2010-12-12

林田紀音夫全句集拾読145 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
145




野口 裕



金箔の彼方さざめく佛具の暗
海藻のゆらめき夜へ燈明を足す

昭和四十九年、未発表句。後年の、「不眠の夜藻のさざめきのいつよりか」(昭和五十七年「海程」、「花曜」)を思わせる二句が同一頁にある。偶然ではないだろう。

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田の水に映え老人として残る

昭和四十九年、未発表句。この年に五十歳になる。紀音夫の自意識の中では、既に老境に入っている。畦道を行き、ふと目に止まった景にしばし立ち止まる。また歩き出す。目に止まった自身の姿は脳内に留まる。外界を緩やかに流れる時間、歩行の進行と停止が生み出した時間のたゆたいを感じる身体感覚、老いという終末意識。「残る」がすべてを混淆し、意余って言葉足らずか。

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いちにちのはかなさの水手を流れ

昭和四十九年、未発表句。昭和五十一年「花曜」に、「てのひらを水過ぎて山暗くなる」。紀音夫には、一年でも二年でも句想をあたためておく癖があるので、発表句が上揚句の変貌語の姿と考えてよいだろう。しかし、良くなったとは言いがたい。

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雨の糸身重の階を降りてくる

懐胎の形と影に雨の糸

昭和四十九年、未発表句。雨の日に妊婦を見かけた。ただそれだけのことだが、いのちの不思議さを思わず感じる。「雨の糸」が紀音夫の常套手段ながら効果的。

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足音靴音ながくつづいて雨更ける

昭和四十九年、未発表句。足音を立てるのは作者自身の歩行。室内では足音を立て、戸外では靴音を立てる。雨音に紛れることのないそれに、ときおり聞き入り、また当面の行動に戻る。そんなことを繰り返しているうちに時間がたつ。雨のせいか夜がはやい。足音に聞き入る間隔がどんどん短くなり、いつの間にかそれしか耳をすますものがなくなった。

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