指一本の遊戯 金原まさ子句集『遊戯の家』を読んで
北大路 翼
『遊戯の家』には集名どおり「遊」があふれている。
以前「街」で金原さんの自選百句について書かせてもらったときは、文学的ナルシズムを批判した。死や性を感じさせる言葉に凭れていると感じたからだ。
ところが『遊戯の家』では文学臭は薄れ、自由度が増している。今回は「臭い」がどう拡散していったかみてみたい。
いくつもの要素で句は成り立つので、分類が絶対ではないが、分り易いのでいくつかに分けて考えてみよう。
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一つ目は「おちょくり」。肩の力が抜け文学的なテーゼを必要以上に背負っていない。やりすぎると俗に落ちるが対象と心理的距離感が絶妙だと思う。距離感が揺らぎを産み詩を育てる。
論陣の口にアメリカンチェリー嵌めん
裸寝の父は鳥葬にしてやらん
ふと見ると額に罌粟が付いていた
釘箱にサングラス入れたのは誰
母はヤナギでできているという父よ
青蜥蜴なぶるに幼児語をつかう
サンシキスミレは悪い花だなはいコーク
二句目、だらしない格好で寝ている父を空想で鳥につつかせる。五句目、じゃあ父はウナギか。言葉遊びにしても面白い。六句目、幼児の残虐性が大人にも投影。
目の青い天道虫は殺すべき
他にも視力に関する句があったが、ご自身で目を患ったときのことなのだろう。視力を詠んだ句群に関しては気負いがありすぎて失敗しているように思う。
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次に新しい境地としては「死」の肯定がある。
以前にも「死」がメインテーマといえるほど詠まれていたが、「死」の比重が強すぎて、その裏の「生命」が見えなかった。言い換えればイメージや他人の死で自分の死ではなかったともいえるだろう。今回は「死」と仲良くなって(あんまり仲良くしすぎないで下さいね)あの世のことまで見えてくる。
首に巻き忘れてしまう藤蔓は
鈍行でゆく天国や囀れる
老人の血はすっぱいと鳴く春蚊
二句目、囀りと天国の組み合わせはチープだが、鈍行がリアル。一人で死ぬんじゃなくて、みんな同じ電車に乗っているのだ。三句目、この「すっぱい」はいいなあ。初恋が甘すっぱいならこちらは渋すっぱいか。春蚊は遥かで遠き日の回想も。
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そして死とくれば当然エロス。肉感的な句が多くて、こちらはまだ衰えないぞと安心。
白板をツモると紅梅がひらく
隣人を窺いながら盗るザクロ
くらりくらりと童貞女だか鱏だか
合歓の家毛深い神が出入りす
赤いところで氷いちごは悲しんで
生牡蠣を朝食う貴族には勝てぬ
もぎたてを食べると木苺はにがい
パイパンにザクロにいちごに女体もさまざま。生牡蠣なんてもろでいいねぇ。しかも朝から。余談だが某出版社にいたとき書店から『強姦の丘』の注文があって、よく聞いてみたら『ごうかん』は『合歓』の読み間違いだった。
殻ぎりぎりに肉充満す兜虫
極めつけがこの一句。隆隆たる男根の句として絶品です!!最近兜太のモノも落ち鮎らしいのでこの句を見せつけてやりたいなあ。
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ラストは金原さんの真骨頂ともいうべき妄想の世界。普通は現実に身をおいて虚構を詠むのに、金原さんは虚構にいて、さりげなく指一本だけちょこんと現世に差し込む。簡単に成仏しない執念の地縛霊俳句(笑)だ。この世界は敬意をもって「嘘リアル」と呼びたい。
バフンウニのまわり言霊がひしめくよ
流氷を視ており牢屋へ入る前
スワヒリ語もて雷を怖がれり
たあと叫ぶ尺蠖が向き変えるとき
衣被モグラを剥くように剥きぬ
くちびるを噛みきるあそびプチトマト
よくこんなことを平気な顔してしゃあしゃあと詠むなあと油断していると、すっと指が一本が入ってくる。ウニのトゲ、網走のイメージ、スワヒリ語を話す黒人、シャクトリのくねり、モグラの手つき、プチトマトの食感。このリアルさはずるいなぁ。イメージだけどリアル、リアルだけどイメージ、そんなことはどうでもよくなってくる独自の世界。
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そんなわけでずーっと誉めて参りましたが、金原さんの自選十句はやっぱり文学臭が匂うから認めませんよ。なんてね。
大先輩には失礼ですが、これからも「不良」同士、切磋琢磨していきましょう。
僕が百歳になるまで、あと七十年は長生きして下さいね。
(著者注・最後は私信です。帯の句が気になる人は句集を読んで下さいね。)
金原まさ子(きんばら・まさこ)
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