江戸俳句・夏
寺澤一雄
『晩紅』第28号(2007年8月)より転載
立秋は八月八日。立夏が五月六日だったので、夏は九十四日続いた。七夕、お盆という行事が地域によっては七月の梅雨のまだ明けない時期に行われてしまう。夏なのに秋の行事というのは違和感が有る。なんでお盆を七月にやっているのだろうか。新暦にこだわらず、このへんの行事は旧暦に則ってできないものだろうか。
旧暦は月の運行により暦を作っていたが、これでは農耕の参考にならないため、太陽暦から二十四節気を取り入れている。新暦は太陽暦一本やりのために、旧暦の行事日程を切り捨ててしまった。いろいろと書いてないので、現代の暦は簡潔ですばらしいのだが、もう少しカレンダーに旧暦の知識を書き込んでもらえないものか。
淀舟や夏の今来る山かつら 上島鬼貫
立夏の気分を「夏の今来る」と言い切っているところが、気持ちよい。「山かつら」に呼びかけているのだろう。
遠眼鏡何処へ当てもわかば哉 卯雲
遠眼鏡で何処をみても若葉が見える。現代の言い方なら望遠鏡だろうが、今の人もこんな句を作りそうである。
蝙蝠や水へ遥な橋のうら 之房
船で橋の下を通ったとき、橋の裏から水迄は結構な距離があったことを思い出した。これも発見である。蝙蝠が橋の下を飛んでいる。
我染た幟見に来る紺屋哉 沙月
「幟」が季語であるために、俳句に踏みとどまれた句である。こういった俳句世界の辺境にある句が好きだ。よく踏みとどまっていたと感心した。
百姓の弓矢ふりたる照射哉 黒柳召波
「照射」は「ともし」と読む。夏山の獣狩の方法。江戸俳句を読んでいると照射を使った句がよく出て来る。現代ではこんなことをやっている人は居ないだろうが、当時は俳句の題材になるほど良く行われていたのだろう。改造社の『俳諧歳時記』を見ても、子規の句が一句載っているのみで、あとはすべて江戸である。子規にしても実際見た訳でなく、想像して書いたのだろう。
蚊屋を出て物争へる翁かな 大魯
翁と書けば、物静かな老人を想像していたが、この人はいったん寝についてからまた起き出して、人と罵りあいをしているのである。特に夏だからこういった音がよく聞えて来て、迷惑だったろう。
水音は水にもどりて水鶏哉 千代尼
水鶏がたてた水音が、静まる様子を「水音が水にもどりて」と書いている。この十二音は十分魅力が有るので、水鶏など捨てた方がよかったのでは。十二音技法で俳句を書いていると残念に思える一句である。
川ばかり闇はながれて蛍かな 千代尼
川が流れているところに、闇も流れている。蛍が光ることにより、闇の在処を示している。川、闇、ながれ、蛍は蛍を見に行けば必ず遭遇するものである。その四つを句に盛り込んで、面白いものに仕上げている。
蛍火や草の底なる水の音 赤羽
蛍狩りに行ったときの景色はこの通りだ。川の上にかかった草しか見えないのである。
我家に居所捜すあつさ哉 望月宋屋
家の中の涼しいところを捜している。日陰で風通しの良い場所である。そんなところで昼寝も良い。
我宿は下手の建たる暑かな 田福
という句もある。こちらには涼しい場所は有りそうもない。
ほととぎす啼やあふみの西東 黒柳召波
俳句に一番あう地名はと聞かれたら、「あふみ」と答える。昔から「あふみ」は俳句に使い込まれて来たが、現代でもよく目にする。果たして手垢まみれの「あふみ」だが、まだまだできそうである。季語と違って地名は季語と一緒に使っても、季重なり、季違いとか言われないので、どの季語とも合わせることができる。「あふみ」ほどの地名なら歴史的な広がりがあり、「あふみ」と言っただけで、読み手が色々と勝手に解釈してくれる。などの理由からである。
大木を見てもどりけり夏の山 高桑闌更
なんともあっさりした句。でも気持ちのよくなる句である。句会で出たら、とらなければいけない句だが、落してしまいそうでもある。私一人がとってさえいれば充分。
蚊をうてば我血も共にあやしけり 三宅嘯山
「あやし」は「あやす」でこぼす、したたらす、流すの意味。我が血どころ他人の血ということもあるが、大昔から営まれて来た景色である。
金もつてもどる夜舟やほととぎす 嘯山
かんこどりあすはひの木の枝に啼 二柳
夜の灯やここも住よし時鳥 加舎白雄
弓とりは弓持てきくほととぎす 加舎白雄
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