2011-04-17

週刊俳句時評 第27回 花見の帰り道で考えていた、人に言葉を伝えるということについて。 生駒大祐

週刊俳句時評第27回
花見の帰り道で考えていた、人に言葉を伝えるということについて。

生駒大祐


先日、花見をした。

花見と言っても井の頭公園をぐるっと周って桜を見て、焼き鳥屋に入ってビールと焼き鳥を食べただけであるが。
そのとき話していたある人が、「自分の俳句と相方の俳句のどちらかが残るか」は、「自然エネルギーの時代と核融合炉によるエネルギーの時代」のどちらが来るかを占う役目をする、と冗談めかして言っていた。

そんな次代を占う二人の俳句が載っているのが、4月に発行された「傘[karakasa] vol.2」である。

一、

傘[karakasa](以下「傘」)とは越智友亮と藤田哲史によって発行されている雑誌で、vol.1が2010年9月9日、vol.2がつい先日の4月8日に刊行されている。雑誌のコンセプトは特集一本で一冊を編むというつくりにあるようで、vol.1は俳人の佐藤文香特集、今号は詩において言われ出した言葉「ライトヴァース」特集である。

まず本誌は佐藤雄一による詩作品「いまこれをよむあなたに」および佐藤に対するインタビューから始まる。このインタビューは佐藤の詩作における信条やライトヴァースに対する意識などが述べられており、今回の特集の導入としても単独で見ても興味深いものとなっている。

俳句におけるライトヴァースは越智による総論の中で定義される。詩におけるライトヴァースの要件として「表現の軽さ」と「内容の軽さ」を抽出した上で、俳句におけるライトヴァースの定義を

一つ目は、表現における条件。口語的発想を用いたもの。 二つ目は、内容における条件。取り合わせによって季語の連想性や象徴性を用いるのではなく、季語の重量を限りなく薄めたものを用いたもの。また、古典的情緒から隔たっているが、対峙もしておらず、季語を切りはなし、現代の瞬間を切り取るような姿勢によって生まれるものとも言いかえられる。

とする。
それ以下はこの定義を利用した各論として波多野爽波、渡邊白泉、櫂未知子、神野紗希におけるライトヴァース性が各論者によって論じられている。それぞれ伝統、前衛、昭和30年世代、新撰世代、男性2人女性2人とバランスよく構成されていると言ってよいだろう。

本稿では傘 vol.2を読んで考えさせられた2点について述べたい。ひとつは「俳句におけるライトヴァースを定義する意義」、もうひとつは「傘における作品掲載の意味」についてである。

二、

ひとつめ。ライトヴァースにしても、例えばポストモダンといった言葉にしても、越智自身が言うように「作品とはつねに定義に先んじて行われるもの」だと僕は考える。つまり、ある時代の作品群を包括してムーブメントとして意味づける言葉たち(ここでいうライトヴァースやポストモダン)の定義は、これまでの言葉では括れない作品群に共通する要素を抽出した結果現れてくるものだと思うのだ。その意味で、ライトヴァースという言葉をまず定義してそれに見合う俳句を選び出すという行為に「踏絵」以上の意味があるのだろうか(極端な例を出すと「古池や蛙飛び込む水の音」という句に対して、「古池」という言葉を生かすために「蛙」が使われており、季語としての重心がおかれていないのでこの句はライトヴァース的である、などと僕が言ったとして何が生まれるのか)。

僕が感じるに、この特集に真に意義があるのは、ある俳句がライトヴァースであるかを断じることにではなく、その過程で副産物的に生まれる「写生」「戦争俳句」「季語の効果」「私性」などのキーワードに対する思索にあるのではないか。その意味で越智の定義する「俳句におけるライトヴァース」は適切な触媒だったと言えるだろう。なぜなら「口語的発想」「古典的情緒からへだたり、現代の瞬間を切り取ること」はいずれも時代という観点において相対的なものであり、自動的に作品の詠まれた・読まれた時代性を炙り出す構造となっているからだ。

ライトヴァースが今後俳句の主流になるかどうかは問題ではない。それが主流となるまではライトヴァース性を持つ俳句が「ライトヴァース」と呼称されて論じられ、一方それらが主流となったときには「ポスト・ライトヴァース」が現れ、また別の呼称で論じられるだけの話である。ライトヴァースの定義づけに関しても、越智説への対論が今後当然出てくるであろう(実際、本誌の中でも佐藤雄一は越智説とかなり異なったライトヴァース観を述べている)。しかし、それを元にした各論が優れた作家論になっていることは確かで、それが越智の論および本誌全体の確固たる価値なのだ。


三、

ふたつめ。傘にはvol.1、vol.2共に編者の作品が掲載されており、vol.1は7句ずつ、vol.2は14句ずつと今号で2倍に増えた。また、傘は特集が中心と言ったが、編者の掲載作品は特集に則ったものというわけではなさそうだ。

これは傘のvol.1が刊行されてから僕が抱いてきた疑問であった。「特集を効果的に見せる」という点において、これらの作品の掲載は画竜点睛を欠いているのではないか。俳句総合誌には編者の作品は発表されない。それと同じでいいのではないか、と。

また、主宰誌には主宰の句が掲載される。同人誌は同人の作品発表の場であることが多い。それらと同じ意味で傘の作品発表を捉えてよいのだろうか、と。

しかし、傘を何度か読んでいてふと気づいた。それは、傘には彼らの作品が広い読者にテクストとして読まれる環境が作られているということだ。

主宰・同人誌と総合誌はテクスト性という観点から言えば対極の位置にある。俳句に対する特定の嗜好を持った読者を選別するという観点において見て主宰・同人誌の掲載句は主宰・同人の属性そのものを反映しており、記事・作品を多数の読者にプレーンな状態で見せるという観点において編者の属性は通常隠される。

通常作品をコンスタントに発表する上では主宰・同人誌に掲載するしかないが、そうすると作品は上記のように作品は作者の属性を反映しており、テクスト性を失う。しかし、傘は毎回違う特集を中心に据えることによって、雑誌の属性は毎回キャンセルアウトされると同時に、属性にとらわれない広い読者を獲得できるチャンスを得る。さらには、傘には総合誌に載っているような作者(越智・藤田)のプロフィールすら掲載されておらず、テクスト性は非常に高い。

師系や所属結社から離れた雑誌を作り、作品を発表すること。作品を純粋な形で伝達するということ。その意味では特集を組むというのは一見遠回りながら実は本道を行っているのではないか。そのようなことを考えた。

四、

このふたつのうち、特に後者を考えさせられたのは、今年の四月一日に発行されたzine(発行者いわく、「小規模発行の、世にいう雑誌よりも薄くて手軽な読みものです。」とのこと)、「hi→ vol.3」を読んだときだった。「hi→」とは衣衣・楢山恵都・西丘伊吹・日比藍子の四人によって製作されている俳句zineで、季刊。現在vol.3まで製作されている。

その特徴はなんといっても俳句作品と共にその「変奏」、つまり他のメンバーの句を元にしたエッセイや物語など(タイポグラフィから料理のレシピまで!)が同時に掲載されていること。さらには、広げると一枚の紙になり、裏面はカレンダーになっていることも斬新である。

テクスト性という観点から見たとき、このzineに掲載されている俳句にそれはほとんど無いと言えるかもしれない。hi→には鑑賞や選よりも情報量の多い、散文などが句にくっついてきているからだ。また、同時に散文に関してもそれが俳句にインスピレーションを受けていると書いてある点でそれは同じである。しかし、それは当然発行者たちの狙いであり、誌の本質である。通常テクスト性は句の作者の情報が加わることで失われるが、本誌の場合テクスト性は俳句という虚構の上に作者の異なる別の虚構がかぶさっている。作者の意図とは異なる別の作者の意図が作品を操作することで、そこには複雑なテキスト性が生まれている。

それらは白黒印刷、定まった文字組で極力評論・作品以外の情報量を減らしている傘とは対照的である。さらに、傘は一号ごとに特集や執筆者が違う、いわば一号完結型であるのに対し、hi→はメンバーが固定であり、またメンバーの多くが俳句の初心者であることを明言することで作品の変奏と共に号ごとの作者の変奏も楽しめるという点でも、両誌は大きく異なる。しかし、傘とhi→には共通して目指す目標がある。それは「広く作品を伝達する」ということだ。

傘は上記のように特集を組み、興味を持たせることで幅広い読者を得ようとしている。一方hi→は俳句に付加価値を加えることで俳句への予備知識がそれほどない人々にも俳句を広く伝達しようとしている。いわば、傘は俳句を深く掘り下げることで、hi→は俳句の裾野を広げることで、読者を得ようとしているのだ。いずれも、従来の結社が行ってきた思想的選別からは遠い。

五、

俳句を紙媒体で広い読者に伝えること。同じ出発点から始まったふたつの雑誌は、俳句を伝達する形式にまだ多様性が残っていることを教えてくれた。最後に、両誌から俳句作品を引用することで時評を締めくくりたいと思う。

根菜の切り口平ら春のくれ 越智友亮
もの憂さはまぬがれがたき葉の季節 藤田哲史
(傘[karakasa] vol.2より)

雛壇の一等うへに届かざる 西岡伊吹
しんしろとしずかに歌う雪解水 日比藍子
白酒を回し飲む宵伸びちぢみ 衣衣
花の雨小さいものは丸く寝る 楢山恵都
(hi→ vol.3より)



傘[karakasa] vol.2


hi→ vol.3

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