〔週俳12月の俳句を読む〕
久乃代糸
聖なる豚の世界 荒川倉庫 豚百五十句
隈取りまなこに「誰か必ず見ているゾ!」と記されたステッカーが玄関の扉に貼ってある。道の向こう側に駐めてある車の後ろの窓にも同じステッカーが貼ってある。隣に建っているアパートの郵便受けにも貼ってある。その隣の家の犬小屋にも貼ってある。そう言えば、駅前のニク屋の店先にも、交差点で信号待ちをしていたソバ屋のオートバイにも同じものが貼ってあった。横断歩道を渡った角のフトン屋の入口にも貼ってあったような気がする。いま足を止めたコンクリート塀には、同じ文言を手書きした紙が貼ってある。「誰か必ず見ているゾ!」「誰か必ず見ているゾ!」「誰か必ず見ているゾ!」ああ。ああ。ああ。世界の中心でものを言っているようなこのような言葉には拭っても拭っても虚しさがつき纏う。それにしても、誰が何を必ず見ているのか何も分からないのは何とも淋しい。たとえば、梅は必ず障子を見ているゾ! 象は必ず蛇口を見ているゾ! 魚は必ず富士を見ているゾ! 豚は必ずお前を見ているゾ! いや、恐らく豚が私を見るのはまだ先のことだ。
豚束ねゆく炎天の豚の父
炎天の野道を、あるいは、見晴るかす草原を豚の父が束ねて行くのはその子どもらであろうか。あるいは豚の父は父と称され、敬われる長のような存在なのかもしれない。いや、豚は豚を敬ったりはしない。豚の群は豚の父をひたすら恐れているのだ。豚の父は力づくで豚の群を導いて行く。豚の群にはその行く先は分からない。
豚の口「へ」にして受くる滴りや
攻守綯ひ交ぜに蠛蠓豚に寄す
豚の父は滴りのある場所を知っている。日が傾いた水辺で憩う豚たち。豚の世界のまくなぎ(*漢字)は、豚を襲ったりしない。豚の尻にひそと寄るのだ。そのシルエットは恐らく美しい。
やがて日は沈み、夜が来て、豚たちは欲情する。
豚は踊りの輪のなか豚の面つけて
豚は踊らない。水面に顔を突っ込み泥を塗った若い男豚女豚は、お互いを追いかけ回す。しかしその動きには、豚なりの優雅さを備えていなければならない。
その欲情の輪から遠く離れた月の照らす径を、とぼとぼと一匹の豚が帰って来る。
殴らるる月夜にて豚月夜ゆく
群に戻った豚を、待ち構えていた怒れる豚の父が襲う。
麦笛に豚が口つけ初犯なり
昼、その豚はブーブーと鳴る音に誘われるように群から外れ、その音を吹き鳴らす影を垣間見る。やがてその影はそれを地面に捨てて去って行った。豚は鼻でそれを嗅ぎ、吸うようにして喰ったのだ。
太枠は銀河のなかの豚の暮らし
女豚が子豚を産めば、豚の新しい暮らしが始まる。子豚の鳴き声が銀河に届く。
聖なる豚きつと現るらむ冬木
豚の父が持つ唯一の記憶である聖なる豚。しかしその面影も薄れつつあるのか。
神の息白かりければ豚の如し
聖なる豚が現れれば、こここそが約束の地なのだ。
木枯らしや豚の瘡蓋捲れあがり
豚の影豚が迎へにゆく冬日
豚の父は、初めて聖なる豚の夢を見た。夢の中で、聖なる豚が豚の父にこう言った。「私を殺せ」
霾るや水呑み場より豚の使者
春のある日、豚の群の前に、豚の父の使いと名乗る豚の使者が現れる。しかし豚の群は姿を消した豚の父を覚えていない。それでも使者は豚の父のいるところはここよりマシなところであり、皆を迎えに来たのだと言う。豚の群はここよりマシなところ、にいとも簡単に心惹かれ、われ先に走り出す。
約束の豚来ぬ春の野の凹み
遥か彼方に、聖なる豚の幽かな姿が見えて来る。しかし、目の前の落とし穴に、豚の群は気づかない。
暴力のごと豚囲む夏霞
ウィトゲンシュタインは言う。「成立している事態の総体が豚の世界なのである」と。そして続けて、「豚には受難がよく似合う」と。
ウイトゲンシユタイン泣いて豚泣く秋の暮
しかし、しかし、以上の豚は必ず私に顔を向けているとは限らない。
ここに豚ゐる自由しからば衣更
冷し中華啜つて豚の年譜汚す
秋彼岸豚は一番線に待つ
うかうかと死ぬ虫ばかり豚集む
風花の豚はいくらも受け止めず
この豚こそが、その両の目でいまも私を凝視するのだ。
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