2010-12-19

商店街放浪記42 大阪 中崎 後編 小池康生

商店街放浪記42
大阪 中崎町 後篇

小池康生


ケーキを24等分したような街にはまだ辿りついていない。
まず、この『天五中崎通り商店街』を抜けなければいけない。

それがなかなか抜けられない。

<堀内酒店>で呑み、<高山文庫>をのぞき、うろうろ、うろうろ。
この界隈、ゆったりしていて大変よろしい。

枯れた味というのか、のんびりしていて嬉しい。
しかし、それは、シャッター通り化に近づくことだから、お店の人たちは、のどかなんて言ってられないだろうが・・・。

アーケードの端っこが見えてくる。

もうすぐ抜けられると思ったら、先を歩く皆の足が止まっている。
何があるのだ?皆の体の隙間から、17円、21円、22円の貼り紙が見える。
アーケードを見上げると、『鳥梅』の看板。

近づくと、それは卵であった。
三つの箱に、微妙に値段の違う卵。
卵の下には藁が敷かれ、それぞれバラ売りである。
懐かしい。昔の公設市場では、こうして生卵が売られていたものだ。

鳥屋さんであるから、当然のことながら冷蔵のショーケースでは鶏肉が売られている。加えて、店さきに卵のバラ売り、その横には、箱の上に板を置き、焼き鳥を並べている。一本70円で、ネギ間や焼きレバーが売られているのだ。

買い食いが始まる、わたしは、レバー。タレのツボがあり、自分で浸ける。あまり漬けると自分の足に落下してきそうだし、ある程度つけないと楽しくないので、適度に、しかし、たっぷり感を味わえる程度にタレを漬け、素早く口に放り込む。この時、顔が斜めになるだが、他のメンバーを見ると、やはり顔を斜めにしつつ串を咥えている。

冷蔵のショーケースの上には、なぜか、ウルトラマン7の人形がたくさん並び、それぞれに油塗れである。この店、全体が昭和の味わいである。額縁に入れて飾っておきたい昭和が実際に営業をしている。

まさにこの商店街のイメージにぴったりだ。
酒屋の立ち呑も、古本屋も、鳥肉店も皆が同じト―ンを醸し出している。

さぁ、アーケードを潜り抜けるときが来たと思ったら、商店街の中に『本庄公設市場』の看板。商店街の左手、奥まったところに市場があるようなのだが、前までいくと、奥にはスーパーが見える。その“奥まりつつあるところ”に、スーパーとも市場とも関係のない数軒の店。古本屋や焼き薯屋だ。

古本屋は、19時をだいぶ過ぎているのに、今、まさに開けようとしている。
本屋なのに、カウンターがあり酒が飲めるようになっている。
屋号は、<Always>。ここにも、商店街と同調するイメージがある。

開店準備をしていたのは、この店の主で41歳。絵の勉強をしながら、店を経営しているとか。ビールは500円で、ロックや映画が好きなので、そういう人と出会いたいとのこと。

赤レンガさんは、漫画、いや劇画という方がいいのだろう、上村一夫の「同棲時代」に食い付いている。B5サイズのものだ。わたしも欲しいと思ったが、第三巻しか売っていないのでスルーしたのだが、デザイナーである赤レンガさんは、きっと表紙に魅かれたのだろうと思う。

『同棲時代』、1972年連載開始。昭和の絵師と呼ばれた劇画家、上村一夫の傑作。OL今日子と無名のイラストレーター次郎の物語である。いまでこそ同棲に驚かないが、当時は同棲というのはセンセーショナルで、まさに時代に衝撃を与えた作品だった。

赤レンガさんの買った「同棲時代」第3巻は、当時280円、今500円。結構安い買い物ではなないだろうか。帯には「ナウなヤングのハートを揺さぶる」とある。今も「なう」が流行っているそうだが。

筆ペンさんも、九条DXも古本を漁っている時、赤レンガさんは、そそくさと古本屋の対面にある焼き薯屋さんで薯を買っている。

<蜜香屋>という屋号で、安納芋の焼き薯を売る。
店さきで皆で分けあって薯を食べる。これが透明な飴色に仕上がりなんとも旨い。こんなことをしているから、なかなか商店街を抜けられない。
ちなみに、『本庄公設市場』というのは、スーパーの奥に一画に存在していた。

さぁ、いよいよ、商店街を抜けるときがきた。
アーケードが切れると、そこは中崎町1丁目の交差点。
ざっくり西南方向に進む。住宅街に突入するのだが、その中に魅惑の<中崎町>が広がるのだ。

<中崎町>は、今、大阪で注目の街だ。

以前、<空掘り商店街>を紹介したが、あそことここは戦災に合っていない町屋を利用して、若者がカフェや雑貨屋やギャラリーを開き、大資本とは関係なく庶民が作り上げる町として注目されているのだ。

中崎町は、車がなんとか一台通れるような小さな路地が入り組み、そこには昔ながらの町並みが残る。アーケードがあるわけではないし、ゲートがあるわけでもない。

ただ、長屋の合間にカフェが見え出すと、次々と店が現れ、気づけばあちらこちらに面白そうな店が発見できる。どれもこれも共通しているのは民家の再利用だ。それぞれに雰囲気がある。若い人が空き家を安く改装し、インテリアも高そうなものは使っていないが、どこもおしゃれで町家に合っている。

ここから赤レンガさんが語りだす。
赤レンガさんは、28年前、この地でデザイン事務所を始めたのだ。
この町の歴史をずっと見てきた。だから、特別な愛着があるようだ。

それまで務めていた大手の繊維会社を辞め、晴れてご主人と二人でデザイン事務所を構えた。毎日自転車に乗り、営業の毎日。日本でも有数の代理店から仕事の話は来たが、御主人は、「下請けは厭。一度下請けをすると一生下請けになる」と頑として断り、しかし、ゆとりがあるわけではなく、ふたりして、自転車で営業にまわる日々。

その頃、町は劇的な変化を遂げていたのだ。

中崎町は、梅田から5分という便利な所にありながら、長屋の並ぶ下町情緒に満ち満ちている。大阪は太平洋戦争で焼け野原になったのだが、この一画は奇跡的に戦災を免れ、昔ながらの町並みを維持している。

赤レンガさんは、そんな風情が好きでたまらなく、しかも交通至便ときているところが気に入っていた。
ところが、事務所を構えてすぐに町並みが変わってきた。
バブル最盛期、地上げがはじまったのだ。
朝起きると、昨日までそこにあった長屋が切り取られている。
長屋の真ん中がずっぽりなくなり、端と端が残るようなこともあった。

「この辺はね、夏には床几を出して、おじさんが尺八の練習をしてたり・・・赤ちゃんをおぶったおじいいちゃんが毎朝、道を掃除してたり、そういう町だったのよ」

切り取られて行く町を見て、さらには、そこから追い出されて行く決して裕福ではない人達を目撃し、心痛め、この町はどうなっていくのだろうと心配していた。町も住民も悲鳴をあげていたのだ。

「梅田から5分のところにフツウの生活があったのよ。それが一変したの」
あちらこちらに更地ができる。住民が突然い出され、歯抜けの長屋ができた。

それがある日、ぴたりとやんだ。バブルが弾けたのだ。

更地だけが残ったのだ。
「その更地は、英語学校や、専門学校になったの」
なるほど、中崎町には専門学校が実に多い。
「これがね、今の中崎町につながってると思うのよ」
つまり、専門学校が多くできて、若者で溢れる町になり、そこに若者向けの店が次々と誕生したのだ。

「それとね・・・」
若者が店を開いているのは、町家。そこは、昔、高齢者が住んでいたところだ。
高齢者が亡くなり、空き家ができる。その空き家を若い経営者たちが借りたのだ。
梅田は家賃が高くて借りられない。しかし、5分しか離れていないここなら・・・。

こうして、中崎町は町家を利用する若者の町になったというのだ。
大阪市北区中崎西1丁目、4丁目、中崎3丁目周辺の半径200m程のエリア。
これが結構広い。

九条DXが
「僕の同僚だった人が会社を辞めて、この辺で店を開いているんです。確かこの辺・・・あっ、ここですわ」

―――<ごはんやカフェ キッチン>という看板が暗がりに確認できる。
店は閉まっていたが、九条DXがノックすると、扉が開いた。
中から女性が現れ、
「どうしたん?!」

中に案内される。きさくでおしゃれでカッコいい内装である。
中崎町テイストと言っていいだろう。

お店の主で、九条DXの元同僚が、中崎町の解説をしてくれる。
「中崎町は、店が増えるタイミングに、第一期、第二期、第三期があり、第二期が6年前、その時にわたしはここに開いたんです」

三段階に分けて、中崎町にカフェを中心とした若者の店舗が増え、今や一見なんでもない下町に、100軒はくだらない店が存在する。

店を出て、また中崎町をうろつく。赤レンガさんの話が続く。
「この町はおじいちゃんとおばあちゃんが、いっぱいおって、わたしたちに、めちゃ話しかけてくる。そういう町。猫も一杯いてるし」
とのこと。そう言えば、どこかの講演会できいたことがある、猫がいっぱいいる町は幸せな町だと。

車も通れない路地もあり、まさに、けもの道。
けもの道と言う言葉の語感はこの町に似あわないが、知らない人には歩けないということではけもの道のようだ。

赤レンガさんは隅々にまで詳しくて、
「見て見て。ここの壁のタイル。綺麗でしょう」
確かに、込み入った路地の奥にしては壁一面にタイルの家とは凝っている。
「ここは、昔、タイル屋さんやってん」
だからおしゃれなタイル張り。赤レンガさん、この町の鼠穴まで知っていそうだ。

「ここのアパート、玄関ひとつ。トイレ共同。風呂なし、家賃4万円。旦那と喧嘩して、飛び出しても行くとこないのが悔しかったから、ひとりで暮らせるとこ探してここに目ぇつけててん」
実際には飛びださなかったらしいが、話を聞いていると、新婚時代からの赤レンガさんの半生がこの町にトレースされている。

今、若者の町として、大阪では頻繁にテレビや雑誌に取り上げられる中崎町を、30年程前から赤れんがさんは見てきたのだ。そこに、結婚、出産、独立などが絡まり、まさに大人としての半生のスタートがここにあったのだ。それを熱く語りながら、町を歩く。

筆ペンさんは、話を聞きながら、甚く感動している。
「これこそ、生活と町の歴史が重なる、路地裏荒縄会ですよ」

そうだ、そうなのだ。荒縄会が面白いときは、誰かの人生と町が重なっている。人の歴史と町の歴史がクロスする時、街歩きは最高潮に達する。

中崎町をうろうろし、やがて、その先のさらに梅田に近づいたところ、ちょうど、新御堂筋の真横の街、<鶴野町>に辿り着く。

「中崎町の次に、この鶴野町に、事務所を構えたの。裏路地から、表通りに出て、やったーって感じの時」
そのビルは潰れ、コインパーキングに変わっていたが、JR京都線と、新御堂筋に切り取られ、まさに、赤レンガさんの言う「ケーキを24等分した町」なのだ。やっと辿り着いた。

しかし、この町を見て、<ケーキを24等分したような町>とは誰も形容しないと思う。なんの特徴もなく、特別際立ったロケーションも見当たらない。ただ、赤レンガさんには、<ケーキ>という形容が引っ張り出せる人生の輝ける1ページだったのだろう。

そのあとさらに中崎町をうろうろし、筆ペンさんが、
「この辺の、おいしいお好み焼屋に連れて来てもらったことがあるんですよ」

そう語った瞬間、目の前に<DonDon亭>の看板が見えた。
神様がここで食べろと言っているのだ。
ペーパーさんもここで合流し、盛り上がる。
お好み焼は、驚くほど旨い。大阪でも指折りの指折り。数本に入るほどの味だ。

今日は、たっぷり赤レンガさんの半生を聞いたが、実は、路地裏荒縄会が誕生したのも、この中崎町だった。

わたしが東京から大阪に戻り、ペーパーさんに電話をすると
「久しぶり。呑みましょう。地下鉄中崎町を上がった所で待ち合わせましょう。○○も連れていきます」

○○は、のちに<筆ペン>なるニックネームを付けられることになる俳人で、三人で中崎町をうろうろし、大阪を語りあった。

8年ぶりで大阪に戻るわたしにペーパーさんは、わたしのいない間に一番大きく変化した町をチョイスしてくれたのだろう。

その時三人で、町をうろつきながら町を語り、こういうことを繰り返そうということになり、路地裏荒縄会が生まれたのだった。

路地裏荒縄会のスタート地点も、赤レンガさんのデザイナー人生の始まりもこの中崎町、日本でも有数の繁華街の横に、昭和なままの若者の町があるのだ。

冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ   川崎展宏


                          (以上)

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