時計を見ながら言った。
「深夜から明け方の人が活動していない時間を除外して考えると、一時間あたり五人ぐらい自殺している計算になる」
「それで七人という数字が出てきたわけか」神屋さんがまた時計を見た。私もつられて見た。「でもなんだか、自殺って早朝に多いような印象がある」
「なんでまた」
「いや、なんとなく」
「元木さんもそんな印象ある?」
志々目くんが聞いた。
「早朝ですか」
「うん」と神屋さん。
「考えたこともないですねえ。でも今みたいに昼ご飯前の時間帯に自殺する人ってなんだか少ないような気がする」
「羽根さんは?」
「昼ごはんを食べたあとならありそうな気もしますけど、早朝っていうのはちょっとピンとこないですね」
ちょっと考えてから靖子が答えた。食べてから死ぬというのはなんかとても靖子らしいような感じもする。
「でも、深夜から早朝って人がよく死ぬ感じがするじゃない」
「するかあ? 仮にそうだとしても病気の年寄りの話だろ」
「自殺も早朝とか未明とかいう感じがしないか」
「強盗殺人とか犯罪がらみの人死にだったら、深夜とかって気もするけど」
「怨恨による殺人は」
「深夜かな、寝静まったところを首をしめるとか」
「深夜は計画的な殺人が多く、飯の前の時間帯は腹が減っていて衝動的な殺人が多いわけだ」
「なんか身も蓋もない」
「でもやっぱり自殺は早朝に多いって印象はないか?」
「まだ言ってる。でもその中学生のころ神谷が調べた統計だと、犯罪も自殺も戦後の日本では長い期間減り続けたってことになるのか」
「うん、そうだね」
「それって勘違いじゃないのか。この間デュルケームの『自殺論』を読んだけど、『自殺が多い社会では殺人が少なく、自殺が少ない社会では殺人が多い』というようなことが書いてあったような気がする。もう百年以上前の本だけど」
「古典だな。そう、確かそんな風に書いてあった。スペインではほとんど自殺がないとか。なんか説得力がある」
「私もそれ読んだ」つい口を挟んでしまった。
「香奈さんすごい」
「だってあれ、『社会学概論』の参考図書であがっていたじゃない。水曜の二時限の」
これは教養科目なので学部が違う靖子とも一緒に履修している。
「でも、読まなきゃいけないわけじゃないでしょう」
「そうだけど」たぶん神屋さんほどじゃないけど、私もけっこう読書好きなほうなのだ。あまり表沙汰にならないように気をつけてはいるが。
「殺人も自殺も同時期に減っていったとしたら、ちょっと普通じゃないってことにならないか。病的な社会とでもいうか」と志々目くん。
「殺人も自殺も少ないにこしたことはないだろ」
「でもなんか健全すぎることって、かえって不健康だったりするだろ」
「殺人も自殺も少なくなって不健康だって言われちゃかなわないな。志々目がひねくれた奴なのはよく知っているが。」
「でもやっぱり中学生のころの社の勘違いじゃないのかなあ」
「うーん。いややっぱり勘違いじゃない。年齢に関係なく日本では殺人とか強盗とかいう暴力犯罪は四十年以上に渡って減りつづけていたのは確かだ。自殺の方は老人の自殺はかなり大きい数を保っていたと思うけど、若年層壮年層の自殺はやっぱりかなり少なくなっている傾向があったはずだ。とにかく当時の中学生だった僕は、昔と違って暴力沙汰が減ってきているから、ちょっとしたことでもマスコミが騒ぐようになってきているんだなと思ったわけなのだよ。昭和二十年代には何人も殺してまわるような十代の男の子がたくさんいたから、イジメ程度じゃ話題にもならなかったんだなって」
「何人も殺すような奴がたくさんいたのか」
「うん、山ほど。志々目も今度調べて見ると良いよ」
「そういえば、犯罪の統計とかに目を通したことないな」
「ミステリ研のくせしてそんなことでいいのか」
「ミステリは現実の犯罪とはまったく別の興味で読まれるものだもの。もっともミステリ研にも犯罪マニアみたいなのも混ざっているけど」
「ミステリ研? だってジャズ研でしょ」と志々目くんに訊いてしまった。
「ミステリ研にもジャズ研にも顔を出してたの。どっちにしろ、もうOBだけど」
「ミステリ研の部会には元々めったに顔を出さないって話じゃないか。そのくせ毎年コンスタントにミステリの短編を書いてくるって。そうそう志々目のペンネーム、『アヤナミのふくらはぎ』っていうんだよ」
「アヤナミのふくらはぎ?」
「福原綾奈だって」
「でも『アヤナミのふくらはぎ』が福原綾奈の由来なんだろ」
「違うって言ったろ。入部した頃の部長が福原さんって言ってその人が綾瀬に住んでいたから、それにちなんで福原綾奈になったんだ」
「それだったら、福原綾瀬でいいだろ」
「綾瀬じゃ名前じゃなくてむしろ苗字みたいだ」
「それは説得力がないな」
「なんとでも言え」
『アヤナミのふくらはぎ』ってことは、もう完全にオタクじゃない。どうして今まで気づかなかったのだろうか。旅行の打合せで集まった場所が神保町の喫茶店だというだけで普通なら気づきそうなものだ。秋葉原だったらもちろん疑う余地もないわけだが。でもそのときは六本木の八本脚あたりで待ち合わせるような奴より、神保町の方がよっぽどいいと思ってしまったのだ。やはり国立理系、旧帝大と云うあたりに幻惑されていたのだ。私としたことが。オタクセンサーは人よりずっと発達しているつもりだったのに。これでは母のこともバカにできない。うちの母は私が靖子の故郷の実家に遊びに行くときに男子学生が一緒だと聞いて嫌な顔を見せたくせに、彼らの大学名を聞いてまさに手のひらを返したように機嫌がよくなり、私を東急本店まで引っ張って行き、大枚はたいてこの旅行のために服を三着も揃えてくれたりした。私自身は大学名に惑わされている気はまったくなかったのだが、実際にはこのざまである。ちょっとショックだ。
「福原綾奈って、六童さんのホームページのネット句会に参加している、あの綾奈さん?」靖子が訊いた。
「そうだよ、よく知ってるね。やっちゃんも見てるんだ、あの句会」神屋さんが代わりに答えた。
「慎一郎さんが本名で出席しているから気付いて見てたんですけど、綾奈さんっててっきり女性だと思ってた。名前が似てるから、なんとなく香奈さんみたいな女の子だと」
「かんべんしてよ」
思わず少し大きな声になってしまった。身体は正直である。
「まあ、そんな怒らないで」と神屋さん。
「別にいいですけど。でも奈の字を使って欲しくないな、やっぱり」
「志々目、別の俳号考えないと」
「福原綾奈ってペンネームは別にどうでもいいけど、綾奈って俳号はけっこう気に入ってるんだけど」
「でも、やっぱりなんか嫌です。別の考えてください」
「じゃあ本名で行くしかないか」
「そうだな。最近の若い俳人は俳号を使わない人が多いね。大野雄三とか島田健一とか」
「それ有名な人たちなんですか?」
「有名と云えば有名。知る人ぞ知る俳人。知らない人は知らない」
「見事に論理的かつ無駄な返答だな」
「まったく社先生、他人事のように。そういえば最近『社』って俳号使わないな」
「あれは月刊誌の『俳句世間』が二十代俳人の特集やったとき三迅書店の編集者の人から略歴と俳号を尋ねられてこういう時は俳号で出すものだって勘違いしてその場で適当に『社』と答えたら、載った十人の内、ほかのみんなは本名で出していたので正直バカみたいな話だったよ」
「神屋さんの俳句、雑誌に載っているんですか」自分でもミーハーだと反省するのだが私はこういう話は嫌いではない。
「うん、二十代俳人特集みたいのがあって学生も少し混ぜなきゃということになって僕にも声がかかったらしい」
「その雑誌、今あります?」
「さすがに今日は持ってないよ」と神屋さんが笑った。
「俳句世間の十月号なら私の実家にもあるはずだから、家に着いたら香奈さんに見せてあげる」
「ありがとう、靖子。楽しみ」
「ちょっとすみません」と言って、靖子が立ち上がった。通路に出てトイレの方に歩いていく。彼女の後姿を目で追ったのは私たち三人だけではない。この車両にいるほとんど全員が見ているはずだ。身を乗り出してまで見ている人間はほとんどいないので、はっきり分かるわけではないが、やはり大部分の人間の視線を集めていることだろう。ピンクのTシャツの上にどこにでもありそうな白いカーディガンを羽織っている。ピンクの服を着ても上品に見える人間なんてそんなにたくさんはいない。靖子と知り合ってから、美人というものについて考え込まされることが多くなった。ちょっと前まで、あえて学生っぽい言い方をするなら私は美人というのは生産性にかかわる概念だと思っていた。いわば健康と若さの同義語としての把握だ。これから健康な赤ん坊をたくさん産みそうな若い女性が持つ、若い男性をして子供が生まれそうなことをしたくさせる要素が多く散見されるという方向性が、美人というものの基本路線なのだと。だからこそ女性は実年齢より若く見せることに腐心するし、ちょっとでも皺ができると隠そうとするのだと思っていた。同時に美人というものはライフスタイルなのだと考えることもある。ライフスタイルという水で薄まったような言葉を避けるなら、生活態度と言ってもよい。いわば「女は気合と化粧だ」という立場だ。生活態度としての美人あるいは生物的な生産性にかかわる概念としての美人。この二つの見地の間を私は行ったり来たりしていたのだ。生産性という見地から考えると、靖子のような女性は異性の目ばかり引くのが当然であるはずなのだが、そうでもないようだ。私だって靖子のほっそりしているくせにふくよかな身体を眺めるのはけっこう好きだ。靖子と知り合いになって美人という概念に関する明確な見解を持てていない自分をよく意識するようになった。そんな見解の混乱にさらに拍車がかかったのは、去年の九月。まだ残暑の厳しい頃だった。大学の近くで昼食を摂った帰りに靖子とふたりで近所の神社で木陰を見つけて一休みしていると、通りかかった年寄りが靖子の姿を目にとめて立ち止まり、両手を合せてまた歩き出した。靖子は何事も起こらなかったように平気な顔をしていた。その老人は木陰にいた女子大生ふたりを拝んでいったのではない。となりにいた私には老人が靖子だけを見ていたのがはっきり分かった。大学に戻ってから別の友達にその出来事を話すと、「元木、おまえ話作ってるだろ」と一蹴されてしまった。それ以来この神社での出来事は誰にも話していない。そんなことを思い出しているうちに靖子がトイレから帰ってきた。神屋さんはノートに何か書き込んでいる。志々目くんも俳句を考えている様子だ。私といえば何にも思いつかん。俳句なんてどうやって作るのか見当もつかない。
「ねえ、俳句できたの?」靖子に声をかけた。
「まだ、全然」靖子がノートを見ながら答えた。
「だってたくさん書いてあるじゃない」ノートを覗きこみながら言った。
「これは出来かけ。これから直していくの」
靖子はノートを隠すようにした。改めて胸が大きいなと思う。初めて会ったときの第一印象は『この子、大人しそうな顔をしているくせに胸が大きい』だった。大人しそうな顔と胸腺ホルモンの分泌との間に積極的な関係も積極的な無関係もありそうにないのは私立文系の私にも見当はつくのだけれど、そんな風に思ってしまった。今となってみれば、むしろあんなに食べるのに胸が豊かにならなかったら不思議なくらいだ。そのくせ全体的にほっそりしていることの方が圧倒的に不思議だとは言える。世の中変な出来事は多いが、まさか巻尺を取り出して私と靖子のウエストサイズを測りくらべてみようとするようなアホな奴はいないだろうから、まああんまり考えないようにしておこう。しかし乳房というものはこの場合けっこう重要なのかもしれない。どんな赤ん坊だって、生まれてきて最初にやることは乳を吸うことだ。人間に限らずそれこそ哺乳動物の赤ん坊なら、オスメス関係なく全員、そこから全てが始まっていると言っていい。最初に出会う大好きなものが母乳であって、やがて乳房や母親の顔や母親の声を好きになっていくはずだ。美しい女というものに誰もが目を引かれる理由の一端はこの辺りに潜んでいるのかもしれない。自分もいつか誰かの母親になるかもしれないという想念には、なにやら陶然としてしまうところがある。
どうもみんな俳句作りに集中しているらしく何も話さなくなった。私といえば全然集中できない。むしろさっきちょっと話題に上った銀行のことが頭から離れず、俳句どころではないのだ。見ると志々目くんも神屋さんも考え込んでいる様子。なんかよくしゃべる人たちだと思っていたら、急に静かになってしまった。銀行に就職するのはうち程度の女子大では難しそうだ。四年制を出て一般職というのはさらに無理が有りそうだし。もしかすると外資系の銀行ならどうにかなるかも。TOEIC七百点代では仕事にならないということもないだろうが、やはり八百五十点ぐらいクリアしていないと採用は難しいのだろうか。実をいうと私は自分の容姿に自信のあるほうだ。大学のほうは偏差値五十五程度だが、容姿に関しては六十五くらいは軽くクリアすると思っている。こんなことまで偏差値勘定してしまうあたりはちょっと情けないような気はする。いずれにしても数値化不可能な靖子に比べれば可愛いもんだが。書類選考を通って面接まで行けばどうにかなるのではないかという希望をもってはいるわけだ。父は八百五十点と言ったTOEICだが、こう考えてくるとやはり九百点近くは欲しい。こういう数字は多過ぎても邪魔になるということはない。
窓の外を見てもどの辺りを走っているのか見当がつかない。まだ静岡県内のような気はするのだが。

名古屋駅に着くと志々目くんが口を開いた。
「短冊足りてる、羽根さん。」
「まだ大丈夫です」
「元木さんは?」
「まだ全然使っていない。足りると思います」
神屋さんからもらったノートに何行か、俳句らしき五七五を書いてみた。これが俳句になっているのかどうかよく分からない。俳句七つということだったが、とても出来そうもない。神屋さんは短冊を取り出して、俳句を書き付け始めた。見ていると何枚も何枚も書いている。七句では済みそうもない。私もなんとなくあせって、とりあえず出来ている俳句を短冊に三つ書き写した。途中、自信のない漢字があり靖子に電子辞書を借りた。靖子は書き写さずに考え込んでいる。それから志々目くんが貸してくれた歳時記を眺めていて、急に気づいた。
「あれ、『日向』って季語じゃないの?」
「そう、日向は季語じゃない。」と神屋さん。「『日向ぼこ』なら冬の季語だけど」
「冬の季語なんですか」
「そう冬」
「冬の季語を使った俳句じゃまずいんですよね。今日の場合」
「今は春のど真ん中だから、この句会で冬の俳句を出すのは、ルール違反だよ。ルール違反というより奇をてらった態度と見なされるかな」
「そうですか」
私はどうしたことか日向が春の季語だと思い込んでいた。ノートに書きとめていた日向を入れた俳句には季語がないことになる。歳時記をまた広げて当てはめられそうな春の季語を探し始める。しばし無言のまま。他の三人はペンを走らせている。
やがて車内アナウンスが米原の駅が近づいたことを知らせた。神屋さんがもう一枚短冊を出した。靖子は二枚書き、それまで書いていたものと一緒にして志々目くんに渡した。
「元木さんはもういいの?」と神屋さんが訊いた。
「ちょっと待ってください」と広げていた歳時記から目を上げて、見つけたばかりの季語を作りかけの俳句に嵌め込んでもう一枚書いた。
すでに書いてあったものと一緒に志々目くんに渡すと「四枚しかないよ。もっと出しなよ」と言われた。
「もう限界です」
「初めてにしてはいいほうじゃないか」と神屋さん。
「これで締め切るけど、元木さんは初心者特権で、米原についてからも出していいことにするか」
「それがいい。志々目が清記している間も、作ったら書いて出していいから」と神屋さんがこちらを向いた。やっと解放されたと思っていた私にとってはありがた迷惑ではあるが「どうもありがとうございます」と答えた。
神屋さんが立ち上がって荷台からみんなのバッグを降ろした。受け取るついで立ち上がり通路に出ると、私たち以外の客はほとんどがいわゆるサラリーマンであることに気付いた。全員男性で、ほとんどの人がネズミ色のスーツだ。黒っぽい服装の青系統のものもちらほら見受けられるが、全体としての印象はねずみ色である。いまどきこんな古典的なサラリーマンというものは天然記念物のように数が減ってきていると思っていたのだが、新幹線ではいくらでも目撃することができるらしい。
米原の駅は新しい感じの建物で明るくほどほどに空いていて居心地が良かった。改札口そばのコーヒーショップのコーヒーもなぜかおいしかった。別においしくてももちろん文句はないわけだが、なんとなく東京を離れるとおいしいコーヒーが飲めないような思い込みが私にはある。江戸っ子だからしょうがないんでえ、べらぼうめえと心の中でつぶやく。志々目くんが靖子に集めた短冊を渡す。靖子は順番がばらけるように短冊を丁寧に混ぜて志々目くんに戻した。さっき言っていた通りコーヒーは神屋さんのおごり。私たちがコーヒーをすすっている間も志々目くんは、B4の紙にせっせと俳句を書き写していた。十分ぐらいで書き写すと近くにあるコンビニのような場所へコピーを撮りに行った。ついでに缶ビールも買ってきた。それを見て今度は靖子がお茶とお煎餅類を買いにいった。相変わらずよく食べるお姉さんである。「よく食べるお姉さんは好きですか」というフレーズがふいに浮かんだが俳句にはならない。
戻ってきた志々目くんに手渡されコピーを見ると、俳句がきれいに並んで頭に番号がふってある。四十二まであった。私が四句しか出してないからあとの三人で三十八句もつくったことになる。なにか勢いのようなものが感じられる。俳句好きは二時間もあればこれくらい作るのがあたりまえなのだろうか。そういったことはまったく見当つかない。志々目くんの字は意外なことにきれいで読みやすかった。人は見かけによらない。

一 ふらここの日向のずれてしまいけり
二 恋猫はレールの上を横切りたい
三 日陰より冬の日向に手を振りおり
四 朧の夜エンゲル係数痛快なり
五 檜風呂浸かりし兄の声太し
六 春宵の弟のうなじの長きかな
七 不貞寝する背中のかゆい冬日向
八 春セーターぬっと首出す弟子ふたり
九 日脚延ぶ負けるとわかっている勝負
十 小走りにつなぐ行列鰯雲
十一 歪みをるガードレールも寒の明
十二 亜麻色の象の行進春立ちぬ
十三 一行を消す棒線や暮の春
十四 朧月ニュートンの日と思いけり
十五 勝負師の大きなこぶし涅槃西風
十六 朧月いろんなものと帰る道
十七 花曇り袋ふたつに分ける母
十八 たんぽぽに弟置いて戻りきし
十九 レールはるかその一瞬で笹鳴きす
二十 椿落ちただの日向でなくなりぬ
二十一 新幹線並走したる春日向
二十二 蓮華草空の彼方に不戦勝
二十三 鶯やレールづたいに父がくる
二十四 朧の夜顔の肥えてるお嬢さん
二十五 ランドサットの火星で朽ちる花曇り
二十六 無愛想な方が弟春障子
二十七 雁風呂や輪ゴムは祖母の管理する
二十八 ロッカーにブラウスしまう花曇り
二十九 三月の兄弟同じ方角を見る
三十 山茶花の負けるが勝ちとつぶやけり
三十一 日向水溜めて椿の家に住む
三十二 行列が階段曲がる日永かな
三十三 日向夏海は沖より光り出す
三十四 やはらかき弟とゐる花の留守
三十五 春の川進行形でありにけり
三十六 春日傘恋の平行四辺形
三十七 同姓の墓の日向や桜狩
三十八 爛漫の日向に配る甘茶かな
三十九 才能を欠く弟の風信子
四十 春昼や影より来るモノレール
四十一 海に入りて生まれ更らう朧月
四十二 髪赤く染めて日向に遠く坐す

四十二句も並ぶと自分が書いたものを探し出すのも大変だ。読むだけで疲れるのに、選ばなきゃいけないのか。神屋さんは鉛筆を取り出して、渡されたコピーになにやらメモしている。
「いくつ選べばいいんですか」と訊いてみた。
「数は気にしなくていいです。いや、それだけじゃ困るかもしれないね。まあ、目安としては五句から十句ぐらいと考えて。好き嫌いでかまわないんだから。ちょっと目についたとか、なんか気になるぐらいでかまわない。気になるのがなかったらまったく選ばないということもありうるわけだけど。」
「好き嫌いでいいんですか」
「好き嫌いでいいです。もっとも僕の場合、気になるものはなるべく選んでたくさん遡上にのせて俳句を作る上での参考にしたいと考えるんで、どんどん選んでしまう傾向があるけど。本来は出来が良いと思うものを選ぶのが普通の句会です。でもここでは好き嫌いでいいよ。難しく考える必要はない」
「そう言うくせに、いつも話を難しくするのは社じゃないか」
「難しくしている自覚はないぞ」
「そろそろホームへ行こう」
「もうそんな時間か」
「たぶんもう列車には乗り込めるはずだ」
今度の列車は新幹線とは随分雰囲気がちがった。第一ねずみ色スーツを見かけない。車両の端のほうにいた人たちの脇を通るとき自然に会話が耳に入ってきたが、ゆったりしていて不思議な感じのイントネーションがある。
席についた途端志々目くんがビールを開けた。
「社は飲まないのか?」
「うん。選句が終わってから」
「慎重だな」
「予想外に選句が難しそうだ。ちょっと驚いた」
「じゃあ。社、司会ね」
「ああいいよ。僕が司会する。志々目、清記していて何か変だとは思わなかったか」
「別に」
「あ、そう」
志々目くんは缶ビールを飲み始めた。靖子はお菓子類を開けるのに忙しい。
「何時までに選句すればいい、社?」
「うーん。四十五分まで」時計を見ながら神屋さん。
「余裕があるなあ、今日は」
「うん」
「いつもは一時間で作って十分で選句だから」
「時間をかけられるのは確かにいいことだな、この四十句を見ているとさすがにそういう気になってくる」
「そうかい」
「うん、いつもよりレベル高いと思うよ。俳暦が短い参加者ばかりなのに」
その時列車が動き出した。発車ベルがなったことに気付かなかった。静かなものである。車内アナウンスでしらさぎ五十七号という名前であることを知った。
「新幹線とはずいぶん感じがちがうね」と志々目くん。
「そうですね」靖子が答える。神屋さんがいつもより親切かどうかよく分らないが、靖子はいつもより親切だと思う。
「空いているし、落ち着いた感じ。旅行に出たって気がやっとしてきた」志々目くんが続ける。「そういえば今ふと思ったんだけど、俺が高校生だったころに比べて、朝の電車が混まなくなってきているような感じ、最近よくするんだけど」
「それは好みのOLさんが少なくなってきたって話をしたいわけか」
「そうじゃなくて、老若男女問わず、通勤時間が以前ほど混雑してないように感じる。少子化の影響か」
「まだ少子化の影響は朝の電車に出ないだろ。不景気のせいか、オフピーク通勤が普及しつつあるとか。あるいは単なる気のせい」
「いや確かにこの四五年、明らかに電車に乗っている人数が減ってきている。不景気のせいならもっと前からのはずだ」
「その現象が事実だとしたら、若年層が減ってきていることより全体として会社に顔を出す必要がなくなってきている人数が多くなってきていることを表現しているんじゃないか」
「また、回りくどい言い方を」
「最近は大きな会社ならどこでもひとり一台PCがあって、仕事もメールのやり取りばかりだから、実際に顔を合せなきゃいけないことが少なくなっているって。これは六童さんの受け売りだけど」
「六童さんはシステムの人だからそんな風に考えるんじゃないか」
「営業の人たちのことを特に頭においての意見ってことだったけど、六童さんがいうには。エンジニア系でも営業でも、メールで連絡を取り合ったほうがずっと確実で間違いが少ないそうだけど。会議なんかしても何にも決まらないが、メールで通達すればそれなりに話は進むとか。だから仕事を進めるという観点からすれば、もうすでにせいぜい一週間に一度程度会社に顔を出せば済むような時代になっているというのが六童さんの意見」
「仮に一週間に一度でいいなら、通勤電車はもっと空いていていいはずだよな。それどころか東京の会社に勤めているのに自宅は軽井沢でも神戸でも」
「もっとも六童さんの話には続きがあって、顔を合せての打合せの必要なんか滅多にないくせに、誰もが毎日会社に顔を出すという落ちが待っているわけだけど」
「でも部分的には毎日通勤しない会社員という人種も出現しているかもしれない」
「どうだか。志々目のおやじさんの意見に即して言えば、日本企業は地上に残された最期の楽園だそうだから。ところで志々目、選句終わったのか」
「うん、ちょっとまって」
志々目くんは缶ビールを置いてボールペンを取り上げ、俳句が羅列されている紙に戻った。靖子はボールペン片手にコピー用紙とにらめっこしている。いつものようにマイペースだ。しかし学生らしい風情とも言える。
しばらくして神屋さんが時計を見て「そろそろ始めようか。いい?」と訊いた。
「うん、いいよ」と志々目くん。靖子は何もいわない。
沈黙は同意と見なしたのか、「じゃ、僕から」と言った。
「神屋慎一郎選。一番、ふらここの日向のずれてしまいけり。三番、日陰より春の日向に手を振りおり。五番、檜風呂浸かりし兄の声太し。十番、小走りにつなぐ行列鰯雲。十三番、一行を消す棒線や暮の春。十八番、たんぽぽに弟置いて戻りきし。二十四番、朧の夜顔の肥えてるお嬢さん。二十六番、無愛想な方が弟春障子。二十七番、雁風呂や輪ゴムは祖母の管理する。二十八番、ロッカーにブラウスしまう花曇り」
「社、お前、自分が作ったもの以外全部取ってないか」
「そうでもないけど。しかし今日は気になる句が多い、うん」
「あの、選ぶ俳句って自分以外のひとがつくったのなんですか」
「そう、句会ってそういうものなんだ。ひとが作った句について色々言うのが楽しい」
「あと、すみません。『ふらここ』って何」
「ぶらんこのことです」
「そう、春の季語」
「えっ、ブランコが春の季語なの」
「そう」
「なんで」
「そういう話は、選句が終わってからゆっくりやりましょう。今日は時間がたくさんあってうれしい。じゃ、とりあえず選句の続き、どこまでやったかな」
選を発表している間、みんな忙しそうにペンを走らせてなにかメモしている。これも何をやっているのか気になる。なんかひとり取り残されたような気分である。
「二十八番のロッカー」志々目くんが神屋さんに続きを促す。
「二十八番、ロッカーにブラウスしまう花曇り。三十六番、春日傘恋の平行四辺形。それから特選が」
「特選ってなんですか」
「特に出来の良いと思った句のことです。それで特選は、三十八番 爛漫の日向に配る甘茶かな。以上、社慎一郎選でした。じゃ次は元木さん」
「ちょっと待って、私まだ全然選べてない」どれがいいかなんてまるで分らない。どの句も同じように見える。
「じゃ元木さんは最後ということで、志々目」
「はい、志々目晴彦選! 二番、恋猫はレールの上を横切りたい。十三番、一行を消す棒線や暮の春。十六番、朧月いろんなものと帰る道。十九番、レールはるかその一瞬で笹鳴きす。二十七番、雁風呂や輪ゴムは祖母の管理する。三十一番、日向水溜めて椿の家に住む。三十四番、やはらかき弟とゐる花の留守。四十二番、髪赤く染めて日向に遠く坐す。特選は二十九番、三月の兄弟同じ方角を見る。以上」
「はい、次はやっちゃん」
「羽根靖子選です。四番、朧の夜エンゲル係数痛快なり。十一番、歪みをるガードレールも寒の明。十六番、朧月いろんなものと帰る道。二十番、椿落ちただの日向でなくなりぬ。二十四番、朧の夜顔の肥えてるお嬢さん。三十四番、やはらかき弟とゐる花の留守。三十七番、同姓の墓の日向や桜狩。四十一番、海に入りて生まれ更らう朧月」
「ちょっと待って、やっちゃん」と神屋さん。「それは無し。点が入らなかったら無視しようと思ったけど。それは虚子の句だから」
「虚子、高浜虚子?」
「あれ、元木さん知ってるじゃない。本当に俳句初心者なの」と志々目くん。
「私だって虚子の名前ぐらい知っています」
「これ虚子の句なんですか。ちょっと前衛的」と靖子がつぶやく。
「こら、志々目。清記のとき虚子の俳句をいたずらで混ぜただろ」
「何故、わたくしが犯人だと」志々目くんがわたくしとか言っている。
「こんなことやる人間がお前以外にいるか。まったく初心者ばかりの句会なのに。こういうふざけたことは俳歴十年の連中相手にやれよ」
「はい、すみません。もうしません」
「それも今日何度目だ。ごめん、やっちゃん、続きを」
「ええっと、あとは四十二番、髪赤く染めて日向に遠く坐す。それから特選は。特選は二十番の、椿落ちただの日向でなくなりぬ、にしてください」
「はい、ありがとう。じゃあ、元木さん」
「ええっと。二番、恋猫はレールの上を横切りたい。この恋猫って季語なの」
「うん。春の季語」と靖子。
「それからっと。八番、春セーターぬっと首出す弟子ふたり。十四番、朧月ニュートンの日と思いけり。十八番、たんぽぽに弟置いて戻りきし」ここで一息ついた。なんか読むのがうまくいかない。どうも五七五をうまく読み下せず時々つまってしまったりする。うまく読もうとして却ってあがってしまっているのだと自分でも思う。まったくこんなことであがってしまってどうする。「二十番、椿落ちただの日向でなくなりぬ。二十二番、蓮華草空の彼方に不戦勝。二十八番、ロッカーにブラウスしまう花曇り。三十六番、春日傘恋の平行四辺形。ええっと、以上です」
「特選は」志々目くんが訊く。
「特選は無しです」
「厳しいね」と神屋さん。四十句を読むだけでも大変で幾つか選べたのを自分でも不思議に思うくらいだ。この上特選なんてとてもじゃない。作るのも大変だけど、選ぶのはもっと大変という気がする。
「いや、元木さんどうもありがとうございます。初めてだからしんどかったでしょう」
「ええ、まあ。大変でした」正直な感想。なんか国文学の演習に参加しているみたいだ。もともと春スキーのはずだったのが、温泉に変更され、その上演習か。やっぱり踏んだり蹴ったりだと言っていい。
「それにしても点数が散ったね。これだけ点数が散る句会というもの珍しい」
「秀句が多いからだろ」
「もしかしたら、そうかもしれない。選者に目がないという可能性を捨てればだけど」
「すぐ水を差すようなことをいうんだから、社って」
「はは、でも正直秀句が多いと思うよ、今日は。選者に目がないというのは冗談。それにしても一点句が多い」
「社が無闇に選んだせいだろ」
「そうか? 三点句がひとつ。三点句のあと二点句をやって、時間があったら一点句も」
「うん、時間はたっぷりある」
「じゃ三点句、最高点句です。椿落ちただの日向でなくなりぬ。女性ふたりが採っています」
「なんで三点なんですか、靖子と私だけなのに」
「特選は二点として数えるんです。ここの場合」と神屋さん。「じゃ、特選で採っているやっちゃん、どうですか」
「ええっと。鮮明に情景が浮かぶようで印象的なのでいただきました。『ただの』という言い回しは少し気になりましたけど、それでもとても綺麗な印象で」
「『ただの』は確かに気になるなあ。椿と言えば落ちると来るのがありがちとも言えるし。でも不思議と成功している感じです。元木さんは、どうですか」
「初参加なんで何を言っていいかわかりませんけど。というか私には意味のわからない句がたくさんあったんですけど、この椿の句はよく情景が見えるような気がして分りやすかったと思います」
「わかりやすいというのは大事なことだと思います。なあ志々目」
「あ、うん」
「では作者は」
「志々目です」
これはちょっと驚いた。
「志々目さんなの」
「そんなに意外そうに言わなくても」
「だって、ズコスコバコバコとかもんもんもっこりとか言ってないじゃない」
「いくら志々目だって、いつもズコズコ言ってるわけじゃないですよ。どう志々目、久々の最高点句は」
「感無量です。とくに女性二人に選ばれたことに感動しました」
「おめでとう」
「じゃ次は、初めから順に二点句をやっていきましょう。えっと、二番、恋猫はレールの上を横切りたい。はい、元木さん」
「私、単に恋猫って言葉が珍しくて採りました。こういう採り方ってだめですか」
「いや、それでいいです。でも恋猫という季語はけっこう人気がある季語だから、これからはよく目にすることになると思います」
誰も俳句を始めるとは言っておらんのですが神屋さん、と心の中で突っ込む。
「では、志々目」
「恋猫って、やっぱりこういうものでしょう。レールだろうがなんだろうが横切って目的に向ってって感じで」
「でもこれって『レールの上を横切りたい』んだから、レールの向こうに目的があるとは限らないんじゃない。むしろレールを横切ること自体が欲求の対象というか」と私。
「これじゃ、単にレールを横切るのを楽しみにしているようにも読めるね」と神屋さん。「やっちゃんは、どう」
「そうですね。でもまさか恋猫に自殺願望があるようには取れないですね」
「自殺願望まで視野に入れると、まったく違った句い見えてくる」と志々目くん。「それはそれで面白いかもしれない。でもレールを横切りたいじゃなくて『レールの上を』だからなあ、『上を』でちょっと違うかなと」
「はい、作者は慎一郎です。ありがとうございました」
「これってそういう意味なんですか」神屋さんに訊いてみた。
「僕は自殺願望までは考えなかったなあ。でも清記されてしまえば、俳句はもう作者のものとも言えないから」
「はあ、そうですか」志々目くんとはタイプは違うが、神屋さんもまたかなりいいかげんな男なのかもしれない。
「次の二点句は、十三番、一行を消す棒線や暮の春。これは男性ふたりが採っています。意味は明確なようですが、志々目くん」
「これは棒線という言葉を肯定的に捉えるかで評価が分かれるんじゃないか。あと暮の春でいいのか。俺は良いと思ったけど」
「ちょっと気になるね。季語が動くかな」
「季語が動くって?」
「ぶっちゃけた話、別の季語でも差し替えが効くということ」
「『暮の春』っていうのは当然今の季節ではないから、作者はそれでも暮の春を使いたいという思いがあったのだろうけど」
「『暮の春』って今の季節じゃないんですか」
「『暮の春』ってわかりづらいかもしれないけど、春の終わりという意味だから晩春のこと」
「『暮の春』ですか」ずいぶん持って回った言い方をするものである。ちょっとバカみたいだ。
「厳密に当季で詠もうととしたら『仲春』とか『春なかば』ということになるんだろうけど、一行を消す棒線や春なかばではぜんぜん合ってない」
「一行を消す以上、春にも終わって欲しいな」
本当かよ。
「じゃやっぱり『暮の春』でいいというのが志々目番付での見解」
「うん」
「作者はどなたですか」
「はい靖子です。ありがとうございます」
「幸先いいね」
「ええ」
「次、十四番、朧月ニュートンの日と思いけり。元木さん、どうでしょうか」
「ただ、ここにたくさんある俳句をながめていて、『ニュートン』という言葉が唐突で目を引いたので」
「そうですか、やっちゃんは」
「やはり『ニュートンの日』ですね。とても印象的」
「これは、花あれば西行の日とおもふべしという有名な句のあからさまなパロディです。作者はどなたですか」
「はい、志々目」
「志々目、絶好調じゃない」
「うん、また女性ふたりにとっていただき感無量です。でもこれはラッキーヒットという気がする」
「完全にボテボテの当たりそこないだよ」
「そこまで言うか」
「じゃ、次、十六番、朧月いろんなものと帰る道。はい、志々目」
「うん、なんとも解釈のしようがない。その辺が気になって採ってしまった」
「やっちゃんは」
「いろんなものと帰って来るなんて、にぎやかでいいなと思って」
「僕はむしろ。僕たちの生まれ故郷のような田舎だと、月夜にはぽっかりとひとつ地面に影が出来るわけだけど、これから行ってみれば判るように街灯なんてないから。でも都会だと朧月が出ていても、他にいろんな光源があるから、地面に自分の影がいくつも出来てしまう情景を詠んだ俳句かもしれないとも思ったんだけど。でも、そうじゃなさそうだね。いずれ、いろんなものという言い方は非常に俳句的ではないとは思う。俳句になりにくいというか」
「そうでしょうか」と靖子。
「たしかにおもしろい表現なんだけど、俳句としては避けたい危険な表現だな」
「そうか。かと言って、『いろんなもの』の代わりになる言葉って思いつかないだろ」
「うん、難しい。日頃僕たちが作っているようなものとはまったくの別世界だと思う。不思議な世界だね。作者はどなたでしょう」
「私です」と私。
「香奈さん。すごいすごい」
「うん、すごい」
「わたしなんて初めて句会に参加したとき、がんばって七つ作ったのに、一点も入らなかったの。香奈さん二点も取ってる」
すごいのだろうか。
「どうです、今のお気持ちをひとこと」
「意味とか考えてつくったわけじゃないから。思いついただけで」
「それはすごい」
「私の家の辺りってちょっと駅から離れると妙に静かで、帰り道ひとりっきりだなと急に心細くなったりすることが多いので、かえって『いろんなもの』を思いついたのかな」
「ひとりっきりってことで『いろんなもの』が出てくるところがおもしろいね」と神屋さん。
「病的とも言えるけど」と志々目くん。
けんか売ってるのか、こいつは。
「元木さんのうちって三鷹だったか」
「はい、井の頭線の三鷹台」
「井の頭公園に近いあたり?」と志々目くんが訊く。
「ええ、まあ」
「高級住宅地じゃない」
「そうなの」と靖子。「お正月に泊めていただいたんですけど、古くからの住宅地で、まるでテレビドラマみたいでした。優しいお父さんと働き者のお母さんと。可愛い弟さんまでいて。ああいう家庭ってテレビの中にしかないのかと思っていた」
「ちょっとオーバーじゃない、靖子」
いったい何時の時代のテレビドラマだ。靖子がどんなドラマを思い浮かべているか想像つかない。もちろん靖子がうちにいた間はみんな猫被っていたことは事実だが。弟なんてむしろ靖子の前では口もろくに利けない状態だった。日頃もちろん箸にも棒にもかからないクソガキであることは言うまでもない。
「でも三鷹のあたりって独特な気配のようなものはあるよね」と神屋さん。
「前に清神さんが三鷹の東京天文台に勤めている縁で、三鷹の大沢というところまで行って句会をしたことがあったけど、独特な寂しさがあったよ。うまく説明できないけど、人っ子ひとりいないという訳じゃないけど、妙に人通りが少ないところで、夕暮れ時なんか喩えようもないほど寂漠とした雰囲気で。ちょうどそういう季節だったのかもしれないけど。僕の育ったあたりに比べればもちろん家も多くて人が少ないってことではないんだけど」
大沢を三鷹台や井の頭公園周辺といっしょにされるのは抵抗があるが、市外の人にしてみれば所詮同じ三鷹である。
「いつごろ行ったんだ」
「三年前の秋か、あの時は志々目はいなかった」
「まだ俳句を始めていない」
「新宿からクルマで三十分程度であんな寂漠たる雰囲気を味わえるとは思わなかった」
「確かにあの辺は独特のものがあるな。寂漠とは違うかもしれんが、深大寺も近いし、『水木しげる文化圏』とでもいうか」
「『ゲゲゲの鬼太郎の里』というべきじゃないか」
『水木しげる文化圏』というのはまあまあのネーミングのような気がする。三鷹というだけで『ジブリ文化圏』呼ばわりされたんじゃたまらない。ジブリのアニメーションを見ていられなくなったのはいつ頃からだろう。この間、弟が借りてきていたDVDをなんかは、主人公の女の子が喩えようもなく気持ち悪くて十分も我慢できなかった。子供のころは別に見ていても大丈夫だったのだが、これも大人になった証拠か。ジブリにくらべれば『アヤナミのふくらはぎ』の方がまだましだし、『ゲゲゲの鬼太郎』のほうがずっといいと思える。
「話が逸れてきたって元木さんが指摘してくれるのを待っていたんだけど」と神屋さん。
「そうですか。そりゃどうも失礼しました」
「では次いきます。二十六番、朧の夜顔の肥えてるお嬢さん。やっちゃん。どうぞ」
「顔の肥えてるって表現がおもしろくていただきました。なんとなくカボチャみたいでかわいくて」
「カボチャかわいいか?」と私。
「僕も採っているんだけど、『顔の肥えてる』という表現がおもしろいだけに『朧の夜』が残念だ。もうすこし工夫が欲しい。朧月が席題だからしょうがないともいえるんだけど」
「これって朧月の夜に顔の丸い女の子に会ったって意味なんですか」
「どうなのかな、むしろ朧月の夜に大好きな女の子かなにかよくわからないけど、顔の肥えているお嬢さんのことを思い出したぐらいなのかな。もしそうだったら見事に出来が悪い句とも言えるんだけど。もっと違う読みも可能かも。はい、作者は」
「はい、志々目です」
「これって私のこと?」
私ははっきり言って、世に隠れなき丸顔である。実に円満この上ないこの丸顔に比して、靖子のほうは古典的な瓜実顔だ。古典的というよりむしろアルカイックという言葉すら使いたいぐらいである。顔の肥えてるとくれば、この場では私しかいない。
「なんでまたそんなことを」と志々目くん。
「この場で作ったとしたら、丸顔の女の子が『朧月』という席題を出したという情景を詠んだんじゃないの」
「考えすぎだって」
「へえ、これって写生句だったのか。斬新な解釈ですね。じゃ次いきましょう。二十九番、雁風呂や輪ゴムは祖母の管理する。これは男ふたりが採っています。じゃ志々目」
「これも不思議な句だよ。なぜか輪ゴムなんだよなあ。唐突に。しかも祖母が管理している」
「そう、『輪ゴムは』なんだよ。『輪ゴムは』。雁風呂や祖母は輪ゴムを管理するではなく、『輪ゴムは祖母の管理』なんだ」
「いづれにしても気になる情景。お祖母さんが輪ゴム飛ばして遊んでるのかな」
「それだと、可愛いおばあちゃんになっちゃう。わりとありがちだよ。むしろ日本ではよくある可愛いおばあちゃん像というか。この句の祖母はもっと何か違うような気がする。ぜんぜん違うこと企んでいるような」
「そうかな」
「あと雁風呂も曰くありげで」
「そうかな、俺は季語が動くような気がするけど」
「僕はもともと雁風呂雁供養って好きな季語だからかなあ。輪ゴムにぴったりという気がした」
「雁風呂ってなんですか」鴨がねぎしょってというようなものかと予想して、訊いてみた。
「雁風呂っていうのは雁供養とも言って春の季語なんです」と神屋さん。
「青森の津軽あたりの民間伝承で、雁は海の上を移動中に疲れると持っていた枝を海に浮かべてその上にとまって羽根を休めるという話があって。聞いたことない?」
「ありません」
「ともかく津軽の人たちは雁は自分で運んでいる枝の上で休むと言い伝えていて、春に雁が北へ帰ったあと、今年無事に帰ることのできなかった雁の数の枝が浜辺に残っていると考えて、浜辺に打ち寄せた枝を拾い集めて風呂と炊いて帰れなかった雁の供養をするという風習に基づいた季語」
「本当に?」
「本当にって?」
「本当にそういう風習があるんですか」
「今はさすがにやらないと思うけど、昔はあったんじゃないかな。ともかくこの話はこれでもかと嘘で塗り固められているでしょ。まず雁が自分で運んでいる枝を海に浮かべて休むと言うのが荒唐無稽で」
「そうですか」
「うん、航空力学やっている人間が聞いたら卒倒しそうなほどだよ。それに仮に百歩譲って雁が実際そういう行動を取っているとしたところで、浜辺に打ち寄せられた枝の数だけ雁が無事に帰れなかったというところも実に味わい深く嘘というか。僕はこういう嘘のインヴェンションとシンフォニアみたいなものは大好きなんだけど」
「よく憶えていたほうがいいよ。社は嘘の多重奏が好きだってことは」と志々目くんが私にむかって言う。
「嘘って色々あって、保身や責任逃れのためにつくような種類の嘘ももちろんあるけど、この雁供養にかかわるような伝承って、そういうものではなく単に話を面白くしようとしているだけじゃないか。こういうタイプの嘘って好きだな」
「嘘が好きなんだそうです」と再び志々目くん。「社が雁風呂が好きなのはわかったけど、この句の場合は輪ゴムが印象的なので、季語にはもっとさっぱりしたものを持ってきたほうがいいんじゃないか」
「それはなかなかの説得力。元木さんはこの輪ゴムについて何か感じるところは」
「ピンとこないです。やっぱりおばあちゃんが輪ゴム飛ばして遊んでいるのかなあ」
「いまふと『おばあさんエフェクト』という言葉があることを思い出した」
「おばあさんエフェクト?」
「おばあさんエフェクト、グランマ効果とでもいうか。あれは生物学の概念なのかな」
「俺は聞いたことないぞ。Grandma effect?」
「うん。じゃあ、動物行動学か人類学なのかな。他の霊長類や猿類と比較しての人間の独自性にかかわって出てきた概念で。人間のメスは他の猿のメスと違って、閉経期を過ぎて子供を産まなくなっても生きることが、人間の爆発的な数の増加の原因じゃないかという説。要するに年とったメスが自分の娘の子育てを手伝えるところが人間の優位を決定付けたとする考え方」
「さすが『根津の雑学王』、なんでも知っているな。でもその説って有名じゃないのがおかしいくらいだ。フェミニストが大喜びしないか。人間の文化って母親と娘の間の情報伝達が起源になっているって言っているようなものじゃないか。人間の文化の本質は女性が作っているなんてフェミニストは喜ばないのか。もっと違う立場なのかな」
「女性が人間の文化的なものを背負っているっていうのは『おばあさんエフェクト』を引き合いに出さなくても、一目瞭然だろ。たとえば、今ここで志々目と元木さん見比べたところで、あきらかに志々目の方が猿に近い印象がある」
「ほう、そういう展開で来るわけか。そりゃ、元木さんじゃ、相手が悪い。何しろ『いろんなものと』帰ってしまう人だから」
「今度は人を妖怪扱いですか?」
「そうじゃなくて、文化的だと言っているだけ」
神屋さんと志々目くんが靖子ではなく私を引き合いに出したのは良くわかる。靖子を持ってきたんじゃ洒落にならないからだ。
「最近流行りだよな、そういう動物行動学的物言いって。生物学の側からはそういう『おばあさんエフェクト』みたいなものは出てこない。むしろサル類に比べて人間は脂肪が多い、脂肪こそが人間性みたいな風潮だもん」
「人間ってそんなに脂肪が多いのか」
「チンパンジとヒトのDNA配列にほとんど違いがないことは喧伝されすぎているほどだけど、チンパンジはじめ類人猿やサル類とヒトの体脂肪の違いがやけに大きいことはあまり話題にならないよな、そういえば。ちょっと考えても見ろよ、ふっくらして丸みを帯びたチンパンジなんて想像つくか。それに大脳皮質だってほとんど脂肪だと言っていい。まあ大脳が大きくなるには脂肪酸結合たんぱく質の方が重要なのかもしれないけど」
体脂肪という言葉がするどく突き刺さるように感じられる私を人は特に異常だとは言わないと思う。
「生物学分野では、人類と類人猿の相違に関してはドコサヘキサエン酸のような必須脂肪酸が強い影響力を持っただろうと言われている。そこで水棲生物のたんぱく質の摂取が重要な鍵だとか、そういう方向に話は流れていくわけで」
「ふっくらして丸みを帯びたチンパンジか。確かにおらんような気はする」
「哺乳類で人間並みの皮下脂肪を備えているのは、イルカ鯨類や海豹のような海にいる連中ばかりだ」
「海にいる連中は身体を冷やさないために皮下脂肪を発達させる必要があったんじゃないか。ヒトや猿は熱帯性の動物だから、身体を冷やさない利点は余りなさそうだけど」
「そんな訳で人類の特徴と水辺での生活とのかかわりは完全に無視することはおそらく不可能だろうという話」
「そういえば、あれは面白い。三ヶ月以内のヒトの新生児は歩くことが出来ないくせに水中に入れると泳ぐんだろ」
「泳ぐと言ってもまわりの人間が手助けしなきゃ当然溺れてしまうわけだけど。でもまったく歩けないことを考えると、泳げると言ってもあながち間違いじゃない。もっとも脂肪に関して言えば、やっぱりそれは食糧事情への対処という点に利益がある。一キログラムの脂肪は九千キロカロリに匹敵するから、食料にありつけなくてもその一キログラムの脂肪で四五日は生き延びられる計算になる。食料の獲得が不規則な野生状態なら、チンパンジやゴリラに比べて圧倒的に有利だ。もし『おばあさんエフェクト』が幼児の死亡率を軽減させ人類の爆発的な増加に貢献したとしたら、皮下脂肪の蓄積はヒト個々の生存に非常に有利に働いたはず」
そんなことを話しながら、視線が靖子と私の胸のあたりを行ったり来たりしている。こっちにしてみれば一目瞭然なのに、当人はそのこと自体に気付いている様子もない。ここまで鈍感だと怒る気にもなれない。もしかしたらこの志々目くんはお得な性格だと言えるのかもしれない。
「何笑っているの、羽根さん」
「いえ、だいぶ前に六童さんのホームページのネット句会で見た多摩川でたまたまタマちゃん龍の玉っていう句を思い出したんです。あの作者の綾奈さんって志々目さんってことでしょ」
「うん、そのとおり」
「今の水棲生物の動物性たんぱく質摂取というお話で、あの句を思い出したものですから」
「うん、羽根さん良いセンスしている。あの句こそまさしく、水辺への哺乳動物の適応と人類の進化を数百万年に渡って鳥瞰した奇跡の十七音なのに、一点しか入らなかった。みんなあの句のすばらしさがわからないのだよ」
「普通はわからんだろうな」と神屋さん。
「大野さんの選だけ」
「そういえば大野さんは選んでくれたんだったよな。六人の句会で一点入ったんだからいいじゃないか」
「うーん」
「一キロの脂肪を落とすのに五日も絶食しなきゃいけないの」と志々目くんに訊く。
「一日なにも食べないで九千カロリに相当する運動をすれば一キロの脂肪が燃焼すると思うよ」そんなものなのか。九千カロリの運動って腹筋何回ぐらいに相当するんだ。
「余談が長くなってしまった」
「本当に今日は時間的余裕が違う」
「これだけ時間があると、句会の質まで変化するね」
「いつもはそんなに大急ぎなんですか」
「いつもまるで余裕無し。選ばれた句を読み上げるだけで精一杯。『おばあさんエフェクト』のおの字も出ない。今日は色んな意味でうれしい句会です。ではこの輪ゴムの句の作者の方」
「靖子です」
「やっちゃんが作者だと聞くと、ますます得体が知れない句だな」
「そんな」と靖子。私はむしろ靖子がどんな句をつくるかというより、私の知らない間に何回か句会に参加したことがあって、俳句の勉強もそれなりにしているように見えることのほうがよっぽど気になる。すっかり謀られたような気分だ。まったく虫も殺さないような顔して。
「好調だね」と志々目くん。
「ありがとうございます」
「次は、三十番、ロッカーにブラウスしまう花曇り。これは元木さん採ってますが」
「これは一番わかりやすかったです。正直言って、この四十句の半分ぐらいは何を言っているかさっぱりなんですけど。この句だったら意味を取り違える心配がないと思います」
「確かに見たとおり、解釈を間違えようもない句です。僕も採っているけど。ロッカーにブラウスを入れたという唯それだけです」
「わかりやすくて助かりました」
「正しくただそれだけだけど。印象的だといえると思います。ロッカーがよかったのかもしれない」
「そうか、俺はぜんぜんひっかからなかったけど。本当に春花曇の時期にロッカーにブラウスをしまうってだけだろ」
「この『タダゴト性』が俳句的な強みというか力なのかもしれない」
「本当かよ」
「技術的なことを言えば、ロッカーとブラウスっていうカタカナ言葉が響き合って印象的なのかもしれない。ロッカーを閉める金属的な音が聞こえてくるような感じすらする」
「そうか」
「どこが上手いとかといえば、ロッカーかな」
「そうかなあ。ロッカーといえば花子さんだろ」
「それこそ、その連想が効くのは俳句人口よりはるかに少なくないか」
「ロッカーといえば花子さん、大抵のひとには通じるぞ。元木さんだってロッカーの花子さんってわかるよね」
「ええ、まあ」
「ほら、黍団子といえば桃太郎、ふくらはぎといえば綾波、ロッカーといえば花子さん」
「桃太郎はともかく、世代的に限定されるだろ」
「黍団子で日本語を母国語にするほとんどの人は桃太郎のことを思い出すかもしれない。確かに。でも百人いればひとりふたりは桃太郎を知らない人が混ざっていないとは限らないだろ」
「そりゃ、どんなところにも例外的な人格というのは存在するものだから」
「ロッカーで花子さんを思い出さない人が仮に百人中六十人いたとしても、百人中ひとりふたりに比べて、それは単に程度の問題だと片付けられるんじゃないか」
「詭弁くさい」
「これは俳句に限らないと思うけど、どんなすばらしい作品だって百人中百人のひとにとってすばらしいはずはないだろ。まして俳句はその座に集った人たちの共通の教養、むしろ共通の語彙というべきか、季語も含めて、そういうものに強く寄りかかって展開するものじゃないか」
「でもさっき出た、黍団子とふくらはぎとロッカーについて言えば、語彙の質的な相違に注目しないわけにはいかない。黍団子で桃太郎を思い出さない人が非常に少数なのは、桃太郎が非常にポピュラな物語であることや長い年月語り継がれていて日本の言語芸術にそれなりの影響を与えているかもしれないことが主な原因ではない。およそ中国地方の人でなければ実際に黍団子を見たり食べたりする機会をほとんど持たないので、桃太郎の御伽話や童謡の中でしか出会わない言葉としてのみ黍団子があるのが、多くのひとが黍団子から桃太郎を思い出す理由だから。この辺ふくらはぎやロッカーと事情がまるでちがう。ふくらはぎやロッカーには多くの人が日常的出会うので、仮に五百年後に『ロッカーの花子さん』が桃太郎のような大衆性を獲得していたところで黍団子で桃太郎のようにロッカーで花子さんになるわけではないよ」
「五百年後、ロッカーというものが無くなっていて、人が花子さんの話でしかロッカーを知ることがなかったらロッカーという言葉で常に花子さんという連想はありえるだろ」
「そういう状況が成立していたら、ありえる」
「もっとも俺はそういう話じゃなくて、ロッカーの花子さん知っている人と雁風呂を知っている人どちらの数が多いかにはついてほとんどの俳人は気を配らないことを話題にしたかったんだけど。俳句は雁風呂を知っている読者をあえて想定して創作されることが多いという事実はあきらかにあるだろう」
「そういう話だと長くなるだろうな。ほとんど一冊の評論の題材になりそうなはテーマだ」と神屋さん。「この二十八番の作者は」
「はい靖子です。ありがとうございます」
「すごいな、羽根さん。稼ぐ稼ぐ」
靖子はともかくこのふたりは本当によくしゃべる。日本の将来を背負う若者が真昼間から黍団子のことや、てにをはの事ばっかりしゃべっていていいのだろうか。別に夜中だったらかまわないといっているわけではないが。海の向こうじゃ戦争やってるし。我々女性陣はともかく、若い男性たるもの、細かい言い回しなんて気にならないぐらいの方が世間的にはきっと受けがいいと思うぞ。
「ええ、この前は一点句がひとつだけだったのに嘘みたいですね」靖子はうれしそうだ。
「次は志々目が特選で採っています。二十九番、三月の兄弟同じ方角を見る」
「三月というからには、やはり中学生か高校生だと思うのだけど。『同じ方角を見る』というところに妙に力を感じる」
「なんで中高生なんですか。今急に思ったんだけど、小学生ぐらい十歳かその下あたりの男の子たちだったら、とても様になるような気がした」人が特選だというから影響されたのかもしれないが、急に良く思えてきた。
「うん。小学生じゃないとは言い切れないけど。少なくとも中年のおっさんの兄弟ではないと思う。三月というとどうしても卒業式と思うし、そうなればやはり中高生かなと」
「そうだね。四月だったらどうしても入学式と考えてしまう」と神屋さん。「やっぱり中学ぐらいの卒業式を想像して採らせてもらいました。最近は異常気象で桜も早かったりするから、桜の中、卒業する兄と在校生の弟が別々の席にいるのだけど、何故だか同じ方角を向いているという情景を想像しました」
「卒業式だから特選?」
「この句は三月の、兄弟同じ、方角を見るって五七五でも読むこともできるのだけど、やはり三月の兄弟、同じ方角を見るって兄弟で切って読みたい。このあたりの切れがなんとも十代の少年らしさ気難しさみたいなものを予感させて、いい」
「それだったら四十二番だって、 髪赤く染めて、日向に遠く坐すと読めるぞ。今からでも遅くない。こっちも特選にしろよ」
「いやだ。こっちの句は少年よりも作者の顔が浮かぶ感じで特選にならない」
「志々目に清記をまかすと、これだ」
「清記しなくたって、このメンツで『日向に遠く坐す』なんて書く奴は限られているからすぐわかる」
「また話が逸れて来たなあ。じゃあ、この三月の兄弟、同じ方角を見るの作者の方は」
「靖子です」
「本当に快調だね」
「点数を独占していると言っていいんじゃないか」
靖子の作ったいくつかの俳句の出来がよいのかどうか私には全然わからない。
「靖子、初めて俳句作ったのっていつ」
「去年の秋、今日の香奈さんみたいに急に句会に参加することになって。さっきも言ったけど、一点も入らなくて。香奈さんって初めてなのに採られているなんて本当にすごいと思う」
「やっちゃんはこの数ヶ月でとても進歩したよ。勉強しているのかな」
「ネット句会はよく見ていますけど」
一年の付き合いになるし、部屋へ何度も遊びに行ったこともあるが、靖子が俳句の本を持っているところなんて見たことがない。大体靖子の部屋には教科書以外の本なんか置いていなかったはずだ。でも実際のところ、神屋さんの影響だと思うが靖子もけっこう本を読んでいることは覗える。もしかしたら大事な本はベッドの下にでも隠しているのかもしれない。家柄にも美貌にも乳にも恵まれた無敵のお嬢さんなのだから、今更俳句まで上達しなくてもかまわないのに。
「次の二点句は、えっと、三十四番、やはらかき弟とゐる花の留守これは志々目とやっちゃんが採っています。やっちゃん」
「そうですね。やはらかき弟って、とても不思議ですよね。何が起こるかわからないっていうか」
「やはらかき弟って不思議だよな。堅い弟だとわかるんだけど」
「お前またそういうことを」
「太くて長い弟だったりすると、実におめでたくなるんだけど」
「そういうのはナシって言ったろ」
「はいはい、すみません。神屋先生。でも『花の留守』だし、これはかなり来てるぞ」
「うん、『花の留守』だな」
「これはとんでもないよ、明らかに」
「明らかかな。元木さんは採ってませんけど」
「みんな何言ってんだかわかりません。この中に私以外に弟がいる人っています」
神屋さんは志々目くんの方を見た。「いませんね。元木さんだけ」
「やっぱり、みんな弟というものを理解していないと思います」
「はい、ありがとうございました。作者は弟のいない慎一郎でした。では次、三十六番、春日傘恋の平行四辺形。これは元木さんと僕が採っています。元木さん」
「これは意味不明なんですけど、『恋の平行四辺形』という言葉が印象的で採りました。三角関係だったりするのが普通じゃないですか」
「やっちゃんは採っていませんが」
「言葉が羅列されているだけで、俳句になっていないような」
「志々目は」
「『恋の平行四辺形』っていうのはおもしろいといえばおもしろいんだけど、やっぱりピンとこないなあ」
「僕はいくつか理由があって採りました。やはり春らしい明るさがまず感じられるということ。理由を考えてみると春日傘です、やっぱり。Hの音が続いて来るところ。平行四辺形にもH音がふたつあって、この辺りの音の重なりが効果的だと思われます。それから『恋の平行四辺形』。これはかなり目立つ言葉だけど俳句に使われた例はないんじゃないか。この句の作者は意図したかどうかわからないけど、これは日本の文芸評論家がドストエフスキィの後期のいくつかの長編小説に出てくる登場人物たちの典型的な相関関係を表す言葉として使用したもので、ドストエフスキィ関連の書物だとけっこう見かけることができると思う」
「誰が使った言葉なんだ。小林秀雄?」
「いや小林秀雄じゃないと思う。確か最初に使ったのはけっこう有名な評論家だったんだけど、ど忘れしてしまった。思い出したら教えるよ。とにかく『白痴』の四人や『カラマーゾフの兄弟』のドミトリ、イワン、アグラーヤ、カテリーナの四人のことを差す言葉なんだけど、こうやって俳句になるといかにも春日傘のためにしつらえたような言葉で」
「その平行四辺形にはアリョーシャや親父さんはからんでこないのか」
「恋愛模様としてはもちろん関係あるけど、平行四辺形と呼ばれるような力のバランスから外れているだろ。やっぱりあの小説、ドミトリが主人公だし」
「そうだったのか。たしか最初のところで作者がかなりしつこくアリョーシャが主人公だって言ってなかったか」
「あれは書かれるべき『カラマーゾフの兄弟』の続編に関する予定として言っているんだろ。あの小説に関してはやっぱりドミトリだよ。それにあれだけ色々なことがあったのに、あの四人の関係に関してはなんの進歩もないあたりが印象的だし」
「神屋ってああいう世界の名作みたいなものは必ず目を通しているよな」
「実家にはそれこそ『世界の文学』っていう文学全集があるものだから中学高校のときにほとんど目を通した。でも『カラマーゾフ』に関しては好きでたぶん五回以上読んでいるけど。うちの両親、自分たちは本なんて滅多に読まないくせに子供が難しげな本を読んでいると喜ぶような善男善女だから、親が安心するもので十代のころは趣味は読書ですって感じだった」
「優等生だなあ」
「うちなんか、居間にはいまだに平凡社の世界百科事典が置いてある家庭だから」
「あ、それうちにもある」靖子にすでに目撃されているので隠すことはできない。
「へえ、元木さんのところにも。やっぱり居間に置いてあるの」
「ええ、今も居間に置いてあります、あれ。ごめんなさい」
「あやまることないじゃない」
「でも親父でもないのに親父ギャグかなって」
うちの両親も善男善女だと言えるのかもしれない。
「百科事典てのもインターネットが普及するまではそれでも少しは役にたったりしたんだけどねえ」
「『カラマーゾフ』はあんまり印象がないなあ。『罪と罰』はポルフィーリという検事がコロンボの元ネタだというんで期待して読んだんだけど、ずいぶん違うのに驚いたものだけど」
「『犯人は必ず犯行現場に戻る』というのはドストエフスキィの言葉だとか」
「あれはガセネタっぽいぞ。いずれにしろロシアの小説は苦手だ。登場人物の名前を憶えるのが一苦労だろ。『カラマーゾフの兄弟』だってアリョーシャが言うミーチャがドミトリのことだと分るまで時間がかかった記憶がある。そういえば『カラマーゾフの兄弟』でのスメルジャコフのアリバイ工作って完璧な印象があるけど、ミステリ関連の文献で扱っているのを見たことがない」
「アリバイ工作って癲癇を利用したあれか」
「うん、あれは鉄壁だよ。絶対くずせない。完全犯罪と言っていいくらいじゃないか」
「でもその後、病気になって死んでしまうじゃないか。ああそうか、最終的には首をくくるのか。熱に浮かされて法廷で金を見せるのはイワンだった。また話が変わってしまうけど、『探偵小説十戒』っていまだに生きているのか。変な訊き方だな。未だに効力があるのか」
「本格ミステリとかパズラとかフーダニットとか呼ばれている分野ではまだまだ完全に現役なんじゃないか。数年前ぐらいミステリと分類すると売れるという傾向があって一昔前ならSFというようなものまでミステリとして売られていたのでそういうものは無視するとしても、いわゆるパズラはあの『十戒』のようなものを敢えてしつこいくらい守ろうとしたりするものも多いし、意識して破ろうとする作者もいる。意識されているところが現役の証拠だと思うが」
「でも少なくともあの何番目かの『中国人を犯人役にしてはいけない』というのは、日本のミステリでは無効だろ」
「なんで」
「あの、『探偵小説十戒』って何ですか」
このふたりは放っておくと、周囲の人間が付いていけない話題を平気で続けていく傾向がある。さすが国立理系というかなんというか。
「ぼくも最近眼にしたばかりなんだけど、なんでも英国人のノックスというミステリマニアの司祭様が提唱した十項目のルール」
「『ノックスの十戒』とも呼ばれるんだけど。このノックスって人が千九百二十八年のアンソロジの序文でミステリ小説の望ましい十のルールを提唱していてそれが有名になったわけだが」
「そんなに古い話だったのか」
「うん。このノックスって人も相当変わった人だと思う。英国国教会で働いていたのに、カトリックに改宗したりした人だから」
「へえ、それは珍しいね」
「まあ、『真犯人は小説の早い段階で登場しなければいけない』とは『犯罪のトリックに超自然的な説明をつけてはいけない』とか『ワトソン役は読者よりほんの少し知能が低いことが望ましい』というような、ミステリを『フェア』に楽しむための禁忌集とでもいうか」
「それでさっきの中国人がどうとか言うのは」
「その『十戒』の五番目のルールに『中国人を主要人物にしてはいけない』というのがあるのだけど」
「『主要人物にしてはいけない』だったのか」と神屋さん。
「うん。それで日本のミステリでは無効というのは」
「だって、日本のミステリでは関係者全員が中国人じゃないか、もちろん英国人から見てヒマラヤの向こう側に住んでいるのはみんな中国人であるという意味での中国人だけど」と神屋さん。
「そうなのか、けっこう日本で思われているより、人は日本人と中国人を区別して考えてないか。いつか見た、英国映画だと思うんだけど『名探偵登場』だったかな、おバカ系のミステリもので、暗闇でも匂いで日本人は中国人と区別がつくという場面があったぞ」
「それはどういうこと」
「中国人は大蒜の匂いがするからすぐわかるくらいな意味だと思ったんだが」
「そういう意味なのか。でも確かにヨーロッパ人は全般的に民族差に敏感だな。それに見分ける眼を持っているって自負している人も多いかも。いつかスペインの観光地で似顔絵描きに『日本人と韓国人だって区別がつく、日本人は近づいていくと顔が緊張するからすぐわかる』って言われたことがある」
「日本人と韓国人は難しいよな。俺なんかいきなり韓国語で話しかけられたことなんて一回や二回じゃない」
「ぼくも経験あるな。そのスペインの似顔絵描きは自信満々で「あんたは韓国人だろ」って言っていた。むこうは仮にも人の顔のプロなんでおとなしく聞いたけど」
「その点、中国人は確かに表情がちがう。東京で電車に乗っていても、なんていうのかな視線に力があって周りから浮いているように見える人を時々見かけるけど、大抵となりの人と中国語で話したりしている」
「ちょっと前までは服装で区別がつくこともあったけど、今じゃそれはないもの。やっぱり表情は確実に違う。もちろん個人差はあると思うけど」
「あの、ミステリのルールの『中国人を主要人物にしてはいけない』っていうのはどういう理由なんですか」と私。
「そうそう、あれってどういう理由なんだ」と神屋さん。
「ノックスによれば、欧州では『中国人は頭脳が優秀だけどモラルが低い』という偏見があって、要はそういう偏見に寄りかかって小説書いているような作者のものはおもしろくないに決まっているから、避けたほうが良いと言いたかったということだけど」
「ミステリを作る上でのルールじゃなかったの。それじゃ読者へのアドバイスじゃない」と私。
「ミステリの場合、作者と読者との暗黙の共犯関係といったものがあるから、一概に作者の側だけのルールで事足りるわけじゃないんだ。それに『ノックスの十戒』に関して言えば、あれはミステリ制作上での実用的なルール集としてより、ミステリファンらしいちょっと自嘲的なユーモアが愛されているから長年話題になったりパロディの題材になったりしているんだと思う」
「『作者と読者との暗黙の共犯関係』ってなんだ、志々目」と神屋さんが訊く。
「ミステリ(推理小説探偵小説と言ってもいいけど)の読者は、最初っからそれがミステリであると知った上で読み始めるということ。いわば、筋を追ううちに魅力的な謎が提示され、最後にはその謎が解き明かされるという暗黙の約束を期待して読むので、作者の側も当然その約束を果たそうとするだろうという、よく考えるとまったく当てにならない了解のもとに一世紀も続いているのがミステリという分野というわけ」
「なんかヌルイ関係」と私。
「関係はヌルイかもしれないけど、実際にはしばりが多いほど書くのは難しい」
「俳句だって表立ったルールが際立っているけど、暗黙の了解ってのも良く考えると色々ありそうだなあ。でも表立ったたとえば季語みたいなルールはしばりでもあるけどそれ以上に作者にとって利益しているような気もする」
「でも季語に頼りすぎると、すぐ類想だの月並みだのって叩かれるじゃないか」
「類想とか月並っていうのは今志々目が使ったような意味とはややずれがある。もうちょっと微妙な問題のように思うけど」
「俳句はともかくミステリの場合、読者と作者の間にあきらかにゲームの規則のようなものが存在する。むしろそういうゲームがあることに意識的な読者層がミステリという分野を支えている」
「ゲーム性がミステリがよく読まれている原因なのか。ぼくはむしろ日常の生活で殺したい奴のひとりふたりいるけど実際に殺すわけにはいかないという人が多いので、殺人の出てくる話がよく読まれているのだとばかり思っていた」
「殺したい奴がいる人間が殺人の出てくる小説を読んだところでかえって欲求不満にならないか」
「日常生活でクルマを運転していてどこかに擦って小さなキズが出来ただけでも大抵の人は憂鬱になるけど、映画でカーチェイスの末クルマが次々に大破すると爽快になる人は多いだろ」
「また話が微妙にずれてきているようだが」
「ちょっと連想が働いたんで言ってみただけで多分関係の薄い話だな。まあそれは置いておいて。ミステリに限らずどんな小説でもある任意の読者層を想定して書いているだろう。少なくとも作者と同様の興味というか。それに共通の情報の蓄積。たとえば日本語で小説を書く人には日本語を理解する読者は不可欠だし。それに謎が解明される興味で最後まで読者をひっぱっていくのはミステリばかりじゃなくほとんどの小説がそうじゃないのか。登場人物たちがどうなるかが読者の主な関心ごとであるはずだろう。そういう興味を喚起になければ読者は読み続けてくれないだろうし、登場人物たちがある程度の定常状態に落ち着いたときに小説は終わることが多い」
「定常状態って?」
「たとえば主人公が死ぬとか、離婚が成立するとか、裁判が終わるとか、語り手がしみじみ幸せをかみしめるとか。そういったこと」
「ミステリの場合はそういう定常状態に対する認識が限られていてしかももっと読者側に依存しているような気がする。いわば読者に『謎はすべて解けた』と感じさせなければ」
「どんな小説も終わることで読者の期待に適えようとはしているものだとは思う」
「そういうものばかりではないだろ。社が言っていることは娯楽的な視点と世間では見なすんじゃないか。純粋に作者の内的かつ切実な創作欲求のみを起源とする作品もあると考えている人も多いだろ」
「へえ」
「純文学とかって、そういうものなんだろ」
「純文学? デカダンで耽美的なら純文学じゃないのか」
「それは完全に勘違いだぞ、社。お前、文学全集ほとんど読んだんだろう」
「うちには『世界の文学』はあったけど、『日本文学全集』はなかったからなあ」
「それにしてもちょっと信じられない勘違い」と志々目くん。
私は神屋さんがボケをかましているだけだと思ったのだが。
「美少年を椅子に縛り付けて山ほど受験勉強させるっていうのは?」
「それも純文学とは言わん」
志々目くんも変だけど、神屋さんももしかしたら変な人なのか。ちょっと心配になってきた。
「作者の内的な欲求のみを起源とする文学か。とんでもないことを言い出す人がいるんだな、世の中には」
「社は情報伝達優位のアスペクトだからなあ」
「最近はむしろ、俳句に限らず、芸術一般は受け手の問題だと考える傾向があって。仮にそこに名句があるとすればそれは受け取る側、読み手の手柄なのだと」
「極論だな」
「そう、志々目が好きな極論」
「また話がどんどんややこしくなってきてるぞ、いつものことだけど」
「じゃあ、ちょっと話題を変えよう。さっき気になったんだけど、その『ノックスの十戒』。えっと何年だったかな」
「千九百二十八年」
「そのころから中国人は頭がいいっていう定評があったんだな」
「なんか中国人といえば頭の回転の速い東洋人、日本人といえば愚鈍な東洋人って評価はここ十年くらいの流行なのかと思ったけど。そんな昔からあったわけだ」
「そんな定評があるんですか」と私。
「定評というより、事実としてあるのかもしれない。USでの知能検査では中国系の子供の平均値が最も高いって話を雑誌で見たことがある」
「日系人は」
「日系人の子供も悪くなかったけど、それでも中国系に比べると知能指数の平均は十ぐらい低かった」
「それって都市伝説か、よくあるエスニックジョークか何かじゃないのか」
「何年のどの州での調査がもとになっているって載っていたけど、もしエスニックジョークだとしたらタチが悪い」
「人種別民族別の知能指数なんてUSじゃ絶対発表できないだろ。ポリティカルコレクトに反するとか言って。もう確実に大騒ぎになる」
「そう言われれば、子供の調査であるにしろ、民族別に集計すること自体、横槍がはいりそうだな。でも出生地とか親のナショナリティで分類するという名目なら」
「そういうごまかし方をする人間ってどこの国にでも居そうだけど」
「でも元木さん、日本人はともかく中国人が頭が良いというのは多分確実なことのような気がする。まったく個人的な印象だけど。もちろん相手は十億人もいるのだから、個人差だって大きいだろうけど」
「私、中国人と話をする機会ってないから、そんなこと気にしたこともなかった」
「僕の場合、まず数に圧倒されている部分があるけど。インド人と中国人については。地球上にはインド人と中国人が住んでいて、あとは『その他大勢』って感じかな。日本人もスペイン人も英国人もアメリカ人もアラブ人もイラン人も『その他大勢』。とりあえず、インド人中国人が主流」と神屋さん。
「その印象は俺にもある」
「もちろん個人差はあるのだけど、インド人と中国人の頭の回転の速さは一歩抜きん出ているという気がどうしてもしてしまう。むしろ頭がいいから、あれだけ人数が増えたんだなと勝手に納得してしまうというか。人間に関しては知能が生存に大きく寄与する印象」
そりゃそうだ。これは正面きった正に正論の部類だ。誰だって頭の悪い奴と子供が出来るようなことをやりたくはならないと思う。
ちょっと沈黙があってから、神屋さんが口を開いた。「ええっと。いつまでも余談が続いてしまいましたが、作者はどなたでしょう」
「作者って」と私。
「この、春日傘恋の平行四辺形」
「はい靖子です、ありがとうございました」
神屋さんの表情に微妙な変化があった。神屋さんと私が選んでいる以上、作者は靖子か志々目くんである。神屋さんが靖子だと予想していなかったとも思えない。おそらく改めて作者が名乗ったとき、靖子が神屋さんの影響でドストエフスキィの小説を読んでいることや『恋の平行四辺形』という言葉を評論で見たことがあることに気付いたのだろう。少なくとも私は靖子がこの言葉を知っていて使ったことを確信した。私には年齢のちかい従兄弟やそれに類するものはいない。靖子が神屋さんを単に尊敬しているのかあるいはどんな気持ちでいるのか見当がつかない。まして神屋さんがどんな風に考えているかなんて完全に想像の埒外である。しかし、神屋さんがその辺にいくらでもいるごく普通の鈍感な若者ではないことは確かだと思った。おそらく志々目くんだったら、同じ立場にたっても何も気付かないし何も考えそうもない。
「次は、三十八番、爛漫の日向に配る甘茶かな。これは僕が採っています」
「特選だね」
「うん、すばらしい。ただひたすら明るい、まぶしいほど。こういう感覚ってありそうでないような気がする。尋常ではない」
「そうか。俺は全然ひっからなかったけど」
「『爛漫の日向』だからね。普通、春日向ぐらいに収まってしまうものだけど『爛漫の日向』。すごい、というか貴重だと思う」
「そういわれれば尋常ではないけど。なんか、ど真ん中の直球、三連投みたいな。『甘茶』はやりすぎじゃないか」
「甘茶なのに甘く流れていないだろ。もういじり様のない一句」
「誉めすぎじゃないか」
「やっちゃんはどう。採っていないけど」
「別に悪い句ではないですけど。きれいで明るいと思います」
「元木さんは」
「なんとも言いようがないです」
「では作者はどなたですか」
「私です」と私。
「元木さんなの」と志々目くん。
「すごい、香奈さん」
「社が誉めるなんて珍しいよ」
「元木さんが俳句に向いているかどうかはともかく、この句はすごいと思う」
「また作者がわかると素直に誉めないんだから」
「自分ではどこがいいのかわからないですけど」
句を出す寸前になって日向が季語でないことに気付いて、歳時記で目に入った『甘茶』を慌ててはめ込んで作っただけである。『春日向』という言葉を知っていたらそれを使ったことだろう。もしかしたら、神屋さんのように俳歴の長い人には、こういう考え無しの俳句が妙に新鮮に映るのかもしれないけど。
「いやすばらしいよ、自信を持っていい」
「そうですか」
「次が二点句最後です。四十二番、髪赤く染めて日向に遠く坐す。志々目とやっちゃんが採っています。やっちゃん」
「さっきも話が出たように中切れなんでしょう。『日向に遠く坐す』かっこいいですね」
「『髪赤く染めて』はどうですか」
「まあ現代の風俗ということになるんだろうけど、一歩離れて眺めている。どういうわけだか距離感がはっきり感じられる」と志々目くん。
「そうでしょうか」と靖子。
「距離感は確かにあると思う。これは男の子なのかな」
「男の子だと『坐す』というよりしゃがんでいたりしそう」
「男の子でもいいけど何人か男女混ざっているような気もする」
「俺は女の子がふたりぐらい階段のようなところで座っている風景を考えたんだけど」
「それは志々目的光景だな。説得力がある。しかし視線は赤い髪へ向いそうもないな志々目の句だったら」
「当然違うところへ視線が釘付けになっていることをごまかそうとして赤い髪と詠んだのかも」
「うむ、それはすごい読み。はい、作者は慎一郎でした。ありがとうございます。じゃあ一点句については、作者に名乗ってもらうだけで」
時計を見ると金沢到着時刻までそんなに時間がない。あっという間に時間が過ぎた。俳句なんてなれないものを相手にしていたので長い時間を退屈するだけの余裕がなかった。
余裕がないといえば、なんとなく靖子の表情がくらい。口数が少ないのは別に珍しくなくいつものことだが。神屋さんに俳句が上達したと誉めてもらったことも勘定に入れるとこの静けさは少し変だ。体調でもわるいのだろうか。おとなしいのは彼女の畑の肥やしにするほどある魅力のうちのひとつだといえるので、静かなのは気になるほどではないのだが、ほんのわずかに日頃より表情が暗いような気がする。日頃よりというより、新幹線に乗っていたときに比べても微妙な変化が感じられる。身のこなしなどはいつもと変わりないようだが、どこか表情に緊張感が漂っている。
神屋さんが俳句を読み上げはじめる。
「では、一番、ふらここの日向のずれてしまいけり。これは慎一郎です」
「三番、日陰より春の日向に手を振りおり。これも慎一郎」
「四番、朧の夜エンゲル係数痛快なり。これは」
「はい、志々目」
「五番、檜風呂浸かりし兄の声太し」
「志々目」
「八番、春セーターぬっと首出す弟子ふたり。慎一郎です」
「十番、小走りにつなぐ行列鰯雲」
「志々目」
「これはいいな。秋の句会でこれが出たら特選だった。次は十一番、歪みをるガードレールも寒の明」
「はい、志々目」
「十八番、たんぽぽに弟置いて戻りきし。不思議な句ですが」
「靖子です」
「十九番、レールはるかその一瞬で笹鳴きす。これは慎一郎です」
「二十二番、蓮華草空の彼方に不戦勝」
「志々目」
「二十六番、無愛想な方が弟春障子。いいですね。一点句なのが不思議なくらいだ」
「志々目」
「三十一番、日向水溜めて椿の家に住む。これは慎一郎」
「三十七番、同姓の墓の日向や桜狩。これも慎一郎です。ありがとうございました。そうだ、元木さん、四句出したでしょ」
「ええ、はい」
「点が入らなかったのはどれとどれ?」
「ええっとですね」自分でもよく憶えていない。「ええっと、十二番の亜麻色の象の行進春立ちぬと、二十三番の鶯やレールづたいに父がくるです」
「へえ、十二番は志々目の句かと思っていた」
「そんな、いっしょにしないでください」
「あ、冷たいなあ」と志々目くん。
「元木さん、本当に俳句つくるの初めてなの」
「本当です。歳時記だって今日初めて見ました」
「すごいなあ」
「うん、すごい」
「十二番も採っておけばよかった。考えてみれば、志々目だったらピンクの象の行進だもんな」
「それじゃ完全にアニメの世界だろが」
「亜麻色ってあたりで砂埃っぽいものを連想したけどね。一筋縄で行かない感じ。鶯の句のほうは、いかにも初心者らしいね。これぐらいだったらかわいいもんなんだけど」
「そうですか」
「『レール』という席題で『レールづたい』ときてしまうのはやっぱりちょっと安易だし、鶯という季語も取ってつけた感じで、これならじゅうぶん初心者に見えるけど、他の三句は俳句に興味のない人が作ったものとも思えない。得体のしれない気配を感じさせる」
「また、ひとを妖怪みたいに」
「誉めているんだよ。本当」
「香奈さん、『弟』の句つくらなかったんだ」と靖子。
「四つ作るので精一杯よ。四つ出来ただけでも不思議なくらい」
「私、香奈さんの作る『弟』の俳句見てみたかったな」
そのとき列車が停車した。駅に着いたのだ。
「ああ、着いた着いた」と志々目くんが立ち上がる。神屋さんも立ち上がり、男ふたりで網棚の荷物を降ろしはじめる。

後編につづく)

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