2010-08-08

【週俳7月の俳句を読む】田島健一

【週俳7月の俳句を読む】
なぜ「ほとゝぎす」なのか …… 田島健一


ほとゝぎす包丁塚の濡れゐたる
秦夕美

「包丁塚」とは、亡くなった料理人の使った包丁を供養する塚のことだそうで、掲句ではそれが何らかの理由で「濡れ」ている。ところで、掲句はその「亡くなった料理人の使った包丁」という意味づけにおいて、心理的な悲哀を感じさせるが、一方でそれを俳句として昇華させているものは言うまでもなく上五の「ほとゝぎす」である。

俳句の解りにくさは、この「ほとゝぎす」のような季語の置き方にある。

もちろん「亡くなった料理人の使った包丁」という言葉のイメージから、叙情的な要素を読み取ってよいだろうし、そうなればますます「濡れゐたる」→「涙」のようなイメージと相俟って、その叙情性は増幅されると言えるかも知れない。

しかし、なぜ「ほとゝぎす」なのか。

当然、ここでの「ほとゝぎす」のイメージは、「声」としてのみ存在しており「姿」は見えてこない。そのことが機能的な面で中七下五との関連性から作者の位置を想像させる。そのような〈想像的〉な面と、前述の「亡くなった料理人の使った包丁」というような〈象徴的〉な面との二重性によって、読み手の「理解」が一時的に満たされるのだが、それでも、その後にどうしても謎が残ってしまうのだ。

なぜ「ほとゝぎす」なのか。

この疑問が常に謎として置かれているために、おそらく中七下五によって満足できてしまうような文学的素養の持ち主にとっては、上五の「ほとゝぎす」は、ただ単に五七五の定型を埋めるために、さらには俳句における「季語を入れなければならない」というルールに従っただけの、実に「俳句的」(否定的な意味での)で余分なものとして読めてしまう。いわば、この上五の位置には何が置かれてもよいのであり、そのことが、歳時記から五音の季語を探し出してきて配置すれば、それで用が足りてしまうのではないか、そこにはなんの「必然性」も与えられていないのではないか、という批判につながる。

もちろん、その謎について一時的に解答を与える二つの立場がある。

ひとつは「一見なんの必然性も与えられていないように見えるが、よく読んでくれ、この上五の「ほとゝぎす」は他の言葉には置き換えることのできない意味を含んでいるのだ」という立場で、この「ほとゝぎす」という上五について、さまざまな情報を持ち出し、それによって「他のことばには置き換えられない」ことを証明しようとする。

もうひとつは、そもそもこの「ほとゝぎす」という上五には意味がない、というもので、まさに「ただ単に五七五の定型を埋めるために、さらには俳句における「季語を入れなければならない」というルールに従っただけ」なのであり、けれどもそれを否定的にとらえず、それこそが俳句におけるポジティブな「価値」なのだ、という立場である。むしろそのような「意味のなさ」に俳句形式のもつちからを見出し、それによって遡及的に上五の必然性を主張する。(上五の「ほとゝぎす」には必然性がある、なぜならそれは俳句という形式がそれを求めているからだ)

いずれの立場も「ほとゝぎす」という上五が謎であるために、その謎という空虚な領域を必死に「埋めようと」する行為であり、つまり「俳句を読む」という行為は、まさに、これである。むしろ、いずれの立場も、その謎を「埋め尽くす」ことができずに、言葉をいくら尽くしてもそこに「ほとゝぎす」という上五が置かれたことの完全な説明がつかないために、常に作品に「とらわれ続ける」。

このことが、私たちが俳句作品と関わる場合の「主体」という概念について、ざまざまなことを教えてくれる。つまり、「主体」という概念は、私たちの「世界」の中心に確固たるものとして存在しているのではないということだ。それはまるで天道説から地動説へ移行するかのように、「主体」という概念が世界の中心に位置しているのではなく、むしろ空虚な中心を巡る惑星のようなもので、作品上の説明のつかない「隙間」/「謎」/「空虚な領域」の周りを距離を置きながら巡回しているものを、私たちは事後的に「主体」として信じるのである。(余談だが、阿部完市の第九句集のタイトルが「地動説」だったことが思い起こされる。)

掲句において、「ほとゝぎす」「包丁塚」というものが、そもそも「姿」を見せないものであり、そのために(ほとゝぎすの)「声」や「濡れ」るといった現象が、作品の起点(であると信じられているところの)としての「主体」をいわば〈象徴的〉に産み出すのである。

この作品と作品の起点としての「主体」との関係性と、作品と読者との関係性が相似形である、ということはおそらく偶然ではないだろう。つまり、作品における謎と対峙する作者の立ち位置を、さらなる謎として位置づけて、はじめて読者は自分自身の内側にある謎を発見するのである。


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