2010-08-08

ハンドベースの王者 中嶋憲武

ハンドベースの王者
中嶋憲武


小学4年だった1970年頃、遊びといえばもっぱら「ハンドベース」だった。

ゴムボールを拳で引っ叩いて、三角ベースを廻るスリリングかつイクサイティングな遊びであった。人数はひとチーム、3人から5、6人くらいまでで、ジャンケンで先攻後攻を決め、適当な場所に本塁一塁二塁を決める。本塁から一塁までの距離は、遊び場の広さによって、まちまちだった。雑草がベースの時もあれば、拾ってきた雑誌がベースの時もある。ピッチャーなどいない。本塁で打者が、バレーボールのサーブの要領で、ゴムボールを打つのである。アウトは、フライの捕球、走者へタッチ、もしくは投げてぶつけるのだ。ゴムボールは、テニスボールほどの大きさなので、あまり遠くへ飛ばない。が、スナミ君という同級生は、ボールを高くトスし、頂点でヒットする事により、大飛球をものにしていた。スナミ君はそれを「ジャイアント打ち」と命名し、誇っていた。

当時は、ゲゲゲの妖怪ブームが去って、スポーツ根性もののブームが到来していた。みんな魔球とか秘密の特訓が好きだったのだ。「ジャイアント打ち」は、魔球でも秘密の特訓の成果でもなんでもないが、遠くへ飛ばせるという事が、大きな魅力だった。

ある日、僕はその打ち方を真似てみた。それまでは、ゴロとか小飛球くらいしか打っていなかったのであるが、自分でもびっくりするくらい遠くまで飛ばせたのだ。スナミ君はその場でトスして打つやり方であったが、僕はベースの2メートルほど後ろまで後退し、そこから一歩二歩三歩と弾みをつけて、三歩めで打つやり方で、「ナカジマ型」と呼ばれた。僕は、ますます「ハンドベース」に熱中してしまい、マンガも描いていたので、「ハンドベースの王者」という劇画タッチのマンガも描いた。瞳の中で炎が燃えたりするのであるが、球場は原っぱで登場人物はみな小学生というマンガだ。

スナミ君は、転校して行き、「ジャイアント打ち」は僕の独擅場となった。不思議なことに誰も僕の打ち方を真似しなかった。「真似すればいいじゃん。大きく打てるのに」と思っていた。いま考えてみると、一体どこがどういう訳でジャイアントなんだ?

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