2011-01-23

江戸俳句・冬 寺澤一雄

江戸俳句・冬

寺澤一雄

『晩紅』第30号(2008年4月25日)より転載

最近あまり使われない「年内立春」という冬の季語がある。旧暦で年が明ける前に立春を迎えることをいう。旧暦では立春のころに元旦となるが、暦の調節上このようなことがおきてしまう。2011年は旧暦1月1日が新暦の2月3日になっている。立春は2月4日であるので、年内立春には当らず立春と新年がうまくあっている。2010年は元旦が2月14日でこれなら文句なしの年内立春である2009年は1月26日が元旦、これは年内立春にはあたらない。調べていくと、年内立春も多く、年が明けてから立春を迎えるほうが少ない感じを受けた。新年と立春を合わせるように暦をつくらなければならないが、なかなか合わないのだろう。元旦から暦作りは苦労していたのである。

  炬燵出て早あしもとの野河哉  与謝蕪村

波多野爽波に、「炬燵出て歩いて行けば嵐山」があるが、蕪村の場合は嵐山という地名に頼らず、ただの野河でけりをつけている。爽波の素っ気無さのほうが好きだ。

  磯ちどり足をぬらして遊びけり  与謝蕪村

「足をぬらして」が良い。磯ちどりは遊んでいるわけではないし、餌を取るため磯にきているのだから、足が濡れるのもいたしかたない。取り合わせの句として読むと、足を濡らしているのは磯遊びに来ている人であるが、人が足を濡らしてもあまりあわれが無い。ちどりが足を濡らしていればあわれがある。

  鍋敷に山家集あり冬ごもり  与謝蕪村

いまなら、鍋敷に雑誌とか使うことは咄嗟のときとかあるが、江戸時代でもこんなことをしていたのか。しかも山家集、罰が当たりそうな鍋敷きである。西行は結構読まれていたのか。意外であった。

  夏痩のもどらぬ㒵や鉢たたき  漣月

秋を通り越して冬である。夏痩が戻っていない、ひょっとして病気。鉢たたきの人はやせている感じもするので、鉢たたきの相貌を見て、夏痩のもどらぬなどと書いたのだろう。

  寝て喰は盗人共歟村しぐれ 几圭

盗人の句。実際見たのではなく、村しぐれに遭遇し、場所といい時期といい盗人が思われたのだ。それにしても盗人と言う感じが寝て喰うでよく伝わって来る。

  なんぼ往てもおんなじ事の枯野哉     孤山

枯野の景色は行けども行けども変わらない。枯野が終わるまで、おんなじである。かなり広い枯野である。

  畠にもならで悲しきかれ野哉     与謝蕪村

好きな句である。入門現代俳句なら悲しきが非難される。別段枯野自体は畠になったほうが悲しいかもしれない。そこんところを蕪村はかれ野は畠にならなければ悲しいと、堂々と断定した。江戸俳句はかなしいが好きだ。

  草の戸やこたつの中も風の行     炭太祇

炬燵といっても、蒲団のようなものが掛てある程度で、草の戸に吹き付ける風が、家に入りさらに炬燵の中まで入ってくるのである。「風の行」で苦しい景色ではなく、風の入る炬燵を楽しんでいる風情である。

  出しをけば自堕落に成海鼠哉        尺布

「出しをけば」は水から出して置いておくことだろう。水の中の方が自堕落そうだが、外に出すと平らにでもなってしまうか。その姿を自堕落とした。

   脱だ時大きな足袋と思ひけり       富水

こういう事に気がついて、俳句にしたことが嬉しい。自分もこのようなことを俳句にすることがある。

  仏名会腰のぬけたるおはしけり      之房

仏名会とは陰暦十二月十九日から三日間、宮中と諸仏寺で、かつて行われた法会。勤行なのだが、聴聞者たちは別室で酒盛りをした。ということは酒を飲み過ぎて腰を抜かした人が居たかも知れないと気づいたが、「おはしけり」だから仏名導師のなかに腰の抜けたようなよぼよぼもいたということだろう。

  住果ぬすがた成けり冬の蠅        分水

冬の蠅の哀れさを、「住果ぬ」と見た所がすごい。

  風呂敷に猿の着更 (きせか)へ猿まはし       它谷

「さるのきせかへさるまはし」と思わず口ずさみたくなるほどリズムが良い。猿も一張羅でなく着替えを風呂敷に包んで門付しているのだ。猿が担いでいる風呂敷の中身は現代でも己の着替えが入っているのだろう。書いているうちに猿回しを見たくなった。阿蘇山に登る途中に阿蘇猿回し劇場という常設の小屋がある。

  時となく快き屁や冬ごもり  三宅嘯山

  樽さげて酒屋おこさん夜の雪  勝見二柳

  一番は逃げて跡なし鯨突  炭太祇

  生て世に古銭掘出す冬野哉  黒柳召波

  極楽の道へふみ込むこたつかな  大島蓼太

  初雪じや大きな雪じや都かな  吉分大魯

  水仙に口髭さはるほとけかな  三浦樗良

  雪の夜に座しきうれしや久しぶり  三浦樗良

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