2010-10-31

テキスト版 2010落選展 関悦史  ゴルディアスの結び目

ゴルディアスの結び目 関悦史

メルルーサの笑ふ市場をふと見たり
プレハブを松の影這ふ淑気かな
エリツィン亡しゴルバチョフ在り雲に鳥
ぶらんこは海底歩くかたちかな
バージェス生物群懐かしむ大干潟
壁紙蝕むばけものとして春の雨
蓬生や灯の東京を遠巻きに
フラクタルとは無数に如来蘖ゆる
幾何学の雪・月・花や手に小銭
遊ぶべきは受胎告知の奥なる野
尿道の中数百の凧あがる
何で梢に自転車かかる東風の大木
小UFOが家通り抜け春と思ふ
初鰹副流煙の味のして
エチゼンクラゲを感じつ歩行者天国へ
カツオノエボシのつもりで通るぞ幼女の前
市役所を千年迷ふ緑かな
マクドナルドへもビキニ日まみれなる美童
身の中のストーンヘンジ夏の月
青黴乾酪(ブルーチーズ)が虹にかちかち音を立て
睡蓮や貨幣は時の外にある
「正義」超えつつ菌となつて増えゆくや
シュレディンガー音頭は夏を「Ψ(プサイ)にΦ(ファイ)」
小惑星ぶつからば地球花火かな
網にかかる蛸とゴルディアスの結び目と
二〇世紀の美術はじまる泉かな
縁ふかき処刑機械ら茂るかな
血縁や迷宮に灼けあらゆる汚物
オイディプスの血の一滴がかかりけり
化学プラント即花嫁や灯に裸
雀蛤となり人名がよく燃えて
生きたしといふ願ひあり空蝉は
飛蝗つく銅像少女のいびつな尻
苦瓜の疣の全個を記憶せよ
ぬかご飯エロマンガ島が思はれて
中国産ニッポニア・ニッポン歩むかな
数千の虫が知らせに来てゐたる
虫踏むや「生まれ変はつたら恋人に」
ブックオフの剥ぎ得ぬ値札リラダン忌
巨大な石の西瓜に少し言ふことがある
枯蓮の或る一本はピストル撃つ
大根に窓あり我に希望あり
微恙われ長ねぎを持ち歌ひ踊る
長ねぎを仕舞つて水を飲み寝ねき
たはぶれに金髪生やす海鼠かな
ナマコすり潰され三月で元の形
準星(クエーサー)にタカアシガニの脱皮かな
投光やダイオウグソクムシ蝟集し鯨が骨
偽造物主(デミウルゴス)の闇鍋跡か曼荼羅も
管理地に枯蔓二十一世紀

4 コメント:

ほうじちゃ さんのコメント...

最高に素敵な一連です。私なら最低でも候補作に推します。HPのご作品も素晴らしかったですが、一層磨かれている気がします。

でも、角川に出したのが間違いです。あの編集部にこういう系統の俳句を心から理解できる人がいるとは思えません(有名な前衛俳人の句は掲載していますが、理解しているからではありません)。句意の通りやすい作品しか通りません。それに、すでに一定の経歴のある(新人らしくない)人も刎ねられやすいです。編集部が刷新しない限り、出すだけ無駄です。

「フラクタルとは」・「市役所を」・「網にかかる」・「二〇世紀の」・「偽造物主の」が秀逸だと思いました。ただ、言葉を活きしきれていない句も散見され、推敲の余地はあると思いました。

さいばら天気 さんのコメント...

メルルーサの笑ふ市場をふと見たり

メルルーサは私が子どものとき(あるいはひどく若いとき)急に耳に入ってくるようになった魚です。今から思えば、グローバリゼーションの予兆。それもちょっと情けなく市井レベルの予兆。

魚が笑うのでも、金魚や鯉が笑うのでもないメルルーサの笑い。


さて、この50句、タイトルがこうだからというのではなく、神話と解しています(この作者の俳句全般、そう、と自分的には)。神話「的」というのではなく、神話。

神話的「無時間」とは「超時間」のことでもありますから、単線的な時間経過を跳梁するような箇所がいくつもあります。くわえていえば雅俗(それはおおむね歴史に属します)の領域をたがいに侵犯しあうような箇所も多々。

ただし集合的に紡がれた神話では(事実として)ないわけで、だとしたら、トリックスターたる作者の遠近法のなかで構成された神話というべきでしょうか。

もうひとつ、ただし、歴史・神話の対照において、歴史=現実・神話=非現実というのではもちろんありません。歴史(的思考)と神話(的思考)は現実(認識)の2側面。

私たちがよく目にする俳句は、歴史の微細な断片と言えそうなので、神話たるこの作者の句群は、それらとは別、それらから遠いということは言えるかもしれませんが、これが俳句ではないかといえば、けっしてそんなことはなく、俳諧という根にしっかりと連続している気がします。

ファンシーでも詩的でもないこれらの句群の手触りは、まぎれもなく、現実であり、俳諧であると思っているのです。

関悦史 さんのコメント...

ほうじちゃさん

ありがとうございます。
取る取らないは度外視して好き勝手に作ったものでしたので、まかりまちがって取ってしまったら私の方が驚いたのではないかと思います。
角川俳句賞はそのときそのときの新人作品の中からスタンダードたりうるものを選んでいくというような機能を担おうとしているのでしょう。


さいばら天気さん

二重性とか別次元の横断とかいったことは少し意識していたので「神話」と取られたというのは面白く、ありがたいです。
これを作った後あたりからエズラ・パウンドとかトマス・ピンチョンとかいった、個のスケールを超えるものを書いた人たちの名を漠然と目標のように思い浮かべるようにもなりました。

中嶋憲武 さんのコメント...

カツオノエボシのつもりで通るぞ幼女の前

妻には去られた。子供は無い。45歳のわたしはきっともう晩年を迎えているのだろう。晩年にはきっと立派だと思っていたが、そうでもない。そうでもないのが世間というものなのか。ある朝突然に妻の置き手紙はあった。朝日のなかで微笑みながらその手紙を読んだ。われながらよく分からない微笑みだった。自分に呆れてしまったのかもしれない。離婚届も添付されてあった。

通勤の途上ヴィヴィアンウエストウッド学園の前を通らなねばならない。その学園は幼稚舎から高校まで兼ね備えてあり、崇高な女子教育を謳っていた。幼稚舎の煉瓦の正門には、たいてい7、8人の園児が屯していて傍若無人に騒いでいるのだが、わたしが通ると騒ぐのをぴたりと止め、通り過ぎるのをじいっと見ていた。なんとなく変な感じはした。そんなことが毎朝続いたがある朝なぞは、なかのひとりがわたしに向かって石を投げた。投じられた小石はわたしのリーガルのスリッポンのつま先を掠めた。わたしは少なからず反感を抱いた。

そんな事件があってからというもの、わたしは少女らの前を通過するときはわたし自身の気配を消すよう努めた。かと言って忍術の修練を積んでいるわけではないので、客観的に見て気配が消えているわけではなく、気分の問題なのだ。消えるぞ消えるぞと念を込めつつ歩く。ほらほら何もしないでしょうと思っていると、なかのひとりが近寄ってきて「ばか」と言った。

わたしは怒った。わたしの体長は50メートルほどになり、深海のなんとかいうくらげに似た生物になった。長い長い触手をぬるぬる伸ばし、園児らを傍らへ片付けてから、悠々と歩いていったものだ。

その夜離婚届に判を押した。