【俳句総合誌を読む】
心からお見舞い
『俳句』2011年4月号・5月号を読む ……上田信治
角川「俳句」4月号は、リニューアル号と題し、表紙ほかデザインが一新されました。前月号が手元にないのですが、記事ページの字が、大きくぱらっとなっているようです。
俳句作品は、大牧広、古賀まり子といった作家の句が、見開き2ページの片ページずつを分け合う形になっていて、すこし窮屈ですが、昔の総合誌を見ると、見開きに4作家とかは普通でしたから、自分の場合は、なるべくたくさん俳句作品を載せてくれたほうが、うれしい。
誰が見たって、今の総合誌のいちばんの問題は(毎号の特集が眠気をさそうことではなく)「作品枠」の固定化でしょう。あの人と、あの人と、あの人と、あの人に、年一回、50句を頼むことが、お決まりで変えられないのなら「枠」を拡大しないと。
現状、総合誌は、変化にほとんど対応することのできない、棒立ち状態に陥っているように見えます。変化というのは、新しい作家が充実期を迎えていたり、若くして世に出た作家が、年月を経てとうに疲れ切ってしまっていたり、というようなことです。
新鋭俳人20句競作は、4月号が、髙柳克弘、鴇田智哉。5月号が、田中亜美、津川絵理子と、連続掲載。去年からはじまった「角川俳句賞作家の四季」今年は、山口優夢、望月周のお二人。こういう人たちの作品が、継続して読めるのは楽しみです。
思うのは「十七音の冒険者」のような新人紹介のページがあってもいいということで、この一年休んだんだから、新人も、また少し溜まってきてるかもしれないでしょう? って、そんなおしっこみたいな言い方しなくてもいいんですけど。来年に期待です。
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4月号より。
雪空を四つ折りにして隅にやる 正木ゆう子
海草サラダ山程出さる万愚節 大牧広
おほかぜの鶯餅を食べにけり 千葉皓史
どの枝となく雨雫雛の日 藺草慶子
待春のわづかの水に映る木々 岩田由美
日陰からおたまじやくしの溢れくる 鴇田智哉
かいてある番地のなかの枇杷の花 〃
いろいろな雨音を聞く子猫かな 望月周
夢でせうはくれんだけの空なんて 山口優夢
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本誌前号の関悦史さんの時評でもふれられていましたが、5月号は「緊急企画 東日本大震災 被災地にエールを! 俳人140名が送る「励ましの一句」」(p.131)が目を引きます。
金子兜太から神野紗希まで年齢順140人の作家による「励ましの一句」と「メッセージ」。
このたび、このような依頼を受けた作家のみなさんに、心からお見舞い申し上げます。
いや、そんなイヤミのようなことを言わなくてもいいんですが、こういう場を与えられて「みっともなくならずに済ます」ということが、いかに困難なチャレンジだったか、ということは、作品を見れば分かります。
俳人は、震災を、そしてこの依頼を、どう受け止めたか。
まず、今回の震災をそれ自体として(それを連想させる語を句中に入れて)詠まれた作品、140句中39句。
津波婆の舌に乳房を吸わさすな 磯貝碧蹄館
津波禍の幼霊にして桜貝 佐怒賀正美
暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト 神野紗希
「雪解」「芽吹く」「花辛夷」「桜前線」など春の到来の季語を希望の象徴とした作品、数え方にも拠りますが、140句中62句。
草の芽も木の芽も君も僕も今 坪内稔典
啼きにくるさだかに春の鳥として 山西雅子
地震関連語プラス春の到来の季語の句は、39句中17句。
(引用はやめときます)
ストレートなメッセージになっている句。句中に「笑顔」「国」「列島」「祈る」「命」「信じる」「よみがえる」「ともに」のような語を含む句、あるいは呼びかけの形をとる句、数え方にも拠りますが140句中、58句。
春寒の灯を消す思ってます思ってます 池田澄子
花を待つ心を共に分かちたく 星野高士
「励ましの一句」を求められ、多くの人が語気を強めすぎてつんのめってしまっている中で、正面からおろおろしている池田さんと、花鳥諷詠のテンプレートに託す星野さんが、それぞれ品を失っていないのは、あざやか。
一見メッセージ性のない、むしろ関係ないような句、6句。
それも夢安達太良山の春霞 今井杏太郎
かいつぶり岸によるさへあたたかし 対中いづみ
雑木冷えて高うなりたる桜かな 依光陽子
たいへん用心深く、知的な態度であると言えます。
さへづりや光りさしくる雨の芝 髙柳克弘
髙柳さんのこの句、〈空高くから雨つぶよあたたかし 小川軽舟〉と似てしまっていることはさておき、「自然」や「美」が、人に与える慰撫というものを、きっちりとらえていると思います。これも、また「励まし」を求められての、あざやかな解答。
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同じ号に、高野ムツオさんの21句(p.34)。新創刊のspicaのほうでも話題になっていました。
天地は一つたらんと大地震 髙野ムツオ
地震の闇百足となりて歩むべし
地の底にまで沁みてゆけ牡丹雪
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり
この「犬ふぐり」、spicaでは、「生命力」「小さくかわいいもの」の代表として、瓦礫との対比で、読まれていましたが、自分は、ここは人間との対比で「犬」の字が欲しかったんじゃないか、と思いました。
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大谷弘至句集『大旦』の特集(p.176)。岩下尚史さんという人のびみょうな笑いを誘う紹介文は、まあ置くとして、「桜」と題された新作の、1句目。
家がある人は家路へ花辛夷 大谷弘至
一読、あ、いいじゃないと思ったのですが、よくよく思ってみると、これ、なんで桜じゃないんだろうと、しっくり来ず。
前号の4月号を読み返して〈夕桜家ある人はとくかへる 一茶〉を見つけ、ああ、これか、と。
大谷さんは江戸俳諧やってるんだから、この句は頭にあったろうな、桜だと、いっしょになっちゃうもんな、でも、なんで花辛夷・・・え、東北大震災にかけてんの?
もしそうだとしたら(3句目に〈いまはまだ辛抱のとき桜かな〉とあるし、短文でも震災のこと言ってるし、たぶんそう)、ちょっとだめなんじゃないか。
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仁平勝「現代俳句時評 定型の成熟と喪失」第5回「字余りと字足らず(中)」(p.154)
ところで今日の俳句には、中七の字余りがほとんどない。「俳句」3月号の全句中、中七の字余りは6句、2%弱。京極杞陽の『くくたち』からは〈雪をんな哥麿のかほで目が光る〉〈雨急に鵜飼そこそこに終りけり〉〈貨車一輛それが陽炎となつてをる〉など、どんどん中七字余りの句を引くことが出来る。今日の俳句においては、あきらかに中七の字余りが避けられている。
これもいうならば、俳句の行儀がよくなったからです。との指摘には、何度もうなづいた。
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5月号より。
冬の蛾を殺して年の塵とせり 澤 好摩
予告編のやうに川面を春の雲 今井 聖
火の上の栄螺は角をめぐらせて 満田春日
しをらしき虹色の翅蠅生まる 仲 寒蝉
鶯笛まづ頓狂なこゑを出す 津川絵理子
灯台の白の錆びゆく月日貝 武藤紀子
藻を分けて石沈みゆく春の暮 遠藤由樹子
1 comments:
「岩下尚史さんという人のびみょうな笑いを誘う紹介文は、まあ置くとして...」などと逃げずにきっちと向き合ってみてはどうでしょう。無駄ではないと思います。
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