「週俳の2010年」回顧
〔3〕七月~九月:第167号~第179号 ……さいばら天気
第168号から関悦史、神野紗希、山口優夢3氏のローテーションによる週刊俳句時評がスタート。第1回は神野紗希さんの「世代論ふたたび」。阪西敦子さんの「俳句つながり・つなぐ人~大高翔さんへ」掲載もこの号。
第169号には、小野裕三さんの「「俳句想望俳句」の時代 2010年代の俳句を占う」を「豆の木」誌より転載。高山れおな氏が『俳句年鑑2011年版』で今年の評論のトピックとして挙げる重要論考。まら島田牙城さんが「仮名使ひのこと再び 高山れおな氏の時評に触発され て」を執筆。さらに、山口優夢が「週刊俳句時評第2回・俳句は読まれるようになったのか」で7月に終刊となった『豈 weekly』について書いています。
第170号は、広渡敬雄さんのシリーズ「拝枕」を2本まとめて掲載(「青垣」誌からの転載)。Yoshiko McFarland さんに米国ワシントン州「フェアリーとヒトの大会」参加レポートを寄せていただいたのも、この号。
第171号には、山口優夢が「俳句甲子園と僕」を、さいばら天気が『現代俳句』2010年8月号、『ににん』2010年夏号、『Leaf』第2号、『バックストローク』第31号の4誌を併せて読んだ「枠組みのようなものについての漠然とした話」を執筆。ひさしぶりの「暮らしの歳時記」は「番外」として中嶋憲武さんが「裸にサングラス」を寄稿。
第172号には【特別作品】として、松本てふこさんの「フジロックみやげ」12句。「現俳協青年部 シンポシオンⅡ『俳句における自動機械』 レポート」として、太田ユリさん、藤田哲史さんが記事を寄せてくださいました。また、久留島元さんは「やっぱり季語が好き『俳句界』2010年8月号を読む」を寄稿。
第173号では、石原ユキオさんと江渡華子さんがそれぞれ俳句甲子園をレポート。
第174号では、高校生が語る俳句甲子園。上原花、田中志保里、福井蒼平、山口萌人各氏に貴重な「俳句甲子園」観が展開されています。
第174号と第175号の2回にわたって、生駒大祐さんと藤田哲史さんが対話形式で『別冊俳句 俳句生活 一冊まるごと俳句甲子園』「卒業生新作8句競詠」を取り上げます。
第175号には、たかぎちようこさんの「めし」10句と高山れおなさんの「昨日の明日のレッスン 46句 岩片仁次句集『虚邑残闕』を読みながら」が並びました。
第176号は【特集】傘[karakasa]。席題句会U-30、対談「うちらが今見ているもの」、生駒大祐さんの「僕とフジタが『MOTHER MUSIC RECORDS』を聴いていたころ」などバラエティに富む特集。第176号にはまた、関悦史さんの時評「子規の「写生」と兜太の「造型」の相同性についてツァラとレーニンに訊く 」は、マクガフィンから語り起こし、レーニンの「客観」を経由して、兜太へと到る「知」の旅程。
第177号の上田信治「美味そうな句と不味そうな句」は『俳句界』(2008年9月号)を改稿転載。さいばら天気の「真説温泉あんま芸者」第5回は「ものには言い方というものがある 山田耕司による池田澄子論」。
第178号では、神野紗希さんが時評「「俳句に似たもの」のゆくえ」を執筆。第179号には、西村麒麟さんが相生垣瓜人を取り上げています。
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