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2011-03-27

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕草

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
草

長谷川裕

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原発プロパーは「この数値ならただちに健康に影響を及ぼすものではない」と言う。反原発の倫理に立つ者は「核は封印すべきだ。いつかはみんな被曝する」と言う。原子力の専門家でもなければ技術者でもない私は、どちらの言説が正確なのかはわからない。ただうろたえるばかりだ。

しかし、これだけは言える。

おそらく人類は原子力を捨てることはない。

これからも原発は世界中で建設・稼動されるだろう。そして、技術的に有効な解決策を見出せぬかぎり、くり返し事故を起こすだろう。いまのところ我々は核汚染の恐怖に怯えながら、現在の利便を、おそらくは先細りのなかで享受しつづけていくしかないのだ。

なぜなら人類が発見した科学上の知見は、倫理では消し去れないからだ。倫理と科学はべつの位相にある。倫理を科学技術的に実現することはできないし、倫理的に素粒子を発見することもできない。

多大なエネルギーを消費する文明の転換は、倫理では実現できぬ。それが可能になるのは、非エネルギー文明が現在とおなじく快適であり、利便に富んでいる場合である。倫理的にすぐれているがゆえに他に優越して繁栄した文明というものを私は知らない。おおかたはその逆であった。

首都圏のわれわれは、福島のひとびとの損害に応じた支援をしなければならない。東京をはじめ、福島原発の恩恵を受けた地域は、すくなくとも30キロ圏内から避難せざるを得なかった人々を迎え入れる度量を示さねばならぬ。汚染は原発の利便を享受してきたわれわれに課せられたツケでもある。ツケは支払わなければならぬ。

いま、私が考えられる倫理とはその程度のものでしかない。


(写真はティオティワカンの廃墟に生える猫じゃらし)
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2011-03-06

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕チレ

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
チレ

長谷川裕

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見てのとおりチレ=唐辛子です。赤いのやら、青いのやら、黒いのやら、ほんのり甘みのあるのから地獄の炎のようなのまで、いろんな種類があります。右側にある黄色いのやらオレンジ色のやらはピーマンの仲間。

トマト、ピーマン、チレ、ジャガイモ、タバコ等々、南米原産の野菜はナス科が多いです。どういうわけかナスはインド原産らしいですが。あ、そうそう、ホオズキもナス科ですが、実はホオズキも食べるんです。青ホオズキが袋に入ったまま売られています。すりつぶしてチレを混ぜ、青いチレソースにする。トルティーヤにかけて食う。考えてみれば、ホオズキは袋に入った小さなトマトみたいなものですな。

こういうのは大資本のスーパーよりも、町の市場=メルカードにいったほうが、いろいろあっておもしろい。肉や野菜、果物だけではなく、民間治療やまじないに使われる薬草も種種雑多なものが並んでいます。なかには惚れ薬なんぞもありますぜ。

日本でも作れる適当チレソースの作り方。

トマト二個をざくざくと細かく刻み、そこに細かく刻んだタマネギ半個を混ぜる。細かく刻んだ青トウガラシ少々と、香りづけにコリアンダーを刻んで加える。塩を少々。これでできあがり。ステーキにかけて食うと、新鮮な青臭さが肉の臭みを消してくれ、ピリっとして実にうまい。塩焼きの焼き鳥なんかに付けてもいけます。

フラワートルティーヤ(最近はスーパーで売っている)にハム、メルトチーズを載せてフライパンで炙り、チーズが溶けたら、こいつを適当にふりかけ、二つにたたんで食うというのもいけまっせ。

それにしてもアジア人の我々は、こんな素晴らしいものを栽培化してくれたインディヘナの人々には足を向けて寝られません。インド人も、タイ人も、韓国人も、中国人も、日本人も、みんな、みんな深く感謝しております。

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2011-02-27

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕黒猫

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
黒猫

長谷川裕

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とにかくどろぼうが多いです。

高級住宅地にある大邸宅はまず例外なく、二度や三度はどろぼうに入られていると思っていい。むしろ集合住宅のほうが安全ですが、お金持ちは大邸宅を構えなければ沽券にかかわるので、覚悟のうえで大邸宅に住むんです。

お金持ちであることを隠そうとするお金持ちはいません。俺は金持ちだ! 文句あるか、貧乏人め! さあ、いつでもやってこいというノリなんです。

そんなわけで大邸宅は高い塀に鉄条網をめぐらし、おそろしく分厚い門を構える。当然、警報装置も設置している。そして、たいてい銃器で武装したガードマンを雇っています。でもだめなんです。そのガードマンが情報を漏らし、合鍵を作ってどろぼう仲間を引き入れたりするから。

また、女中さんには嫌われないようにしないといけない。小銭をちょろまかしたとか、冷蔵庫の中のものを盗んだなどと、細かなことでいちいち叱ってはいけません。愛人にそそのかされ、どろぼうの手引きをしたりなんてのはよくあることです。

まあ、大邸宅に住んでいらっしゃる方々は、とてつもなく儲けている合法的な大どろぼうというケースが多いので、そんなことは多少の必要経費と割りきっていらっしゃるようです。

今日もどろぼう猫がするりと鉄条網をすり抜けていきます。


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2011-02-20

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕一番大きな木

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
一番大きな木

長谷川裕

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オワハカ市の近郊、サンタマリア・デル・トゥーレという小さな町の広場にあるメキシコラクウショウの巨木。ヌマスギの一種で水辺を好む。樹齢二千年以上とか。屋久島の縄文杉は幹の周囲十六メートルだが、この木は三十二メートルと、まあ、おそろしくでかい。威厳がある。

太古、このあたりは大きな湖で、メキシコラクウショウの巨木が鬱蒼たる森を形成していたらしい。しかし、気候の変動により乾燥してきたため、湖は干上がり、森は消えてしまった。いまはこの木のほか数本だけが生き残っている。いまだに成長を続けているのは地下水脈があるおかげなんだそうだ。

人はどういうわけか巨木に惹かれるので、この木はビンボーな町に現金収入をもたらす観光資源となっている。住民は水を絶やさぬようにしてこの木を守っている。この堂々たる姿には注連縄や御幣が似合いそうである。

惜しむらくは、この写真ではそのスケールがわからない。小説家フアン・ルルフォの写真集を見ていたら、彼がこの木を撮っていた。ルルフォは原住民調査局に勤務し、記録を撮っていたため、写真の見せ方をよく心得ており、この巨木に白い服の少女を添わせた。彼のモノクロ写真ではこの木の偉大さが判る。うまいもんです。祐天寺は下手です。

先スペイン時代から使われているナワ語では、この木を「Ahuehuete」=「アウェウェテ」と呼ぶ。「水の老人」の意です。「水翁杉」とでもいうところか。「スイオウセン」かっこいいねえ。が、二千年の星霜を経た翁も、いまでは仲間がすべて滅んでしまったのに、自分だけが生き残り、なんだか所在なさ気である。いずれ水を吸い上げるのをやめ、自裁してしまうかもしれない。そして、こうした翁が世界中に一本もいなくなったとき、人間も滅びるのだろう。

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2011-02-06

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕カラベラ(髑髏)

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕

カラベラ(髑髏)

長谷川裕

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人類学博物館の壁にずらりと並んだカラベラ。Calaveras del Monton=カラベラス・デル・モントン=「山ほど髑髏」「髑髏だらけ」であります。メキシコ人はアステカの昔から髑髏フェチで、やたらめったら石を刻んでは髑髏を作りまくった。こんなのが遺跡からゴロゴロ出てくる。巨大な神様の彫像もオドロオドロシイ髑髏顔が多いです。恐いです。

でも、メキシコのガイコツはウェットな西欧のガイコツと違って、カラリと乾いている。恐ろしいけど笑っちゃう。笑っちゃうのはふだん忘れようとしていることをあっけらかんと突きつけられるから。「生」の中心には「死」がどーんと腰を据えているという、ごくごくあたりまえのことを語っているんです。人間であること=生きるということは、様式を整えようという一種の気取りでもあるわけですが、その気取りを引っ剥がされてしまう。

人間が共感を抱きあうのは誰もが等しくガイコツになっちまうから。貧しい者も富む者も、ブサイクもイケメンも、権力者も民衆も、どいつもこいつも行き着く先はガイコツなんです。ああガイコツのなんと公平なことか!

メキシコ人は髑髏パワーで過酷な人生を乗り切っております。それは彼らの伝統です。ホセ・グアダルペ・ポサダの髑髏マンガや、それに触発されたディエゴ・リベラの壁画なんぞもそうだし、Dia de Muerto=死者の日(メヒコのお盆。この日一家そろって墓を磨き、花を添え、お灯明を灯してご先祖の霊をお迎えし、ご先祖の霊と一晩中、飲んだり食ったりする)が近づくと、屋台や商店にガイコツの紙人形や髑髏の砂糖菓子がずらりと並び、街が活況を呈するのもそういうことなんです。 

そう、人は理念のうえで平等なのではなく、すでに存在それ自体が死という絶対的平等を与えられているのですねえ。安心してください。ワタシもガイコツ、アナタもガイコツ。カラベラス・デル・モントン! 今も昔も、ね!

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2011-01-30

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕ブーゲンビリア 長谷川裕

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
ブーゲンビリア

長谷川裕

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ヒートアイランド現象のせいなんでしょうか、東京でも屋外で花をつけているのをよく見かけるようになった。南米原産オシロイバナ科の短日性植物である。夜が昼より長くなると、花芽分化がはじまり咲き出す。つまり冬がこの花の盛りである。メキシコでは冬と言っても、まったく寒くないから、新芽が伸びて、その先にどんどん咲く。

田舎へ行けば、おおかた農家の庭先に縦横無尽に咲き誇っている。メキシコの国旗は緑・白・赤だが、それは木々の緑、洗濯物の白、そしてブーゲンビリアの赤のことであると言いたくなるぐらい、どこに行ってもこの花に出会う。

都会でもお金持ちの家は、よくこの木を塀に這わせている。秋から春にかけての長い花期をずっと咲きつづけ、ほろほろとこぼれ散り、舗道を飾る。それはそれは見事なことである。この写真はコヨアカンで。定番のマメイ色の塀にブーゲンビリア、そしてなかなか洒落た落書きじゃありませんか。

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2011-01-23

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕グサノ 長谷川裕

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
グサノ

長谷川裕

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蟲料理のレストランにご招待された。

皿に盛られているのは竜舌蘭につくゾウムシの幼虫。見てのとおり芋虫である。「グサノ」と呼ぶ。それを煮て油で揚げたもの。先住民の常食であった。

この地を占領した支配者の口にはあわなかったが、昨今は先住民文化の見直しとかで人気があるらしく、けっこうなお値段だ。味はというと、川海老の揚げものみたいなパリパリした食感である。さっぱりしてビールのつまみによろしい。こいつをすり潰した粉をいろいろなものに混ぜて食べたりもするようだ。

「メスカル」と呼ぶ蒸留酒がよく飲まれるが、その瓶にアクセントとして「生」のグサノが一匹入っていることがある。瓶の底にぷよぷよと沈んでいる。「メスカル」を「メスカリン」と勘違いして、芋虫の入っているメスカルは「効く」と思い込んでいる人もいるようだが、そんなことはありません。メスカリンの抽出されるペヨーテ(これは竜舌蘭ではなく、サボテンの一種)に付く虫じゃないので、とりあえず。

地方では蟲を普通に食べる。とくにバッタ。「チャプリン」と呼ぶ。イナゴみたいなものと思えばよろしい。ワハカ市のメルカードを見物に行ったら、唐辛子の粉を混ぜたチャプリンが売られていた。赤、黄、茶などいろいろな種類の小エビの佃煮みたいなのが、樽に山盛りで並んでいた。トルティーヤにはさみ、ライムを絞って食す。少し苦味がある。

チャプリンはある種のトウモロコシに付くので、チャプリンを収穫するためのトウモロコシ畑があると聞いた。畑全体がイナゴでわさわさしている図を想像してしまった。ともあれ、蟲は肉や魚より栄養価が高いのだそうである。

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2011-01-16

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕マメイの壁 長谷川裕

〔祐天寺写真館・メキシコ篇〕
マメイの壁……長谷川裕

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メキシコシティ・コヨアカン地区のとあるレストランから。鉄格子の外に見えるのはお金持ちのお宅だが、塗り替えられたばかりの壁の色に注目。「マメイ」色である。マメイとは果物の名で、果肉がこの色をしている。スプーンで掬って食う。美味。

このマメイ色にかぎらず、メキシコ人は外壁をショッキング・ピンクや青などのパステルカラーで塗るのが好きだ。で、これがなかなか渋い。明るさのなかに仄暗さがあり、味がある。かくも派手なのにディズニーランドまがい──いや、「まがい」はディズニーランドのほうだったな──に陥らないのは、手作業で塗った下地の凹凸が陰影を作り出し、微妙なニュアンスを醸し出しているからだろう。ひとつとして同じもののない鉄格子やランプの金具は、鍛冶屋がその家に合わせて作ってくれるし、分厚い木の扉もそう。手作業の労賃がおそろしく低いがゆえに可能なことなのだ。

では、こうした風合いが富裕層だけのものかというと、そうでもない。地方の貧しい農家や、拾ってきたトタン板で建てられたスラムのあばら屋にも、どこか同じような雰囲気が備わる。うまく説明しがたいのだが、不完全さの許容、いや、不完全の美とでもいうべきか。「完璧」がつくりだしてしまう虚無を拒絶している。

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