【対談】
うちらが今見ているもの
越智友亮×藤田哲史
●俳句におけるホームグラウンド
F : 今回は対談ということなんですけど「傘」をつくる理由を直接だらだらしゃべるよりは、現在の学生俳人がなぜ結社に入らないのか、とか、そういう周辺環境についてのことからしゃべっていきたいな、と思っています。
O : 了解です。しかし、藤田さんは「澤」に入っておられますよね。
F : でも、私はマイナーな方でしょう?
O : いや、優夢さんも入られているわけじゃないですか。
F : でもそれ以外…。
O : 確かにそうですね。
F : 特に『新撰21』の20代。しかも「俳句甲子園組」に的を絞ると、どうですか。
O : いいですよ。
F : その中に含まれるのは、神野紗希さん、谷雄介さん、佐藤文香さん、山口優夢さん。あと私たち2人。
O : そうなりますね。
F : 1/3が結社所属というのは、やはり少ない傾向としていいですよね。たとえば、あなたはもともと結社に投句していた経験もあるわけでしょうけど。なぜ結社から離れることになったのか?
O : 僕ですか。じぶんが作りたい俳句と結社でとられる俳句とが、違っていたのが原因です。あと、池田澄子に惚れてしまったから。
F : もともと、結社の先生の選ぶものがじぶんの選んで欲しいのとはちがう、のは、かならず起きることかもしれません。それを修行や、研鑽のための1ステップとは思わなかった?
O : うーん、主宰が好きで結社に入ったわけじゃなくて、句会していた仲間が入ってたから入った、という感じだし。
F : そのころの句会していた仲間というのは、どういうつながりだったんですか。
O : たまたま先輩が行った吹田東高校の句会に着いて行った際に、その指導者的な先生に誘われて…。なんか、思いっきりややこしいです。ただ「結社で修行」という概念もわかりますが、その時は、「自分が作りたいものを作る」というのをどうしても押しとおしたかった。
F : 越智は甲南高校出身で、しかも、そのころはまだ中学生だった。甲南高校は中高一貫校だったよね?甲南高校で句会はなかったの?
O : なかったです。僕がひとり、塩見先生(「船団」所属)や、山西先生(「田鶴」所属)、和田先生に見せていた感じ。だから、句会にいけることが素直にうれしかった。
F : そっか。しかし、甲南高校にはいろんな先生がいるのですね。幅広い。
O : そう。高1の時には、山西先生の紹介で、稲畑汀子さんが指導されている野分会に参加させていただいたりして、貴重な体験をすることができました。汀子さんはもともと甲南で先生をされていたんですね。廣太郎さんはOBでもありますし。その一方、塩見先生にもいろんな場所に連れて行ってもらいました。「船団」関係の句会やイベントを中心にですが。そこで澄子さんに会えたわけです。まさしく運命、みたいな(笑)。まあ、そんな自由な環境の中で、俳句をしてました。
F : ところで、そのころ、どういう句会仲間がいたとか、教えてくれませんか。
O : 中山奈々さんや、塩谷鉱世さんですかね。彼女たちにかなり影響を受けました。
F : 例えば、どういった影響を?
O : やっぱ口語調や句またがりといった技術ですかね。彼女たちのまねをしまくりまして、一時期険悪な関係になりましたから(笑)。
F : それは(笑)。でも、そういう環境こそ越智友亮の俳句のルーツでもあったわけだよね。そういえば、彼女達は自分と同い年くらいだから、越智よりは少し年上になってくるんやね。
O : そうですね。それに、もう俳句をやめちゃった同じ年の子たちもいました。
F : 塩谷さんは俳句をやめたと聞きました。今続けているのは…?
O : 中山奈々さん、だけかな。あと、吹田東つながりでは羽田大祐さんも続けているはず。
F : 2人というのは、さみしいすね。その2人は、いま2人とも関西にいるんですか?
O : はい、いますね。
F : で、2人は結社に入っている?
O : 2人とも、今年角川俳句賞の受賞が決まった望月周さんが所属されている「百鳥」に入ってますね。
F : 関西では結社に入っていないと続けられない印象があります。自分の高校の同級生も神戸大学に進学したけど、俳句と疎遠になってしまったようだし。一方で東京圏の俳句甲子園組は、結社に所属せずに俳句を続けている人は多いようです。まず学生の句会が豊富というのがあるでしょう。東京大学、早稲田大学、慶応大学。あと、東京女子大学。
O : たしかに、豊富です。やはり、学生俳句会の存在って大きいのですかね。
F : 同世代が集まるからね。結社だと、そういうことが少ないのではないですか。「澤」も含めて。いるにはいるけどやはり層が薄いかもしれません。それでも、学生俳句会のほうは指導に来て下さる先生の権力も結社ほどではないじゃないですか。
O : そうなってきますね。正直に言って、かなりゆるい(笑)。
F : 俳句のできる環境に選択肢がうまれはする。けど、俳句甲子園のダイナミックさと比べると、おもしろくないかも。それは否定のしようがないところがある。俳句甲子園はすごく非日常的で。句会は日常の中のできごとの1つで。
O : 俳句甲子園は団体戦であり、個人戦ではない印象ですね。俳句とはずれている。
F : 結社でも学生俳句会でもよいけど、あなたは句会に魅力を感じてないの?
O : そんなことはないですよ。例えば、「ゼロの会」はすっごく魅力があります。だから、続けたいとも思っている。
F : 何ていうかな。いろんな句会があるけど、基本的にだれもがホームグラウンドになるような句会を持っているでしょう?越智にとってのホームグラウンドってどこ?
O : つうの会。これに参加するために上京したといっても、過言はないかな。
F : 本郷句会と言ってくれないのがさみしい。参加しているのは?
O : 池田澄子、桑原三郎、原雅子などなど。自分にとって、尊敬できる人々ばかりです。
F : そう。自分がいたい場所ってどこにでもあるわけじゃない。俳句甲子園で俳句をやめていく人は、俳句甲子園が「ホームグラウンド」になってしまった人なんじゃないかな。
O : そうですね。OBOGとして俳句甲子園を支えようとするボランティアがいるわけですし。
F : 自分にとってのホームグラウンドは高校生の友達だけで俳句やってたときの感じ。先生がいなくてさ。1人1人感じがちがってて、10人しかいないから誰が作ったとかまるわかりなんだけれども(笑)。作者がわかってて取らせる面白さ(笑)。そういうのを無意識に求めている気がするな、今も。
●師事について
F : 今までは結社とか句会の話だったんだけれども、師事ってことについて少し。あなたは池田澄子の弟子ということですが、師事って何?マンツーマン授業?神野紗希さんも誰かに俳句を見てもらってるとか聞いたことあるけど。じぶんが言うかってなもんですが。
O : うーん、僕は澄子さんの人柄が本当に好きで好きで、こんな人に俳句を見てもらえたらいいなと思って。でも、なんか最近違うかも。
F : ちがうって何よ。
O : 俳句を見てもらう行為だけが、師事っていうことにはならない、ということ。傲慢かもしれないけど、弟子が師匠を越えなければ、師事という行為は意味がないのかな、と思って。だから、師事とは考え方の共有なのかな、と。最近考え始めて。
F : 考え方か。まぁ、共通項がないと喋って楽しくないもんな。
O : うーん、でも、難しいんですよね。
F : 感化される前から共通の考え方があったら、それはそうだろうけど。初心者のころから指導がかさなってくと、ある程度おなじ考え方にはなるでしょ、誰しも。
O : あー、でも、僕は違う。澄子さんの人柄に惹かれたから。結社における師事はそうやって生まれてくるんだ。
F : さぁ?イメージとしては親子の性格が似ている理由を言っただけでさ。自分の場合は 何年かボヘミアンみたくさまよって、先生がずっといなくて。だから、小澤實先生に関して言えば、「自分で先生を決めた」気持ちが強い。「結社育ち」という言葉はあてはまらないかも。少なくとも相子智恵さんを見ていると、こう、「師匠と弟子」の典型を見せてもらっている気がして、ちょっと羨ましいところもある。
O : だと、藤田さんにとっての師事ってなんですか。
F : 「師事」できたと思ってへんかも。それが何か知りたいくらい。
O : 藤田さんの略歴を見ていても、あまり「小澤實師事」とは明記してませんもんね。
F : すごく個人的な気持ちですが、「師匠」という言葉のニュアンスはもはや「神」に近くて。弟子って言うだけでも偉い感じがする。じぶんは偉い人はニガテなんで。弟子っていうより、ファン。あんまりおこがましく弟子は名乗れないです。
O : けど、じぶんはそれができない。だって、澄子さんは結社を持っていないからな…。
F : 同じ環境で育ったわけではないし、親子ぐらいの年齢差があるのに、その人と全く思想を持っているとは、おこがましい。そのどうしても越えられないものを意識してからが勝負だと思っています。それは自我とかとは全く別の次元で。
O : そうかな。全く同じは無理かもしれない。でも、それに近づけさせることは可能なはずです。
F : 近づけることに意味を感じていないというかね。それで最高値が叩き出せればもちろんそうするけど。どうもそうじゃない感じがする。
O : 最高値がでたかどうかわからない。でも、じぶんは澄子さんに会って、「言葉遣い」を意識するようになった。それだけでも、考え方の共有ができたのでは、と思ってる。まだまだ、ダメなところも多いけど。藤田さんは、なんで、そのように感じられたんですか。
F : 「俳句想望俳句」という言葉の中には、現代の俳句ではどうやっても出せない言葉の重みが古典にはある、という共通認識がある気がする。その古典っていうのは、芭蕉でもいいけど、虚子だったり小澤實であったりもするわけ。時間スケールが少し異なるだけで。「俳句想望俳句」≠「俳句」という。『新撰21』で見たとき結構その標語にぎくっとしたかな。何が言いたいかというと、じぶんの与えられる言葉を、いかに効率よくというか、うまく使いこなせるのを探していかねばならんなぁ、と思っています。
●「傘」のこと
F : 今回「傘」を出すわけですけど、モチベーションというか、結構この雑誌をどうしていくかに関してちょっと喋りましょう。ゆくゆく「傘」の仲間を増やすイメージで、フジタとやろうと言ってくれたのか、最初から最後まで2人なのか(たぶん、そうなんだけれども)。雑誌というか、ふつう同人誌には、その同人誌内で句会したりもするけど、2人で句会って、成立しにくいじゃないですか。しかも2人とも先生がちがうわけですよね。コラボレーションの仕方としてはかなり斬新ですよ。
O : はい、煮詰まってないですね。仲間を増やすというのは、今の段階ではないですよね。
F : うん。 じゃ、逆に1人で雑誌、というのは考えなかった?
O : 1人で雑誌はないですよね。だって、さびしいじゃないですか。もし、藤田さんとしていなければ、たぶん違う形で別の人と雑誌を作ってました。現に、詩人小林坩堝との話もあったわけですから。
F : そうなんですか。浮気された気分やわー(しくしく)。
O : 結果的には、めでたく結婚できましたやん(笑)。
F : あと、現実的に資金もね。
O : 資金は笑えないっす、正直。
F : ね。しかもvol.1がまさかのフリーと言う。胃が痛い。
O : でも、踏ん張りどころでしょ。ここは。
F : 「なんか若い人が作る雑誌って、見なくてもなんとなく感じわかる」っていうのが厭やったしね。
O : わかります。
F : これはちょっと見てもらわんと、という。まぁ、大きな流れのひとつとして、やってければな、って話ね。 いろんな人を巻き込んで行きたいなというのがあって。2人だけだからこそ、その他の人をいろいろピックアップできる強みってのがある。
O : 先日行った句会もその一部ですからね。
F : そう。第1回の特集が「佐藤文香」。でも、これははじまりにすぎない。
O : それは怖い(笑)。
F : 1人1人の評価軸をバックアップしたい。その意味ではどちらかと言えば評論にウェートを置きたいし。作品が全てってのもアリだけど、理論をかなり詰めた挙句、そこに当て嵌まりきらないもの。それにこそ価値があるのでは。そんなことを思います。
O : そうですね。けど、vol.2では「ライトヴァース」を取り上げるんでは。
F : 自分達が論じた「ライトヴァース」の範疇で消化しきれるだけの作家にはなってはいけない、という意味で。じぶんで垣根を作って垣根を越えるという。何と意味のない(笑)。
O : けど、なんか大事な気がします(笑)。その「ライトヴァース」に関係してくると思うのですが、先日、詩歌梁山泊が動き出しました。先を越されちゃった?
F : 「誰かがやればいい」って問題じゃないよ、これは。ゼミの発表でもさ、発表者がいちばん勉強するわけじゃない。
O : はい、これはじぶんたちがしなければいけない問題だと思う。絶対に、譲れないもん。
F : で、自分たちは短歌も現代詩も俳句もって訳じゃないでしょ?話が拡散しそうだから、ちょっとずつやろうって話だよね。不勉強なのもあるし。
O : そうですね。でも、勉強していてまたまた分からなくなってきました。
F : シリーズ物。全10回になったら、どーしよう(笑)。
O : たぶん、その前にばてそう(笑)。
F : ま、とにかく、どこの雑誌でもやりそうにない特集を組むのが売りですから。
O : とりあえず、vol.1で「佐藤文香」を特集したことは大きな意義があったかと思います。
F : それは反応次第です。自分でハードル上げるな(笑)。
O : そうなんですけどね、実際(笑)。
F : 内容ともかく、300部限定ですので、みなさんお早めに。創刊号で終わっちゃうかもしれないし。てんてろりーん。
O : そうですね。でも、そんな悲しいことにはしないから、大丈夫です。
F : こっちの気持ちが途切れなければいい。すごく気持ちが途切れることの怖さは知っているから。それでも出さずにはいられない、何か、だよね。みなさん9月9日発刊です。おたのしみに。
[fin.]
2010-09-05
【対談】うちらが今見ているもの 越智友亮×藤田哲史
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