【週俳7月の俳句を読む】(下)
人間の泳ぎ方…… 菊田一平
夏八十夜 寺澤一雄
寺澤さんの「夏八十夜」80句は力作である。二十四節季(にじゅうしせっき)の夏のそれぞれを小タイトルとし、「立夏」16句、「小満」16句、「芒種」15句、「夏至」16句、「小暑」16句、「大暑」1句で構成されている。他が15~16句で成り立っているのに「大暑」だけが1句。この不自然さがまるで人間の盲腸のようにも思えてどこか可笑しくもあったが、内容が「心臓の止まるまで待て」とどきっとするような措辞だったので、もしかして作者が大暑の熱気にやられてへたばりでもしたのかと心配したが杞憂に過ぎなかったので安心した。小タイトルごとに気になった句を一句ずつあげてみた。
長虫のまん中咥へ烏飛ぶ 「立夏」
さすがに高学年になってからは止めたけれど、小学校の低学年のころ下校の途中で蛇を見つけるとしばしば寄って集って半殺しにし、木の枝に引っ掛けて海岸まで運んでは、逃げようと必死に泳ぎまわる蛇に石を投げつけてなぶり殺しにした。
蛇は生命力がとても強い。死んだと思っていても枝の先で揺られているうちに蘇生し、何事もなかったように首を持ち上げ、赤い舌をしきりに出してはあたりを見まわす。半殺しのときも枝がたわむほどに重かったが、舌を出しながら首を持ち上げると更に枝先の重さが増したように思えたものだ。
この句を読んでまん中を咥えた烏の知恵に感心しつつ、そんなもの咥えて飛ぶなんてさぞかし顎が疲れたろうなあと烏に同情しもした。
網戸して坂の途中の剥製屋 「小満」
吟行句のようにさりげないけれど、考えようによっては怖い句だ。坂の途中にある剥製屋。ショーウインドウには狐や狸やアルマジロや鰐の剥製が飾ってある。網戸に遮られて店内の様子ははっきりしないが、表に飾ってあるものよりもさらに大きい動物たちが置いてある。ところ狭しと置かれたそれらの奥に店主。銀縁の眼鏡の奥の目は表を通る人間たちの品定めをするように光っている。「網戸して」が、網戸の内の暗さまで読者に暗示させ、乱歩の小説のように隠微でスリリングな想像をかき立てる。
クロールはひとの泳ぎやたゆまざる 「芒種」
なるほど「犬かき」は犬の泳ぎだし、「平泳ぎ」は蛙の泳ぎ。たぶん「バタフライ」は本来蝶をイメージした泳ぎ方なのだろうが、「ドルフィン」と呼ぶのはさながらイルカに似ているからなのだろう。たぶん「クロール」と「背泳」こそが人間が考えついた泳方なのだろうけれど、じゃこの句を「背泳はひとの泳ぎやたゆまざる」としていいかというとそうはいかない。「たゆまざる」といったことにより、水面すれすれに開いた口から最小限の呼吸をして長い距離を泳いでいるスイマーの姿が見えてくる。「たゆまざる」が生きてくるのはまさに「クロール」だからこそなのだ。
夏館木造にして平屋建て 「夏至」
みんな知ってるし、もはや「家づくり」の格言のようになってしまっているけれど、「徒然草」の第55段は「家の作りやうは、夏をむねとすべし。」といった。掲句は「夏館」のあと「木造にして平屋建て」とくる。「木造にして」までは、「そうそう、そうだよなあ」と素直に肯いたが、「平屋建て」にはまいった。一瞬アメリカの郊外住宅やサンディエゴのオーシャンビューの家並みを思い出した。細かいことは抜きにして、住まいの究極はバリアフリーの平屋建てなんだと思う。けれどもなかなか諸事情がそれを許さない。一読、住宅物件の広告コピーのようにも見える句だが、下五の「平屋建て」で涼感がぐ~んと増した。
バーまでの略図に団扇売る男 「小暑」
Mさんは温厚でとても優しい上司だ。将棋がめちゃくちゃに強く、次から次へと挑戦者が現れるが社内で誰ひとり勝てたひとがいない。ところがその強さと同じくらいのベクトルで地図が読めない。初めての場所にまともに行けたためしがなかった。ところがやむを得ず地図を頼りに行った小料理屋のOだけは違った。ちゃんと自力でいけたのだ。それに気をよくしたのか、そのOに誰かを誘う電話をしていた。「そう。その角を曲がると大きなライトバンが止まっている。その先だからすぐわかる。ライトバンが止まってるからね」。「おいおい、たまたま止まっていた車を道案内の目印にしちゃあだめですよ!」電話を聞いていた誰かがあわてて声をあげた。もしかしてその「バーまでの略図」はMさんが描いたものなんじゃないだろうか。
心臓の止まるまで待て百日紅 「大暑」
考えてみれば今年の大暑は7月23日(金)、寺澤さんの「夏八十夜」の掲載が7月25日(日)。「大暑」が1句だけだったのは締め切りの関係もあったのかもしれない。それはそれとして「心臓の止まるまで待て」とはなんとも物騒な句だ。句意はよくわからないけれど、複数の人間が死に掛けている何かを囲んでひそひそ話し合っている景だけは鮮明に浮かんでくる。折しも「改正臓器移植法」施行後初めての脳死からの臓器移植がニュースで報じられた。季語の「百日紅」からして白日の明るさの元での会話なのに、不謹慎かもしれないがそんなことを脳裏に浮かべながらこの句を読んだ。
いやはや一喜一憂しながら80句を読ませていただいた。確か寺澤さんは第一句集『虎刈』以降、20年句集を出されていないはずだ。ブログ等で頻繁に読ませていただいてはいるが、近々にも第二句集で20年の成果を見せて欲しいものだと痛切に思った。
■秦 夕美 厨にて 10句 ≫読む
■後藤貴子 バナナの黒子 10句 ≫読む
■小林苑を 潮騒 10句 ≫読む
■寺澤一雄 夏八十夜 80句 ≫読む
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2010-08-15
【週俳7月の俳句を読む】菊田一平(下)
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