2010-12-05

〔週俳11月の俳句を読む〕川嶋一美 お言葉に甘えたい

〔週俳11月の俳句を読む〕
川嶋一美
お言葉に甘えたい


枯木には雪が咲くから泊まつてけ  山口都茂女

「枯き木に花を咲かせましょう」は、花咲かじいさんのセリフ。この作品の一つ前に、「なべ磨くだけのばばさま冬日向」があるから、この作者の意図にクスッとする。海住みの醍醐味が夏とすると、山住みは冬かと思う。冬を迎える準備からして行事めいたそわそわ感があるようだ。「枯木には雪が咲く」頃は真冬。夜空には星が美しいに違いない「泊まつてけ」と言われれば、即お言葉に甘えたい。ぶっきらぼうに置いた言葉に味わいを感じる。



犀ほどの沈黙灯火親しめり  近 恵

団欒というよりここでは読書している様子かと思う。その没頭ぶりの喩えが面白い。夫か子供がモデルだろうか。なんとなく「犀ほどの」に、やれやれ、という思いがある。それでいてそこはかとした愛情も。読者には唐突な比喩が、作者には対象者への格好の比喩だとする、してやったり感が窺えなくもない。



乾びたる飯粒布団より剥がす  山口優夢

オリオンや眼鏡のそばに人眠る  同

「冬の一日」というタイトルが示すように、起床から就寝までを追ったような作りが面白い。夢から覚めて味気ない現実が始まり、また夢の中へ入っていくという紙芝居ならぬ俳句によるパフォーマンス。もちろん独立した一句としても鑑賞可能。「乾びたる」の作品のリアリティーには、日差しとともに冬旱を思わす膨らみを感じるし、「オリオン」の作品には、季語とともに、一人寝ならぬ、「眼鏡」をかけがえのない相棒として眠りにつくという、程の良い抒情性がある。



宅配の男の走る秋旱
  柘植史子

飛脚マークの宅配会社があるが、そう、「宅配の男」はいつも走っている。駐車時間と関係するのかもしれないが、スピーディー且つ確実に届けるという使命感のアピールとも感じられる。365日走っている「宅配の男」を、「秋旱」という季語で捉えているところにこの作者の感性を思う。そんな天候の微かな風と乾いた音とともに鮮明な像が浮かんでくる。

おほげさな風の来てゐる萩の庭  同

「萩」の吹かれ様が、「おおげさ」だという捉え方に頷く。人の背丈を優に越している「萩」の「庭」だと尚更。萩と風はセットのように多く詠まれているが、この見方は、面白いと思った。こうしてみると、両作品ともに視点が共通しているように感じた。



生牡蠣の銀器にあれば銀の味  清水良郎

牡蠣というと土手鍋、或いはせいぜいフライとして食べていて、大人になってから、フランス料理のオードブルなどのモダンな食べ物として知るようになった。「生牡蠣」も子供の頃は未知のもの。そういえば無花果の認識も私の中で変わった。今では全く野暮ったくなく、とてもお洒落な果物になっている。この作品もモダンな牡蠣。高貴ともいえる「銀器」の中にぽってりと置かれた一粒の「生牡蠣」。「銀の味」とは、その滑らかで冷たい大人としての味覚に他ならない。



草虱整理整頓しなければ   寺澤一雄

「草虱」が沢山服に付いてしまった状況から引き出された思いかと想像するが、払拭しなければ、とする思いに共感を抱く。「整理整頓」という言葉の響きも気持ちいい。

横恋慕するや真葛のはびこれる   同

この作品も、辺り一面の「真葛」から引き出された感じがある。相聞のような雰囲気を持つ作品。

雁渡し電車に前と後ろあり  同

電車は進行方向によって「前」「後」が変わるだけのこと。しかしこの作品の断定は、やや遠景として走っている眼前の電車を詠んでいるのだろう。ローカルな一輌電車のような感じがしないでもない。季節がバトンタッチされていくような想像も可能だ。


彌榮浩樹 昼の鞄 10句  ≫読む
武藤紀子 ゲバラの忌 10句  ≫読む
柘植史子 鎌 鼬 10句  ≫読む
清水良郎 父の頭 10句  ≫読む
近 恵 赤丸 10句  ≫読む
久留島元 五十音図(抄) 10句  ≫読む
山口優夢 冬の一日 10句  ≫読む
寺澤一雄 秋 九十九句  ≫読む
山口都茂女 泊まつてけ 10句  ≫読む
〔投句作品〕
久乃代糸 肌ざわり ≫読む
富沢巧巳 魚の粗をしゃぶる会が詠む ≫読む
高橋透水 ぶらり・酉の市 ≫読む
矢野風狂子 兎は逃げた ≫読む
俳句飯  つくりばな ≫読む

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