2010-09-05

【週俳8月の俳句を読む】太田うさぎ

【週俳8月の俳句を読む】
太田うさぎ
私たちの頭は蛸壺であって


「めし」はタイトルから想像できぬ金魚十番勝負。さまざまな技で金魚を描いてみせて読み応えがあった。

金魚にもめしの時間の来たりけり  たかぎちようこ

餌を「めし」と言い換えただけで、金魚が人間臭くなり、金魚と飼い主の距離がぐんと縮まる。水面に撒かれた餌に勢いよく食いつくとき、金魚は育ち盛りの少年のごとく「おーっ!!めしだ、メシ、メシ、メシ!」と思っているのかもしれない。そんな楽しい空想を誘う。


夜の部の始まつてゐる金魚かな  同

かつて金魚を買っていたときのことを思い出すと、夜の金魚はどこか昼とは異なる風情があったような気がする。部屋に差し込む自然光と、人工の灯りとの違いだろうか。さて、魚も夜は寝るらしいが、この金魚は「五時から金魚」なのだろう。体のくねらせ方や尾鰭の揺れ方、そうやって眺めると鱗も昼にはない輝きを見せているような。「夜の部」がなにか演し物めいていて面白い。


掬ふとき金魚もつとも濡れてゐる  同

水槽の魚を見ていて、水中にいるのにちっとも濡れているように見えないことを不思議に思ったことがある。考えてみれば、私たちだって泳いでいるときは濡れているとは感じないのであって、プールや海から上がったときに初めてびしょびしょの体に気づくのだ。金魚掬いや水替えで、彼らにとっては大気のような水から運び出されるとき、うっすらと水を纏った金魚は、ぬめぬめといかにも濡れているのだ。「もつとも」の発見が金魚に生々しい実在感を与えている。


煩悩のひとつは蘭鋳のかたち  同

うーん、上手いこと言ったものだ。なんとなく、どういう煩悩か察してしまてニヤニヤする。つまり、そういう蘭鋳型のモノが私の頭にもゆらゆら泳いでいるということだ。でも、私たちの頭は蛸壺であってそこには煩悩のタコが棲んでいます、と思うよりも、頭蓋骨は金魚鉢、その中に華やかにゆっくりと蘭鋳が泳いでいると考える方が、断然いい。煩悩を慈しめる。敢えて難を言えば、多用されがちな「ひとつ」はほかの表現が出来ないかなあ、というところ。



あまりにもぬりかべ的な夏青空  すずきみのる

雪女雪の結晶へと還元  同

実は私も昨年、「げげげ」のタイトルで鬼太郎十句をウラハイ特別(イロモノ)企画に載せて頂いたので、すずき氏の作品は気になった。自分の句がちょっこし恥ずかしい・・・

今年の猛暑は本当に厳しかった。雲ひとつなく、見つめていると息が詰まってくるような、無機的に分厚い青空。そうか、あれはぬりかべが貼りついていたのか。この比喩に大きく肯いた。

雪女の句は静けさを漂わせて美しい。吸血鬼は砂に、ゴーレムは泥に、人間は灰に。還元というそっけない言い方が、逆に結晶のはかなさを引き立たせているのではないか。



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