創刊準備号~第9号より
馬場龍吉さんのオススメ記事
●田沼文雄 遙かなり「第二芸術」(復刻転載) →読む 第8号
俳句=芸術のなかでも第二芸術ではないだろうか? という桑原武夫の「第二芸術論」すらあったことを知らない俳人の世代に移りつつある。それはきっといいことなのだろう。概要は故・田沼氏のエッセイで掴めるはずだ。もっとも田沼氏が書かれてから40年経とうとしている。
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そもそも芸術という評価は創作作家本人が決めるものではなく、作品を目にしたあるいは聞いた人たちにいかに影響を与えたかによるのではないだろうか。
偶然だが2月18日のTBSテレビの夜の番組「金スマ」で女流書家、金澤翔子さんとその作品が紹介された。
翔子さんは生まれてすぐダウン症と診断されたが、5歳から書を家で教えていた母泰子さんの見よう見真似で書を始めたのだそうである。と言ってもここでは「ダウン症でありながら」とぼくはあまり言いたくないのだが、翔子さんの場合それが幸いしたと思う。
つまり書の基本的ルールや、どう書いたら人が感嘆するかなどという計算は彼女にはない。
彼女が受け止めたイメージをイメージ通りに書いてゆくだけなのだ。翔子さんは、鎌倉建長寺に額装「慈悲」を、京都建仁寺に「風神雷神」を奉納されている。
この書、テレビで見たに過ぎないが鳥肌が立つほどに素晴らしい感動をぼくに与えてくれた。
翔子さんは紛れも無く「天才」であり、その書は「芸術」だと思った。
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さて、俳句である。いや芸術である。広辞苑の定義の他に人々に夢や希望をあたえてくれるものが「芸術」で、「芸術」にはそういう使命があるのではないだろうか。俳句が真の芸術「第一芸術」であるならこれから先こういう作品が生れなくもない。あっ、既に在ったとしたらご教示を。
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2011-02-20
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