〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
カラベラ(髑髏)
長谷川裕
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人類学博物館の壁にずらりと並んだカラベラ。Calaveras del Monton=カラベラス・デル・モントン=「山ほど髑髏」「髑髏だらけ」であります。メキシコ人はアステカの昔から髑髏フェチで、やたらめったら石を刻んでは髑髏を作りまくった。こんなのが遺跡からゴロゴロ出てくる。巨大な神様の彫像もオドロオドロシイ髑髏顔が多いです。恐いです。
でも、メキシコのガイコツはウェットな西欧のガイコツと違って、カラリと乾いている。恐ろしいけど笑っちゃう。笑っちゃうのはふだん忘れようとしていることをあっけらかんと突きつけられるから。「生」の中心には「死」がどーんと腰を据えているという、ごくごくあたりまえのことを語っているんです。人間であること=生きるということは、様式を整えようという一種の気取りでもあるわけですが、その気取りを引っ剥がされてしまう。
人間が共感を抱きあうのは誰もが等しくガイコツになっちまうから。貧しい者も富む者も、ブサイクもイケメンも、権力者も民衆も、どいつもこいつも行き着く先はガイコツなんです。ああガイコツのなんと公平なことか!
メキシコ人は髑髏パワーで過酷な人生を乗り切っております。それは彼らの伝統です。ホセ・グアダルペ・ポサダの髑髏マンガや、それに触発されたディエゴ・リベラの壁画なんぞもそうだし、Dia de Muerto=死者の日(メヒコのお盆。この日一家そろって墓を磨き、花を添え、お灯明を灯してご先祖の霊をお迎えし、ご先祖の霊と一晩中、飲んだり食ったりする)が近づくと、屋台や商店にガイコツの紙人形や髑髏の砂糖菓子がずらりと並び、街が活況を呈するのもそういうことなんです。
そう、人は理念のうえで平等なのではなく、すでに存在それ自体が死という絶対的平等を与えられているのですねえ。安心してください。ワタシもガイコツ、アナタもガイコツ。カラベラス・デル・モントン! 今も昔も、ね!
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