2011-02-27

〔超新撰21を読む〕 佐藤成之の一句 小早川忠義

〔超新撰21を読む〕
一斉に生まれた後は
佐藤成之の一句……小早川忠義


かあさんはぼくのぬけがらななかまど  佐藤成之

超新撰21に収められた佐藤成之の100句の中で、一句全てをひらがなで表現したものはたった2つ。その中でも冒頭の句が一際異彩を放ってい る。巻末の合評座談会で高山れおなが評した「高野ムツオに習ったと見られる『硬質な抒情』が大半を占めている」中でのこの句の世界だけは、柔らか いような硬いような不可思議な感触がある。

一読した際に思い浮かべたのは、どこかの家の庭にあったななかまどの実が、滝のようにその赤い粒を滴らせるように生っていた状景だ。それはさな がら、秋の川を産卵のために上ってきた鮭の腹を引き裂くと出現する鮮やかな赤色の筋子のようであった。

この句が詠まれた背景には何があったのだろうか。諍いがあったのか、それとも作者が母親を自覚する事態に直面する機会があったのだろうか。その 作者の母親を見る目は、「ぬけがら」などという言葉を持ち出すほどに醒めていながら、全て平仮名で表記することにより、不可逆性を惜しむ子どもじ みた部分をも併せ持つ。たわわに生ったななかまどのように様々な側面を持ちながらも「筋子」と呼べる単体のようにこの世に存在するものとして、実 は様々な側面を持ち合わせて自身というものはこの世に存在するのではないだろうか。母親という「ぬけがら」から生れ落ちた瞬間、可能性も数多く生 まれ出ていたのではないだろうか、と回顧しているようにも見受けられる。

一斉に生まれた筋子のひとつひとつがさらに孵化し、鮭の稚魚となって大海原に向かって泳いで行く。今後、作者が現在の師である高野ムツオの志を 受け継ぐ意志を固め、そこに終始するのか、それともさらなる抒情の可能性に挑み続けるのか。俺はこんなところではまだ終わらない、という思いも秘 めている一句のように感じてならないのだ。



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