彌榮浩樹「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」再読
有季定型と「写生」は結婚しうるか(2)
青木亮人
前回まで
前回はプロローグ的に、彌榮浩樹氏「1%の俳句」がいかなる位相の俳論であるかを確認した。
改めていえば、氏は「文学」側に向けて俳句の魅力を説いたのであり、俳句界に向けた論ではない(表向きは)。そのため、俳句のあり方を原理的に、また性急に語る必要があった。
俳句史や事情を知る俳人は、その彌榮氏の論を不粋に感じ、また批判を加えたくなるだろう。
なぜなら、当たり前の事柄を原理的に語ることは野暮であり、公平さを捨てて価値を決定することは非難を招きやすいためだ。
しかし、俳句評論といえば今も桑原武夫や山本健吉あたりが挙げられる「文学」に対し、他にどのような訴え方があったろう?
ただ独りで気負い、焦燥にかられながら断言を繰り返す氏の姿を笑う前に、そのように語ることを氏に強いたものが何だったのか、それを考えてもよいのではないか。
●
ところで、「1%の俳句」で挙げられた問題は多岐に渡っており、それを全て扱うのはレビューの範囲を超えることになる。従って、今回は俳句の「一挙性」に焦点を絞って紹介しよう。
なお、「文学」に向けられたこの「一挙性」は、俳句形式を原理的に捉えたもの――いわば俳句の特徴を外部から捉え直した――であり、俳句界ならば当然のことと不問に付すことを、あえて再検討した感がある。
その「一挙性」を紹介するとなれば、やはり俳句形式を一から説き起こし、通常は論の前提として飛ばすところを、丹念に検証しなければなるまい。
従って、「なぜそのようなことを延々と問題にするのか?」と感じるかもしれないが、「一挙性」を紹介するのはそれが必要であること、また「一挙性」にこだわることが近現代俳句にとって大きな意味を持つであろうことを、「一挙性」を検討した後に示したい。
3. 俳句形式に意識的であること
彌榮氏は、俳句の「醍醐味」を次のように述べている。
俳句とは、わずか十七音に課せられたすべてのルールを無理に満たすところに醍醐味が現れる、そんな文芸形式なのだ。短歌との違いも、音数の少なさという量的な違いだけではなく、数々のルールの縛りが輻輳しているための言語表現の質的歪みにある。(「1%の俳句」p.65~66)
小説や詩、短歌と比較すると「わずか十七音」の上、季語を詠みこむという「ルールを無理に満たすところに醍醐味が現れる」という。ここから、次の二点がうかがえる。
①俳句形式=有季定型を一種の“枷”ととらえ、そこに生じる「歪み」に意識的であること
②小説等と同様に「描写・語り」等を行ったとしても、有季定型の“枷”の中で行うと、他ジャンルと異なる作品に仕上がることに意識的であること
すなわち、氏は俳句の特徴を俳句形式=有季定型という「歪み」にある、と捉えたのである。
無論、俳人は多かれ少なかれ俳句形式に意識的であろう。ただ、彌榮氏が普通と異なるのは、有季定型などのルールを「無理に満たす」過程で「歪み」が生じる、と捉えた点である。
そして、この「歪み」を発生させるのが「一挙性」であり、それを可能にするのが俳句形式で、他ジャンルにないものである……というのが「1%の俳句」の主張なのだが、「一挙性=歪み」を検討する前に、そもそも氏が考える俳句形式=有季定型がどのような存在かを確認しておこう。
4.通常/彌榮氏における俳句形式
普通、多くの作者は表現したい実体験やできごと、感慨や心情が俳句以前にある、と考える(または信じる)傾向にある。
それを表現するために俳句形式や日本語を使いこなし――長い句作で得た技術を生かしつつ――、一個の作品として整えたのが俳句と考えるだろう。
その際、俳句形式や日本語は透明な媒体として捉えられる場合が多い。図式化してみよう。
◆通常の発想
①言語化以前のもの/作者自身の内面、現実の風景(すでに感慨・心情があると信じられている)
↓
②俳句形式+日本語(ここで感慨等を整える。言葉は①を形にするための手段)
↓
③完成した作品
このように、普通は①→③という推移で句作の流れを考えるだろう。従って、ある作品を読解する際は、
③作品
↓
②俳句形式=日本語(透明な媒体に近い。さほど重視されない)
↓
①作者の内面、体験その他の復元(ここが重視される)
という風に復元することが多いのは、①→③の発想が基本にあるためである。
ところで、文学理論などで一時期流行したテクスト論(①の優位を批判し、読者の多様な読みを解放したとされる理論)に沿った解釈などは、①を重視せず読者の自由な感想を論じる場合も少なくない。
しかし、それは作者重視が読者重視になっただけで、基本は変わらない(単に①を否定するテクスト論は、実際は提唱者のロラン・バルト等と異なる姿勢である)。
さて、これらが通常の句作/句解のあり方とすると、彌榮氏の認識はやや異なる。
氏にとって有季定型とは「人間」に先立ち、「人間」のさまざまな感慨や実感を方向付け、規定する枠組みであり、いわば「人間」に内在化しえないものに他ならない。
◆彌榮氏の発想
Ⅰ俳句形式+日本語(人間=作者より先立つ)
↓
↓←主体=作者が関わる
↓(Ⅰによって心情等を感じる/感じさせられている)
↓
Ⅱ完成した作品
↓
Ⅲ「人間」が見た風景や心情、個性などが②を通じて初めて発生
このように、通常は先に見た①を重視するところを、氏は①に重きを置かず、俳句形式+日本語(Ⅰ)そのものの姿を、そして俳句形式によって成立した作品に初めて宿る魅力(Ⅲ)を第一に考えるのである。
これは言語(芸術)至上主義とか、日本古来の伝統文芸として俳句を崇めるといった認識ではない。氏の考える俳句形式は、次の「風景」に近いといえよう。
「風景」がいったん成立すると、その起源は忘れさられる。それは、はじめから外的に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物(オブジェクト)なるものは、むしろ「風景」のなかで成立したのである。
主観あるいは自己(セルフ)もまた同様である。主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は、「風景」において成立したのである。つまりはじめからあるのではなく、「風景」のなかで派生してきたのだ。
(柄谷行人『日本近代文学の起源』1980)
この「風景」を「俳句形式」に置きかえてみよう。
たとえば、俳句では昔から「写生」が客観的か主観的か、という論の立て方がある。あるいは、「現実を句で切りとる」「体験を句に盛りこむ」「季節感を句に(以下略)」という発想――つまり句作に先立つ無垢な“現実”や“実体験”があるという実感――がある。
しかし、「客観/主観」や「(無垢な)現実・実体験・季節感」などの「意味」は、俳句形式に先立って存在するわけではない。
むしろ、それらは「五七五+季語」という“枷”の中で成立したのであり、一度成立するやいなや、あたかも“枷”以前に存在したように錯覚し、人々はそれらを伝える透明な記号として俳句形式を捉えるようになる。
その結果、「(無垢な)現実・季節感」などが作品以前に、つまり時間的に先立って存在すると感じるのである(柄谷氏は、これを「作者=内面の成立」と指摘した)。
これが一種の転倒であること、そして時間的に先立つのは俳句形式という特殊な“枷”であることを、彌榮氏は次のような例を挙げて説明している。
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
この一句を語るのに、この句の季語は「秋」だ、という言い方はほとんど積極的な意味をなさない。
“鉄錆びた、釣り忘れた風鈴の音に、深まる秋情を感じ取っている。その金属性の音に、蕭条たる秋気がこもっているのだ。(山本健吉『現代俳句』〔1951〕、飯田蛇笏項)”
と、このような鑑賞は、例えば、
くろがねの風鈴鳴りぬ秋の昼(改)
という改悪句についての語りとほとんど変わらない。両句の違いはいったいどこにあるのか? この違いに触れ得なければ、俳句の「季語」を意味あるかたちで語っていることにはならない。(「1%の俳句」p.67)
山本健吉は「意味」を散文に置きかえたのみで、俳句形式の「表現」が「意味」を生成させたことには何ら触れなかった(だからこそ、多くの読者を獲得したわけだが)。
つまり、山本は「表現」という起源を素通りし、「意味=内容=作者の心情」を補完することが蛇笏句を語ることと同一である、と見なしたのである。
しかし、彌榮氏は「意味=内容」に先立つもの、つまり「くろがねの秋の風鈴」という「表現」の「歪み」こそ重要であり――詳細は省くが、「くろがねの(秋の)風鈴」の(秋の)が「歪み」に当たる――、そこに小説・詩・短歌と異質たりえる蛇笏句の凄みがあるのではないか、と主張した。
このように氏が「表現」にこだわるのは、山本のような解釈では他の小説や詩にも当てはまることになり、俳句の特質が見失われるという危惧があったためだろう。
すなわち、俳句形式を透明な記号と捉えて軽々と「意味=内容」に足を向ける前に、俳句形式(とそれに付随する諸ルール)が生じさせる軋みやうねり、そして「歪み」に耳をそばだてること。これが氏の基本認識といえる。
彌榮氏がかくも俳句形式=有季定型にこだわるのは、それが生成させる「歪み」こそ他ジャンルにない俳句の魅力と信じるためであり、つまり氏における俳句形式とは「歪み」を発生させる“場”に他ならない。
そして、氏はその「歪み」をより複雑にする装置として「季語」「切れ」「笑い」等を挙げるのだが、ただ、全てをここで紹介するのは困難である。
従って、今回は「切れ」等の問題は問わず、五七五の俳句形式がもたらす「一挙性=歪み」に着目し、なかでも「歪み」をもたらす基盤とされた「一挙性」を検討することにしよう。
5. 十七字という完結性
そもそも、俳句形式はなぜ「一挙性」を発生させるのだろうか。
階 段 が 無 くて 海 鼠 の 日 暮 か な
「1%の俳句」で取りあげられた橋閒石の句を参考にしつつ、考えてみよう。
たとえば、川名大氏は「容器に入れられた海鼠が、階段もないがらんとした家の中に忘れられたように置かれており、はや暮れるのが早い冬の暮色につつまれようとしている光景」(『現代俳句』〔2001〕)と解し、また正木ゆう子氏は次のように述べる。
正木氏はいくつかの情景を提示しつつ、そのように「さまざまな階段への連想を誘う」のは「句そのものの無意味性」にあると捉えた上で、その「無意味性」は「読み手を途方に暮れさせる」が、「この句に飽きることがない」最大の魅力とした。
「階段が無くて海鼠の日暮かな」はさまざまな階段への連想を誘うけれど、この句自体の造りもまるで階段の無い二階の小部屋のようである。
句そのものの無意味性といい、「階段がない」ことと「海鼠の日暮かな」の間の脈絡の無さといい、階段の無い二階家のように読み手を途方に暮れさせる。そしてまたそのせいで今日も私はこの句に飽きることがないのである。(『起きて、立って、服を着ること』〔深夜叢書社、1999〕)
無論、これ以外にも解釈は多々あろう。ただ、彌榮氏が「1%の俳句」で閒石句を扱ったのは、唯一の解釈=真理を示すことで俳句の魅力を語ることではない。
氏が提示したのは、句解が何であれ、誰もが閒石句を一つの完成品と捉え、かつ一種のまとまりある意味を見出そうと試みること、それ自体である(詳細は省くが、句の「無意味性」に魅力を見る正木氏も「通常の俳句作品には脈絡と意味がある」ことを前提にしている)。
このことを、「1%の俳句」は次のように述べている。
五・七・五が独立した作品として屹立するということは、それ自体が詩的に充実した作品になるということだ。(「1%の俳句」p.70)
当たり前のことを述べたにすぎない、と感じる人も多いだろう。しかし、これが何をもたらすかを考えたことは、意外に少ないのではないか。
たとえば、私たち読者はなぜ閒石句を一個の完成品と捉えるのだろう? そして、私たちはなぜ完結した俳句にそれなりに一貫した意味や情景を見出そうとするのか?
理由は簡単だ。
読者である私たちは、「俳句は五七五で完結する」と信じているためであり、「完成した作品には作者(という一個の首尾一貫した主体)の意図なり、意味が何かあるはずだ。意味がないはずがない」と思いこんでいるためである。
では、俳句をそのように読むことを私たちに強いるのは何か。
それは「俳句は五七五で完結する文学である」という先入観に支えられた、俳句形式そのものに他なるまい。
このように記すと堂々めぐりに近いが、実際はこの「堂々めぐり感」が重要である。
すなわち、閒石句が一個の完結した作品であること、また「詩的に充実した作品」(1%の俳句)であることを保証するのは、「俳句は十七字で完結する」という私たちの先入観=リテラシー以外に存在しない。
いいかえると、句の内容や意味、また作家の「人間」性等と無関係の地点で、俳句形式(と俳句史)そのものが俳句の完結性を保証している、となろうか。
このことに関し、何を当然のことを……と感じる人がいるかもしれない。しかし、これが重要なのは、俳句形式が十七字にも関わらず完結してしまう、という点である。
和歌/短歌ならば、五七五の後に七七が付く……と予想しうるだろう。また、詩や小説ならば、短歌以上に前後の言葉や文脈が介入するため、五七五=十七字で完結しうる場合は想定しにくい(モダニズム詩の短詩運動などには見られるが、例外的である)。
しかし、俳句は十七字で完結してしまう(と信じられている)。これは、よく考えると異様ではないか。
俳句に慣れるほど感じなくなるが、他ジャンルと比較した際、十七字で完成する/させられてしまう俳句は、一つの世界が完結するにはあまりに短い。それは極端に短すぎる。
少なくとも小説や詩、短歌を知る私たちは、俳句を極端に短い形式と感じうるリテラシーを身につけてしまっており、「俳句は短いゆえに長所/短所がある」と発想する傾向にある(余談だが、これは近代以降に顕著になった発想である)。
同時に、私たちは字数の乏しい俳句に対し、やはり他ジャンル同様に完結した「意味=内容」を自然に求めている。これは、奇妙なことではないか。
「1%の俳句」に戻ると、彌榮氏が閒石句を通じて「それ自体が詩的に充実した作品になる」(「1%の俳句」)と述べたのは、俳句形式は他ジャンルと比較して圧倒的に短いにも関わらず、読者の私たちが「意味」の完結性を求め、しかもそれを保証した結果、奇妙な「一挙性」が発生するのであり、それが他ジャンルにない俳句の特徴を形成するためである。
ただ、これは抽象的な論旨かもしれない。そのため、再び閒石句を通じて検討してみよう。
6.形式は「主体」の「意味」を強いる
たとえば、「階段が無くて海鼠の日暮かな」を分解すると、次のようになる。
A―階段が無い
B―海鼠
C―日暮
A~Cの関係はあるともいえるし、ないともいえる。それは各A~Cをいくら眺めても結論は出ない。それにも関わらず、私たちが閒石句を読む場合はA~Cを関係付けようと考える。
なぜなら、これらは一句内に詠まれた言葉だからだ。
また、私たちは俳句が「文学」であることを信じており、そこに日常の言葉と異なる何かがある、と信じたがっている。それがどれほど日常の些事であろうと、むしろ取るに足らない事柄やできごとであるほど、「意味」を求めたくなるはずだ。
このように私たちを誘うのは、作者=橋閒石の思想や心情ではなく、また「階段」や「海鼠」という単語でもない。
俳句形式そのものが、私たちに「完結した作品として一貫した意味を、また一貫した作者の存在を考えよ」と強要するのであり、しかもそれを補完するのは読者の私たちなのである。
では、私たちは閒石句をどのように理解しようとするだろう。
たとえば、川名氏のように「容器に入れられた海鼠が、階段もないがらんとした家の中に、忘れられたように置かれている」光景を想起することで、無関係に見える「階段が無くて/海鼠の/日暮かな」を、一個の主体が今=ここで一望しうるフレームに収めようとするかもしれない。
いいかえると、私たちは俳句を前にした時、一人の「人間」が今=ここの瞬間で把握しうる情景(フレーム)に翻訳しようとする傾向にある。
まるで一点透視法で描かれた絵画のように、あるいは映画のワンシーンのように(詳細は触れないが、このような読解は近代以降に特有な認識である)。
これを裏返すと、俳句作品を鑑賞する際、一人の「人間=主体」が今=ここの瞬時に見渡せる“風景”に翻訳しえない時、難解句と評される場合が少なくない(実際、「海鼠」句は難解とされることが多い)。
加えて、私たちは俳句を読む際、生活で使用される言葉や習慣、できごとなどを判断基準の一つとして解釈に生かす傾向にある(無意識にせよ、意識的にせよ)。この日常感覚からすると、「階段が無い」ことと「海鼠・日暮」は無関係に近い。
しかし、閒石句は無関係に見える事物を、「階段が無くて海鼠の日暮かな」と助詞で円滑(?)に縫合することで完結させてしまった(ここに俳句独特の「歪み」として彌榮氏が注目する「辞」のあり方が見られるが、今回は触れない)。
しかも、「~日暮かな」と、いかにも俳句らしい切字で終了している。
俳句として完結した閒石句を前に、私たちは何か意味があるはずと考えたくなるものだ。
ただ、日常の判断や通常の句解で閒石句を解するのは難しい。
なぜなら、「「階段が無くて海鼠の日暮かな」は誰もが納得しうる“風景”として、つまり今ここ=瞬時に見渡せるフレームに収まる情景として解するには、情報が足りなさすぎるのである(または余計な情報が多すぎる)。
では、なぜ情報が足りない/多すぎるのか?
答えは簡単だ。文字数が短すぎるのである。そのため、「階段が無くて□海鼠の□日暮かな」の“□”を埋めるには圧倒的に情報量が足りなくなる(あるいは余計な情報が多い)。
これが小説や詩などであれば、“□”を補完しつつ、「意味」を整えるストーリーや前後の文脈があるかもしれない。
しかし、超短詩形の俳句では、“□”が“□”のまま読者に提示されてしまう。
すると、どのような自体が発生するのか。
事物同士の関連は無関係として、無意味のまま読者に放り投げられることとなる。受け取る読者は、作者が解釈を放棄したまま、まるで現実の事物を恣意的に示したように感じるだろう。
このような事態が生じるのは、極端に短い俳句は事物同士や事物と“□”の関係を解決しないまま、一挙に提示せざるをえない。これが俳句の「一挙性」である。
では、この「一挙性」は私たちに何をもたらすのだろうか。
引き続き、読者側から考えてみよう。
読者は閒石句を受け取った際、「なぜ作者はこのように無関係に見えるものを、無造作に詠んだのか?」と感じる。
それも、現実に存在する(日常で体験しうる)事物が詠まれたものほど、読者は無関係/無意味な事物をかき集めて現実の風景に復元させようと試み、作者の意図や心情を読みとろうとするだろう。
この時、俳句の「一挙性」が読者に最も訴えるのは、作者=主体の存在である。
なぜなら、詠まれた事物同士が無関係で、恣意的であるほど、読者はそれを選択した作者=主体の意思や視線を意識せざるをえないためだ。
閒石句は、作者の心情や状況を一言も告げないにも関わらず、というよりそのために、読者は「意味」を迫られ、作者=主体の意図を強く意識してしまう。
「階段が無いのは何かの象徴ではないか」「海鼠は人間の寓意ではないか」「いや、単なる日常の景色をアクロバットに詠んだだけではないか」……しかも、結局解答は見つからない。
答えが宙に浮いたまま、事物同士が偶然のようにたたずんでいること、しかも無意味に強調されていること(「階段が無くて」、あるいは「日暮かな」など)。
この偶然を装った、恣意的かつ無意味に見える事物の提示こそ、読者を「意味」へと誘惑し、かつ今=ここに一望しうる風景の復元に走らせ、そして作者=主体のまなざしを強烈に感じさせるのである。
そして、これを発生させる装置こそ、彌榮氏が強調する「一挙性」のあり方に他ならない。
「わずか十七音という短さであることによって、作品全体が一挙に受取られる」(「1%の俳句」p.69)という一節は、読者の解釈を「意味」へと誘導し、また立ち位置とそこから広がるパースペクティヴを規定しつつ、しかも無言のうちに作者=主体のまなざしを作品に偏在させる「一挙性」の手口(?)に対し、氏が自覚的であることを示していよう。
その氏が強調して止まないのは、私たちが日頃論じあう俳句の「意味=内容」以上に、俳句作品という“場”がいかに奇妙で、魅力を放っているかという点であり、その一例として「一挙性」を挙げた、ともいえるのではないだろうか。
●
ところで、この「一挙性」は、従来の俳句史で議論が重ねられた「取り合わせ」や「二句一章」、「二物衝撃」等と重なると同時に、微妙に異なる認識である。
なぜなら、「二物衝撃」等は、それを可能とする俳句形式に対する自覚がさほど高くない。実作者にとって「俳句は短い」という事実は自明の理で、それを前提に俳論を展開する必要があったためだ。
しかし、彌榮氏は小説や詩、短歌との差異において俳句形式を改めて見直した結果、そこに他ジャンルにない「一挙性=歪み」が生成することを強調しつつ、しかも「歪み」を次のように示した点が従来の発想とやや異なるといえる。
一挙に読まれうることによって“無関係”が“無関係”のままで、一句の中で“関係”として成立するのだ。(「1%の俳句」p.69)
これが先に述べた閒石句の無関係/無意味のありようであることは、確認した通りだ。
その上でこの一節を参考にすると、「一挙性」が生成させる「歪み」とは、さしあたって事物やできごとなどが「“無関係”のままで、一句の中で“関係”として成立」してしまうことを指す、といえよう。
先にも述べたように、これは極端に短い俳句ゆえに発生する「歪み」で、小説などの他ジャンルでは困難なあり方であり、そのため彌榮氏は「一挙性=歪み」に着目したのである。
「取り合わせ」や「二物衝撃」等との比較に戻ると、これらに「“無関係”が“無関係”のままで、一句の中で“関係”として成立する」感覚は希薄といえる(ただ、論としては希薄だが、論者自身の俳句には多々見られる)。
ところが、彌榮氏の「一挙性」には、“無関係”が“無関係”のまま“関係”しあうことの機微が盛りこまれている。
これが重要なのは、この“無関係”の“関係”が近現代俳句の根幹をなす「写生」の本質に関わるために他ならない。
紙面の都合上、詳細には触れないが、橋閒石のような句は江戸期俳諧までにほぼ存在せず、近代以降に初めて出現したタイプの作品だった。
無意味・無関係を装いながら、一望しうるパースペクティヴや「意味」を考えさせることを読者に強いるような事物の提示は、実際は近代日本小説が獲得した「描写」のあり方と通底しており、そのような「描写」は江戸期の読本や小説、俳諧におよそ存在しなかったのである。
加えて、近代俳句における「描写=写生」は、同時代「文学」の潮流と軌を一にしつつ、その作品は似ても似つかぬ「一挙性=歪み」を生成させたものだったのではないか。
その「一挙性=歪み」が鮮烈に現れたのは、たとえば「1%の俳句」でも挙げられた飯田蛇笏や高野素十であり、あるいは中村草田男や山口誓子、また戦後の波多野爽波などが標榜した「写生」句群だったと推定される。
話を戻すと、彌榮氏の「1%の俳句」が示した「一挙性」は、「文学=小説」に決定的な影響を受けた「写生」の本質を図らずも言い当てており、この点、近現代俳句全体を貫く射程を秘めた認識といえよう。
先に、一見当然と感じられる俳句形式について検討を重ねたのは、そのためである。
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このように彌榮氏の評論を検討すると、「では「写生」とは一体何だったのか」という疑問が頭をもたげてくる。
ただ、この巨大な問いを正面から受けとめるのは「1%の俳句」レビューの任ではない。
従って、次回はその一端をまとめつつ、彌榮氏の論における「写生」観がいかなるものかを中心にまとめることにしよう。
なお、今回は主に「一挙性」に着目して紹介したが、それに付随する「歪み」に関してはさして言及しなかった。そのため、次回は彌榮氏の「歪み」がいかなるものかを簡単に整理し、その上で氏の「写生」観を紹介することにしよう。
(この項、つづく)
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