俳枕10
塩竈と佐藤鬼房
広渡敬雄
「青垣10号」より転載。
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塩竈市は古くから東北鎮護の陸奥一の宮鹽竈神社を有し、古今集の東歌「陸奥はいづくはあれど塩竈の浦漕ぐ舟の綱手かなしも」の歌枕。芭蕉も仙台、多賀城を経て松島の途中に尋ね、『奥の細道』に「宮柱ふとしく彩椽きらびやかに石の階九仞に重なり朝日朱の玉垣をかがやかす」と名文を記すが、句は残していない。
松手入してみちのくの港かな 中村汀女
男の別れ貝殻山の冷ゆる夏 西東三鬼
半夏の雨塩竈夜景母のごと 佐藤鬼房
御神馬も羽目板を蹴り梅雨長し 鍵和田秞子
佐藤鬼房は、大正八年、岩手県岩泉生まれ、二歳から塩竃に移り、昭和十年、十六歳で「句と評論」で新興俳句に参入、兵役と捕虜生活を経て当地に帰還。昭和二十三年頃から西東三鬼に師事、鈴木六林男と行を共にしつつ、みちのくの土着性の強い社会性俳句を生み出し、第三回現代俳句協会賞を受賞。
多くの病巣を有し、何度もの手術を重ねながらも強靭な反骨精神で個性豊かな作品を発表した。昭和六十年には、六十六歳にて俳誌「小熊座」を創刊主宰し、句集「半跏坐」で第5回詩歌文学賞を受賞し、高野ムツオ、渡辺誠一郎等の俊英を育てた。
当地塩竈の鬼房宅近くの交差点に「縄とびの寒暮いたみし馬車通る」の句碑、鬼房小径の広場に小熊座の星座の配列に「切株があり愚直の斧があり」等鬼房の七句碑が設置されている。
又、仙台文学館にも鬼房コーナーがあり、「陰に生る麦尊けれ青山河」の直筆の大きな墨書が印象的である。
歌人塚本邦雄は、「縄とび」の句を、縄とびもそれを操る者も否風景の奥にひそむ人々の生が虐げられ傷ついてゐると言う。
高野ムツオは、「青山河」の句を、スサノオが殺したケ(食物)の女神の陰から麦が生じたという古事記の神話を題材として、その陰は青山河の日当たりの悪い痩せた土地でもあり、貧困、病弱、流れ者の意識は同一性を求めて歴史を遡ると述べる。
又仁平勝は言う。かっての社会性俳句と呼ばれたなかで鬼房の作品は、そのロマンチズムで現代俳句の古典として今日に通じると。
齢来て娶るや寒き夜の崖
馬の目に雪ふり湾をひたぬらす
雪兎雪被て見えずなりにけり
かなしみは背後より来る抱卵期
やませ来るいたちのやうにしなやかに
残る虫暗闇を食ひちぎりゐる
翼あるものを休ませ冬干潟
秘してこそ永久の純愛鳥渡る
生涯に十三句集、多数の俳論集等の旺盛な作品を残し、平成十四年、八十二歳にて逝去。
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