〔超新撰21を読む〕
リアルに感じられないことのリアルさ
佐藤成之の一句……松尾清隆
蛇口から世に出るものに春の水 佐藤成之
雨になって降ったり、蒸発して雲になったり。水というのはさまざまに姿をかえて世の中をめぐる。そのうちの雪となって山に積もっていたものが溶けて「春の水」になったりする。しかし、そうした過程を常識として知ってはいても、生活のなかで実感することはむずかしい。多くの現代人にとって、水はいつだって「蛇口」から同じように出てくるものでしかないのだから。この句は、そうした現代人と自然との断絶にリアリティーを見出した点において極めて今日的なのである。
と、ここまでは随分まえに出来ていたのだった。
しかし、「断絶」していたはずの自然がおそろしい勢いで日常になだれ込んできた。あの日を境に「今日的」というものが以前とは変わってしまった気がして、お蔵入りに…。
今になって、前述の「断絶」=リアルに感じられないことのリアルさ、といったものについてふたたび考えてみると、昨年六月におこなわれた芝不器男俳句新人賞の最終選考会の様子が思い出される。堀田季何氏の戦争詠における「リアルに感じられないことのリアルさ」といったものについて、齋藤愼爾氏を除く四名の選考委員が積極的に評価しなかったこと。これを私はとても残念に思ったのだった…。
ここで、現在進行中の原子力災害を考えに入れてみる。
発生当初より、聞き慣れない単位のついた数値が連日報道され続けている。そんな「リアルに感じられない」状況のなかでも我々は確実に動揺し、困惑しているではないか――。つまり、世の中には色や形、匂いや味を伴わなくとも我々の心身に作用してくるものというのが存在するのである。そうしたものを表現しようとする場合、やはり「リアルに感じられないことのリアルさ」を訴求するという方法はかなり有効なのではないか…。
そんなふうに思い至ったので、ここに書かせていただいた。
今後、佐藤氏が「あの日」以後の世界をどのように表現してくれるのか、期待したい。
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2011-05-01
〔超新撰21を読む〕佐藤成之の一句 松尾清隆
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