2010-05-02

【週俳4月の俳句を読む】神野紗希

【週俳4月の俳句を読む】
侵食しあうように……神野紗希


桔梗の芽母の手足をこすらねば  藤田直子

桔梗の芽は、黄緑色とうすぐらい桃色が混じったような色をしている。「こすらねば」ならない「母の手足」の血色の悪さを思わせるが、しかし桔梗の芽は、これから花を咲かせる生きた命でもある。育て育てと桔梗に水をやるように、母の手足をこすってやることは、母の未来を信じる作者の心の証左であるだろう。「こすらねば」という義務を帯びた言い方は、介護の大変さや倦怠感を感じさせるが、それがかえって、虚飾のなさを思わせる。それに、作者の本音は、きっと「桔梗の芽」という命を添えたことのほうにあるのだ。数ヵ月後、桔梗の花を二人で見ている時間を、読者である私も、つよく夢想する。

改札をとほるスピード桜咲く  満田春日

次々と駅から吐き出されてゆく人たち。改札の先には桜が咲いている。いつもの早さで改札を抜けたあと、思いがけず広がっていた桜の景色にはっとする、そんな心の華やぎが感じられる句だ。
私がこの句を面白いと思ったのは、「改札をとほるスピード」という、ある速度を見出しているからだ。改札を抜けるときというのは、基本的には徒歩で、走りはしない。けれど、もたもたしていると後続の人に迷惑がかかるので、できるだけスムーズに、はやく通り抜けようとする。そんな、絶妙な速度が、桜の枝が揺れたり、花びらが散ったりする速度と、わりと近いような気がする。
だから、この句は、「速度」を詠んだ句だと思っていて、それが新鮮だ。
〈大風のすこしも散らぬ雪柳〉は、「すこしも散らぬ」がやや理屈っぽい言い回しなのが気になったが、大風に身を揺られても散らない雪柳というのは、雪柳の花の丁寧なつきようを描き出せる場面として、魅力的だ。〈三四郎池に百千鳥の一羽〉の数字の羅列は、遊び心として楽しい。数字の大きさが、いちじゅうひゃくせん・・・というように順当には増えず、「三→四→百→千→一」と、がたがたしているのが、アンバランスでいい。

金箔がケーキに少し鳥の恋  蜂谷一人

金箔がほんの少しあしらわれているケーキ(チョコレート系だろうか)を、午後のティータイムに、窓をひらいて(テラスかもしれない)食べるのだろう。「鳥の恋」が添えられることで、句に金箔を輝かせる眩しい陽光が差し込むし、金箔の量も、鳥がついばむ程度の「少し」だと思えて素敵だ。そういえば、午後だと思ったのも、「鳥の恋」の春闌な気分が影響しているのだろう。

選んだ三句、見返してみれば、どれも取り合わせの形をとっている。そしてどの句も、季語とフレーズの互いが、侵食しあうように影響関係を持っている。どちらが欠けても、句の世界自体が成立しない。ひとつの像を結ばない。そんなこの三句のように、丁寧に、取り合わせを書いて、読んでいきたいものだ。


松尾清隆 飛花となる 10句 
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蜂谷一人 波蘭 10句 
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藤田直子 踏青 10句 ≫読む
満田春日 スピード 10句 ≫読む
田島健一 残酷 10句 ≫読む

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