2011-05-01

山口誓子『方位』を読む 久留島元

山口誓子『方位』を読む -後期誓子俳句読解の試み ⅱ-

久留島元



以下の文章は、もともとメール句会仲間で作っていた記録冊子に附録として載せる予定で一年以上前に書き上げていたものである。

最近某所で関連する内容に話が及んで思い出したのだが、くだんの冊子が当分出ないらしいと聞き、それならちょっと手直しして「週刊俳句」に掲載いただこう、と思ったのである。

本稿は、すでに私のblog「曾呂利亭雑記」にも転載した「後期誓子俳句を読む」企画の続稿にあたる。(前稿はこちら。初出は「ろくぶんぎ」1号、2009.05)

問題意識としては、昭和三十年代以降の誓子俳句が、いわゆる「誓子調」をはずれて「おもしろくない」とされている通説について、再検証する必要を感じたことによる。

そのため、この時期の句を集めた春秋社の誓子句集三部作(『構橋』『方位』『青銅』)をじっくり読んでみようと思ったのである。

なお、媒体の特性をふまえ改行を増やしたため、ただでさえ長文なのが、より長くなっている。読みにくいことおびただしいが、ご容赦願いたい。注目のすくない後期誓子作品の読みについて、おおかたのご意見をたまわる機会になれば幸いである。



本稿では前稿で扱った『構橋』と同じ春秋社三部作の第二作、『方位』の作品を見ていく。本書の出版は『構橋』の二ヶ月後、昭和四十二年(1967)5月である。

誓子の第十一冊目の句集にあたる『方位』は、昭和三十一年~三十四年の作品が編年に並んでいる。タイトル「方位」は前稿でも触れた『構橋』所収の句に由来する。

  向日葵立つ方位未確の山の上    昭和二十九年

誓子にとって「未確」だった「方位」が定まり、歩み出したのが昭和三十年であり、その行方が『方位』に結実しているという考えだったようだ。

前稿で詳しく見た『構橋』後期の特徴は、およそ次の三点に集約できる。
・伊勢療養時代から回復し、積極的に旅行に出て作句していること。
・初期誓子の緊密な「連作」とは異なる「群作」傾向が見られること。
・昭和四十年当時の誓子の立場からは、「許し難い」作品も混じっていること。

第三点について、『方位』「後記」には次のような言葉がある。


ラグビーの諸作のなかでラグビー選手を「ラガー」と詠つてゐるが、「ラガー」は「サツカー」に対する言葉で、ラグビー選手の意味でないことを、最近ラグビー会の木崎国嘉氏に教へられた。/ それなら「ラガー」の句を削らねばならぬのであるが、削るのを惜しんでそのままにして置いた。
果たして、というべきかどうか、『定本山口誓子全句集』(集英社、昭和四十二年)の「方位抄」にはラグビーを詠んだ句が非常に少なく、「ラガー」の句は一句も収載がない。

詠作時期(昭和三十年代)の誓子と、句集編纂期(四十年代)の誓子との間に、微妙な俳句観の変化があることは注目していいだろう。

『方位』は旅吟が多い句集である。

巻末の年譜を見ると、昭和三十一年には、三月、淡路行。五月、長野行。六月、和歌山行(潮岬)。七月、岐阜行(鵜飼)。八月、岐阜(鵜飼)、津山、湯原、韮山行。十月、岐阜行(上牧紙漉、鵜飼、湯の山)。十一月、湯の山。和歌山行(箕島、下津行)。と、ほぼ毎月のように旅行を繰り返している。
このうち、まず「鳴門行」の全句を掲げてみよう。

湧きかへる春潮船と淡路の隙    昭和三十一年
(いわお)動かず渦潮の自在境
渦潮の底を思へば悲しさ満つ
渦潮を両国(ふたくに)の岬(さき)立ちて見る
渦潮をなすと捨身のもの集ふ
渦潮よ潮ならずとも身を捨つる
強東風の鳴門わが髪飛ばばとべ
渦潮の記憶を保ちて船帰る
渦潮の衰ふるまで鵜が岩に
船跡もなし渦潮を落ちゆきて
渦潮を落ちゆく船の姿して
渦潮の中に自力でたちなほる
渦潮を観る傍観の隙もなし

便宜上番号をつけた。このうち前掲『定本』に採られた句は②、④、⑤、⑧、⑪の五句。よく似た表現の⑤、⑥の場合だと、漢語調でより切迫感のある⑤のほうを採っている。

戦中期、伊勢で療養中の誓子は、同じ素材を繰り返し多角的に詠むことで内面的な深化をつよめたとされる。③、⑦、⑫、⑬にも主観的な心象風景の投影が見られる。

しかし、全体的にはこれら旅吟は、眼前の光景に感動して詠む「写生構成」の姿勢が強い。

『定本』ではさらに主観的な句が排され、より「写生」に近づいているといえそうである。

七、八月、十月は岐阜で鵜飼を体験し、四十六句に及ぶ群作を『方位』に収載する。まず「長良川」十五句から抄出する。

鵜の川の迅さよ時の流れより    同
紅き火に鵜の精魂を尽くさしむ
いまここが岐阜の中心鵜川燃ゆ

作者は力みかえっているが、表現としてはいささか説明的である。
むしろ、続けて配された八月、十月の「篝火」「火の粉」を詠んだ句群のほうが作品としては成功していよう。

鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上     同
疲れ鵜は嘴噛みあはせいたはりあふ
鵜舟の中にあり火の粉の中にあり

『方位』「後記」には「十月のときは、終ひ鵜飼で、同行した橋本多佳子さんも「友鵜舟」と題して(中略)はげしい競詠となった」と記す。

『橋本多佳子全集』年譜によれば多佳子は七月の鵜飼にも参加しているが、このとき句は残さなかったのだろうか。当時は女性が鵜舟に乗ることが許されていなかったため、男性と同じ黒装束を着ることで同乗が許されたという。『命終』に収められた「友鵜舟」二十四句からいくつか抄出してみると、

腋も黒し鵜飼の装に吾を裹む   多佳子
鵜の篝夜の殺生の明々と
男壮りの鵜の匠にて火の粉の中
友鵜舟離るればまた孤つ火よ

「火の粉の中」など同じ言葉ながら、「女性」的感性を濃密に感じさせる句である。異なる個性との同行は誓子にとってよい刺激になったであろう。

同年十一月には、三重滋賀の県境にある御在所岳登山を体験している。

   冬山を石の落ち行く音落ち行く音   昭和三十一年

破調である。山本健吉はかつて誓子俳句を「慄然俳句」と名付け、平畑静塔はこれを通俗的な卑称だと嫌って「陶然俳句」と改称した。
個人的にはどちらでもいいが、リフレインによって逆に冬山の無音が強調され、「慄然」とも「陶然」もする作者を見ることができる。

翌年も引き続き別子銅山、土佐足摺岬、高野山など、全国を旅して厖大な作品を作っているが、あまりに旅先の感動を前面に出す旅吟の連続で、いささか食傷させられる。

ほかに注目すべき群作として、先に触れたラグビー観戦句がある。
誓子にとってラグビーは、いわゆる「素材拡張」時代に積極的に摂取したなじみ深い素材である。『黄旗』に収められた代表作には、

   ラグビーの饐ゑしジャケツを着つゝ馴れ  昭和七年
   ラグビーのみな口あけて駆けり来る    同

など、まるで作者自身がコートに立っているかのような臨場感ある句が多い。
一方、『方位』所収の句では、

   押して保てりスクラムは人間碑      昭和三十二年
二分一分ラグビーの終末の        同
煙草より温きものなくラグビー見る    昭和三十三年
レモン一片ラガーの疲れはや癒ゆる    同


といった句があるが、これらの句はいずれも「同大・慶大戦」「オールブラックス 全日本との試合」などと詞書があり、内容からも「観戦者」としての立場が明確である。

句の風景に没入するというのではなく、傍観者、観察者として作句する態度は、ある意味で旅吟における態度とも重なる。

それは、俳諧的な余裕につながっているのだろうか。次のような句がある。

排泄をさっと水洗山桜         昭和三十三年

詠作時期を考えると、「水洗トイレ」の存在がまだまだ珍しかったはずである。まして山のなかにあったとすると、かなり新奇だ。誓子の代名詞である「都会趣味」なのである。

「さっと水洗」の接続はいかにも爽快で、「山桜」の季語とあわせてまったく不快感がない。ほかの作者にも排泄行為を読んだ作品はあるが、一時期アルコール綿を持ち歩いていたという清潔好きの誓子の資質を考えると、なかなか味わいぶかい一句ではなかろうか。

他にも『方位』後期には

骨折者捻挫者雪に仰臥して       昭和三十四年
下降せし気球ぶよぶよビヤガーデン   同
いまは万緑山中で子を拵(こしら)  同

といった奇妙な作品がある。

「骨折者」は大山でスキーを楽しんだときの句であるが、骨折者や捻挫者があちこちにいるという風景は、笑えない状況であるにもかかわらず、「仰臥」の語で深刻にならない。

二句目、これも都会趣味の句といえる。Wikipediaによれば、日本で屋上ビアガーデンが始まったのは1953年、梅田においてという。この句はそれから六年後の作句だが、「ぶよぶよ」のオノマトペがあやしくもおかしい。

ところで三句目はいったいナニを、いや何をやっているのか。
「万緑」と聞いて誰もが想起する草田男句を響かせつつ、牧歌的というのか土俗的というのか、まったく別種の明朗さをもって印象深い作品である。
まさか写生構成ではあるまい。


『方位』所収の句には、「さくら満ち一片をだに放下せず」(三十一年)、「冬河に新聞全紙浸り浮く」(三十三年)、「雪嶺の大三角を鎌と呼ぶ」(三十四年)などの句もある。漢語をつかったおおげさな見立てや強い断定調は、いわゆる「誓子」調の佳句であろう。
その一方、掲出したような、独特のユーモアを前面に出した句も多い。

これらは「誓子」と聞いて期待する句ではないかもしれない。
しかし後期誓子に見られる一種の無邪気さというか、明るい一面は、昭和三十年代という時代背景もふまえ、今後読み解いていかれるべきであろう。

2 コメント:

四童 さんのコメント...

「いまは万緑山中で子を拵へ」ですが、明治書院の全集では「拵(こさ)へ」となっています。
「万緑叢中紅一点」の「紅」の位置に「子を」としたものなのかも知れません。

誓子には「をんな十代あひびきの苜蓿」「あひびきはながく新緑森々と」(いずれも『晩刻』)などもありますので、冷徹な写生なのでしょうね。

久留島 さんのコメント...

>四童さま
ご指摘、コメント、ありがとうございました。

「万緑」の句。確認したところ、「拵へ」は「こさへ」が正しい読みでした。失礼いたしました。
今回、転載にあたってルビを付したときに横着して誤ったようです。失礼しました。記して訂正させていただきます。

ついでにもう一点、誤植訂正を。
「排泄をさっと水洗山桜」
→「排泄をさつと水洗山桜」

です。原句ママ表記なのに、ここだけ表記が違いました。失礼しました。

>冷徹な写生なのでしょうね。
どうなのでしょうか。本人は写生を標榜しておりますが、このあたりは実態を裏づけていかないとなんともいえませんね。作者の心象という可能性もあり、ご指摘のようなある種の技巧的言葉遊びのようなものかもしれません。