世界は俳句で出来ている
今週の五七五 no.03 ……さいばら天気
たった今、我慢のドスを抜きやした 映画「緋牡丹博徒 一宿一飯」
弟子●緋牡丹博徒シリーズの第2作。1968年、鈴木則文監督作品の惹句です。
師匠●おっ、惹句ね。今はキャッチコピーとかキャッチフレーズとか、ぺらぺらちゃらちゃした言い方が多いけれど、やはりここは「惹句」じゃないと、感じが出ない。
弟子●「たった今、」という入り方、いいですね。
師匠●藤純子、いいなあ。
弟子●今は富司純子ですね。って、そうじゃくて、「たった今、」。
師匠●うん、なかなかシャープ。その次の「我慢の」というところが重要でね。この頃の東映任侠映画、とりわけ高倉健主演の映画は、我慢に我慢を重ねて、最後にドスを抜く、というのが基本構造。
弟子●ひどい仕打ちに堪えて堪えて、クライマックスはなぐり込み、というやつですね。
師匠●で、悪役は新興勢力。つまり「近代」なわけ。「近代」の横暴に、「伝統」が立ち向かうという図式。だから、任侠映画の惹句には、「七五調」という伝統がよく似合う。
弟子●ほかのポスターも見てみましたが、だいたいは「七五」が基本です。右の画像はクリックすると大きくなりますが、「昭和残侠伝 死んで貰います」(1970年)。
行くなと言われて なお行きたがる
任侠気質(やくざかたぎ)はとめられませぬ
どこへ!?…と聞くだけヤボな殴り込み
8(44)で入って、7で押さえて、77。「どこへ!?…」以降は、「!?…」を一音の休符とすれば、575です。
師匠●どこへ?と/きくだけやぼな/なぐりこみ。みごとだな。
弟子●「日本侠客伝 雷門の決斗」(1966年)。
浅草(エンコ)が俺を呼んだから
ドスを抱えてきたんだぜ
こちらはスパッと歯切れよく、75/75の2行で決めてます。エンコは浅草の古い俗称ですね。
師匠●浅草公園の公園を逆さ読み。上野を「ノガミ」と呼ぶに同じく。
弟子●ギロッポンみたいなものですね。
師匠●まあ、近い。
弟子●ほとんどは浅草が舞台になってます。
師匠●それも近代vs伝統の二元論だな。浅草は古い遊興地で江戸趣味が残る地域。近代の遊興地は丸の内とか日比谷。そういう地域的な対照(例えば「コモエスタ三鬼 第9回 東京スペクタクル」参照)。
弟子●次は「日本侠客伝 刃(ドス)」(1971年)です。東京から離れました。
男の意地と無情のドスが
さびしく散らした恋の花
渡世一匹 返り血浴びる北陸路
77/8(44)5/775。これも調子がいいです。
師匠●おお! 十朱幸代!
弟子●いや、惹句の話です。
師匠●まんなかの字余り「さびしく散らした」も、ここですこし間(ま)をゆったりとる感じで、なかなかの技巧。
弟子●次はまた藤純子です。「日本女侠伝 真赤な度胸花」(1970年)は、77と78で決めてます。
知らぬ他国の夕日を浴びて
真ッ赤に咲いた女侠一匹!
師匠●ポスターがマカロニウェスタンみたいだ。
弟子●これは色遣いがもう「和」ではないですね。すごい。
師匠●「北海道長期ロケ敢行!」とあるから、ちょっと無国籍っぽいんだろう。
弟子●北海道といえば、網走番外地シリーズです。「網走番外地 大雪原の対決」(1966)。
女抱くよに
ドス抱いて!
また来たぜ!
雪のふるふる北の果て
師匠●これは7音に調整してるところが、たいへん興味深い。
弟子●あ、ほんとですね。「抱くように」じゃなくて「抱くよに」。「雪のふる」じゃなくて「雪のふるふる」。
師匠●いろいろと苦心や工夫がある。
弟子●次は「新網走番外地 流人岬の決斗」(1969年)。
親の、親のない子が生きるには
こうなるほかに
何がある
無理か、この世のはぐれ鳥
男 網走番外地
師匠●これは惹句というより歌詞かな?
弟子●そんな感じですね。冒頭、「親の、」の3音、繰り返しで入るやり方が。なんだかとてもいいですね。
師匠●あとのほうの「無理か」「男」に呼応させたのかもしれない。
弟子●では最後に、ちょっと七五調が崩れた例を見てください。「仁義の墓場」(深作欣二監督・1975年)。
俺が死ぬ時は
カラスだけが鳴く
七五調のリズムから遠いです。高倉健のシリーズとは違って、任侠映画というよりもヤクザ映画という括りだからでしょうか。
師匠●それはある。威勢のいい七五調ではしっくりこない。短いフレーズが七五から崩れると、ちょっとした虚無の空気も醸すみたいだ。
弟子●なるほど。しかし映画の惹句、なかなかおもしろいです。今のものも調べてみたいです。
師匠●惹句といえば、関根忠郎、山田宏一、山根貞男の対談・鼎談で映画ポスターの惹句を語る『惹句術』(講談社1986)の冒頭で山田宏一と山根貞男がこんなふうに言ってる。
山田 映画が作品として存在するのは、フィルムがスクリーンに上映されたときからなわけだけど、映画ファンとしてのわれわれの映画体験は実は映画を作品として見る以前から始まっていると思うんですね。(…略…)そこの部分は永遠に批評の死角になっていると思うし、映画ジャーナリズムにも含まれない。(…略…)まあ、映画ポスターが近年はすでに失われつつあるわけなんだが。
山根 映画を生きもののようにとらえると、その生きものは、たしかにスクリーンに接する以前から、ぼくらのなかに棲みついていますね。映画館に入る前の段階、もっと漠然とした社会環境において、生きものが息づいていて、そいつの気配をぼくらは呼吸している。社会環境というと堅苦しいけど、巷ですよね。映画はもともと、まず巷にあったんじゃないかと思う。例えば巷で、電柱とか塀に貼られた映画ポスターを見るとき、その雰囲気がすでにもう映画でね。
弟子●電柱に貼ってあるって、見ないですね。昭和の感じ。
師匠●社会のなかの映画はだいぶ変わった。その変化は近年、というよりももっと前。1970年代を思い出してみると、ポスターを見て映画を見に行くという行動はすでになくて、情報誌をめくっていた。
弟子●『ぴあ』創刊は1972年ですから。
師匠●映画ポスターに、惹句に存在感があったのは1960年代までかもしれない。
弟子●五七五の話からずいぶん逸れちゃいましたけど?
師匠●うん。でも、むりやりこじつければ、五七五が社会環境や人の心情のなかで存在感をもっていたのも、50年以上昔のことかもしれない。
弟子●もしそうなら、俳句や川柳、短歌は?
師匠●社会の支えをなくして、いかに社会に届けるかというのは、ひとつのテーマかも。「五七五で調子がいい」というだけではね。民謡の世界、演歌カラオケの世界じゃないんだから。
弟子●そういえば、七五調が、ものすごく恥ずかしいときがありますね。
師匠●日本人の血(笑)に染みついた韻律ということはいえても、そうだからこそ恥ずかしいということはあるだろう。土俗って、そんなもんよ。
弟子●なるほど。今回も勉強になったような、ならないような。ありがとうございました。
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