成分表41
おめでたい
上田信治
『里』2010年1月号より転載
正月は、おめでたい。というか、おめでたい=正月。「おめでたい」という語の使用範囲は、「正月」にほぼ等しく確定される。
「めでたし」は「愛で甚し(めでいたし)」のつづまった形だそうで、つまり「賛美すべきこと、はなはだしい」。英語でいえば、honorable(オノラブル=尊敬すべき、栄誉を受けるべき)lovable(ラヴァブル=愛すべき)に類する成り立ちの言葉である。
ガーシュインの "Embraceable you" (エンブレイサブル・ユー)という歌は "Embrace me, my sweet embraceable you" 、つまり「抱きしめたいあなた」にむかって「私を抱きしめて」と歌い出される。それは、つまり「抱きしめたい」と「抱きしめられたい」が、感情として一体であるということだ。
そういえば honorable も lovable も、「尊敬すべき(愛すべき)性質がある」と認定するというよりは、「栄光あれ!」「カワイイ!」と、自らが honor や love の感情で充たされていることを、その対象にむかって告げるための言葉だ。
「おめでとうございます」は、賛美を、人にではなく事態に向けて、告げる言葉である。正月という事態にむけて、テレビも人も、その言葉を繰り返す。天にむかって万歳と唱えるのに似て、空虚といえば空虚なことだが、しかし、もちろん、正月は空虚だからおめでたいのだ。
宿の春何もなきこそ何もあれ 山口素堂
一年が巡って年神を迎える日を、生産活動をしない安息日とする。日々の営みを止め、天体の運行を賛美する。それは空っぽの一日である。
"embrace me" と伸ばした腕の中に、その人がいないから、その腕はわれと我が身を抱きしめる。そういうナンセンスを人間は必要としている。賛美の感情それ自体が、不在の対象に向けられる時、最も美しくおめでたくなるからだ。
お笑い番組も年賀状も福笑いも、すがすがしいほど意味がなく、意味がないことが、おめでたい。
ところで「おめでたい人」といえば「知らぬが仏」のような意味になるが、それもまた、たいへん「正月」的なことだと言えよう。「めでたい」を簡単な和英で引くと happy とだけあって、平仄が合っている。
正月におめでたくて、何が悪いという話である。
初山河まづ太陽のとほりゆく 長谷川櫂
正月はからかささへもおもしろや 夏目成美
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