迷路 中塚健太
日記書く薊一輪挿し置きて
君といふ春灯を訪ふ迷路かな
逃水のやうなる恋に溺れゆく
水深は青の深さに春愁
蛇穴を出づ身の細る世なれども
理屈より抱かれてみむか春の野に
ふらここに揺れる心の乗つてをり
春の服手足芽吹くが如く着る
洗濯機咲いてしまひし春の風
自転車に恋人積めば春夕焼
宇宙とは天井の裏亀鳴けり
一生を約めて言へばしやぼん玉
かぎろへる君を慌てて摑まへし
万雷の拍手の鳴りて夏来る
初夏のキスはまだせぬ海岸線
ソーダ水さかなのをらぬ水族館
新緑の街は一年古りにけり
蔓薔薇や視線絡めてややこしき
シャワー浴び人魚の貌となりにけり
夏野かな光の果てに死のあれば
向日葵や声なき叫び一斉に
サングラス太陽の嘘見抜くため
ゼリー揺れ深海の色走りけり
胸中の泉澄むとき映るもの
瀧のごと膝より崩れ落ちにけり
網膜を夜空としたる花火かな
蛇口まで押し寄せてゐる水の秋
少女らの耳打ちせしも秋の声
秋天を留守に小鳥の来てをりぬ
鹿の目の食べつつ我を見てゐたる
秋の燈や人に小暗き過去のあり
秋の雨排水溝を急ぎけり
林檎切る芯に止めを刺すやうに
啜り泣く携帯電話萩の花
トランクに星月夜詰め町捨つる
足裏に東京硬し秋時雨
麒麟より冬に入りたる動物園
愛なくば憂しと思へり返り花
初日の出和室洋室いづれより
ストーブを岸辺のごとく家族かな
冬の日や波止場へ鴎見に行かむ
白息が列成す駅のホームかな
立ち去れと枯野の風に告げらるる
青ざめて海は鯨を悲しうす
手套外せば指は裸体の白さかな
光年のつめたき昔とどきけり
楽器屋に楽器静もる余寒かな
大空に春の水脈感受せり
春光の玻璃の中へと歩み入る
心音のとくんとくんと春の雪
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2010-10-31
テキスト版 2010落選展 中塚健太 迷路
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7 comments:
非常に良い連作。私なら候補作に入れます。「銀化」的な見立てや強弁の句が最高です。
予選落ちは、編集部に「銀化」的作風が理解されなかった結果でしょう。
現在の句風に自信を持たれても良いと思います。駄目な句はあるものの、その数は少なく、好きな句はかなり多いです(列挙できません)。応援しております。
48歳のオヤジとは思えないウブ(笑)な作品に、心強いコメントをありがとうございます。「角川俳句賞」そのものへの応募も初めてで、この「落選展」への応募もドキドキものだったのですが、出してよかったかも知れないと思いました。
新緑の街は一年古りにけり
新緑とは、1年の経過なのだ、と。ああ、そうですよねえと、気持ちよく頷きました。「街」がいいですね。
さいばら天気様
落選作なのに何かしら言っていただける「落選展」ってなかなかいいもんですね。コメントありがとうございます。
「少女らの耳打ちせしも秋の声」
たとえば、この句は一元句なのか、取り合わせの句なのかとふと思う。一元句とすれば、少女の耳打ちという行為もまた「秋の声」の一つであるということになるのだろう。情景として、少女達がおたがいにそっと耳打ちしあっている姿に「秋」らしさを感じたという、作者の繊細な感受力を思わせる一句ということになるのだろうか。少女達も秋の風景のひとつとして、作者の視界の中になめらかに溶け込んでいるのかも知れない。
取り合わせ句とするならば、「も」で一呼吸入ることになるだろうから、少女達の耳打ちする行為で一度世界は完結し、「も」はその詠嘆的な意味合いになるのだろうか。少女達の生き身の声と凋落の気を含む「秋の声」とのかすかな交歓の中で、ある種の命のかそけさのようなものが詠われているということにでもなろうか。
解釈としては、一元句とした方が自然かもしれないけれど、個人的には取り合わせ句として味わってみたいような気がする一句。
いきなり二句目三句目が〈君といふ春灯を訪ふ迷路かな〉〈逃水のやうなる恋に溺れゆく〉ときて、いっぽう〈新緑の街は一年古りにけり〉〈初日の出和室洋室いづれより〉というような句には、成熟した認識が感じられ、これはまあ、いわゆる「フェイク」入ってますな、マジではないですな、と。そこで、成熟と物語のクロスする、フェイクのフェイクたる一句を探そうとすると、こう、見つからないところが(かってな期待ではありますが)ちょっと口惜しい。
みのる様
いくら一元句でも「耳打ち」と「声」はつきすぎだろうと一蹴されておかしくない句です。丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。「かそけさ」という言葉を提出していただけて本望です。
上田信治様
コメントありがとうございます。恋愛の顛末に読める設定はフェイクですが、一句一句は大まじめ。未熟者なのです。「成熟と物語がクロスする」ほんもののフェイク(!)を目指し、精進いたします。
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