2011-06-26

〔超新撰21を読む〕小野裕三の一句 野口 裕

〔超新撰21を読む〕
過去と今ある現実との対比
小野裕三の一句……野口 裕


シーサイドホテルざらつく夜の蟻  小野裕三

時の流れをやすやすと書き留める才能を持っている人のようだ。柔らかな感性が、時代の風俗にひたと寄り添う。

  春の夢何万トンの夢だろう
  冬夕暮アジアのうたをうたうべし
  アルゼンチンタンゴの背中沈むかな

第一句集『メキシコ料理店』からは抄出ながら、そんな作者の特徴が明瞭に示されているようだ。どんな夢にせよ、何万トンと豪勢な量だったり、広汎なアジアに届けとうたう歌声だったり、ねっとりと沈む背中を官能的なリズムがたゆたえば、想像をかき立てる遠い異国だったりと、時代の中で人々が追いかける夢の世界を言い当てて、夢の世界を現実化させるのではなく、人々の想像力を現実化させる。

では、句集以後の世界はどうなるか?

  大西日解答用紙のような村

若干、夢の世界は現実化しない、という「白けた」気分を漂わせる。それが、あきらめや皮肉にならず、「白けた」という語にふさわしい句として示される。そして、「白けた」気分を目茶苦茶正確にトレースする句が、最初に掲げた一句になる。

今回の句群では読み取りにくくなっているが、巻末の「合評座談会」によると筑紫磐井は、

  人体みなさびしい教室である

のような、少しノスタルジックな句を良としている。それを考慮すると、作者の本領は、人々が否応なく行ってしまう、過去と今ある現実との対比から抱く思念を明らかにするところにあることになる。

これだけはっきりと時代の節目が来てしまうと、作者が今後どんな句を作ってゆくのか、どうしても気になる。はっきり言って、凡庸な読者には想像できないことではある。刮目して待つ。



『超新撰21』・邑書林オンラインショップ

1 comments:

小野裕三 さんのコメント...

野口裕様

拙句を取り上げていただき、ありがとうござました。ご期待に添えるように、進んでいきたいと思います。

ご指摘のとおり、はっきりと「時代の節目」が来ています。それに呼応するように、村上春樹氏が「非現実的な夢想家として」とするスピーチを発表し(賛否はありますが)話題になっています。(私自身の感想はhttp://www.kanshin.com/diary/4957617に書きました)

「戦後」の俳句界を「第二芸術論」がいい意味でもわるい意味でも(強い反発も含めて)呪縛し続けたように、「震災後」の俳句界もひょっとするとこのスピーチによって呪縛され続けるのかも知れません。