【週俳10月の俳句を読む】
湊 圭史
よっ、チャンピョン!
くんじろうの「ちょいとそこまで」は、「詩のボクシング」全国大会優勝直後のタイムリーな掲載(チャンピョン、誠におめでとうございます)。ネットの情報スピードと、「週俳」の目配りの広さに改めて感心。詩ボク大会でも炸裂したはずのうさん臭くも説得力抜群の手管が、この一〇句で十二分に堪能できる。
うどん屋の湯呑みですから箸ですから くんじろう(以下同)
「~ですから」と下手に出たわりにはあやしさ満点。語りかけでやんわりと引きこみながら、川柳式の省略で、でもあくまでも優しく足元をすくってくれる。「ですから」何ですかやて? まあ、それだけの話ですわ。ええからええから、とりあえず、うどんでもツルッといったらどないで?
茄子ありがとうございます 鰯
鰯から茄子への短信。茄子と鰯の炊いたんは美味しいですが、くんじろう氏、他人のフトコロだけでなく小鉢に入った料理にまで、すいと入り込む。真面目なことを言えば、茄子と鰯をいっしょに炊けば旨い、そのありふれた事実をどんな角度から描くか、そこで発揮される自在さが川柳の面白みのひとつ。
ぶかぶかの長靴桃は腐らない
郭まで母を迎えにゆく蛙
幼児期へのノスタルジーがくんじろう川柳の濃いくち味のベース。「ぶかぶかの長靴」と「桃は腐らない」は、過去と現在の対照として読める。過去の側からの実感に軸足を置いた、現代へ向けての批評的視線。「母を迎えにゆく蛙」は作者の自画像。街並みを抜けてゆく「蛙」の視線の低さが、リアリティとノスタルジーを同時に支える。
ご祝儀にしてはトーテムポールかな
ブランコの小倅阿弥陀様の洟
目出たい場にぬぼっと登場する「トーテムポール」の異物感。ブランコに乗る子供に(から?)突然たれさがる「阿弥陀様の洟」。遠近感を見だすような飛躍の意外さと、いつかどこかで見たような感覚がない交ぜになって、読み手の頭のなかにも、濃厚な時間の流れるくんじろう調の世界がセッティングされる。
弟よ水道代を貸してくれ
盲牌で薬を探す父の指
弟に水道代をせびる兄。うっとうしいが、兄ちゃんいい加減にしいや、と強く言ってやると、いやスマンスマン、と頭を掻いて素直に引っ込みそうでもある。病いの床で薬を探す時さえギャンブルが頭から離れない父。老いて細くなった指がじつに淋しい。困った人たちなんだが、妙に憎めない。
東京タワーの脚を百ぺらぺん撫でる
振り上げた拳にキスをしてやろう
「百ぺらぺん」は「百回ほども」といった意味。大阪弁、というよりは、上方落語の言葉。長年背負った仕事をスカイツリーにゆずるタワーをお疲れさんとねぎらっているのか、大阪もんの東京コンプレックスの発露か。まあ根もとを「撫でる」だけなんで、どっちでもよかろうけれども。「振り上げた拳」には「キスをしてや」るのが川柳家の流儀。でも、ここまで読み手にぐいぐい迫ってくるのはくんじろう氏ぐらいかなあ。
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2010-11-07
【週俳10月の俳句を読む】湊圭史 よっ、チャンピョン!
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