成分表40
おしりふき
上田信治
『里』2008年12月号掲載
「トイレに流せるおしりふき」が、トイレに二つ、二段重ねに置いてある。
「トイレに流せるおしりふき」は(株)花王の商品である。「おしり」の「しり」が漢字の「トイレに流せるお尻ふき」は、パンパースの商品である。「トイレに流せるおしりふき」を、自分の家では簡単なトイレ掃除に使う。二つあるのは、よくトイレットペーパーが二つ置かれているのと同じで、一つ使い切っても予備があるようにしておくためだ。
二段重ねの「トイレに流せるおしりふき」のパッケージは、家のトイレの棚で「トイレに流せるおしりふき」「トイレに流せるおしりふき」と、その商品名を繰り返し主張している。
「トイレに流せるおしりふき」が二つあるおかしさ。それは、アンディ・ウォーホールの「キャンベルスープ」や「エルヴィス プレスリー」を連想させる。同じものが二つあることは、どこかばかばかしく、危機的で、しかも太平楽なかんじがする。
だって、二つあるんですよ。
ふたつゐて同じやうなるかたつむり 鴇田智哉
アンディ・ウォーホールは「キャンベルスープの缶の絵を描く」というアイデアを、1961年に画商の男から買ったそうだ(嘘かもしれない)。画期的とは、歴史にくさびを打ち、それ以前と以後を別物にするアイデアを指して言う。複製され続けるキャンベルスープの、かったるい空しさのことなら、誰もが知っている。その空しさは、ウォーホールが形を与え、道をつけた。われわれは「キャンベルスープ」以後の世界に生きている。
そういう意味で、われわれは「古池」以後の世界に生きているので、アンディ・ウォーホールを持ち出さなくても、ものが二つあっておかしいくらいは、当り前なのかもしれない。
俳句はキャンベルスープのように世界を制覇しなかったので、「われわれ」というのは人口の限られたごく一部であるが、河骨は、二つ咲き続けているので、それでいいのだろう。
河骨の二もとさくや雨の中 蕪村
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