〔超新撰21を読む〕
一隅を照らす
山田耕司の一句……野口 裕
ちりめんのよぢりすぢりを花見かな 山田耕司
巻末座談会での筑紫磐井によると、句作中断の時期があったらしい。しかし、それに対応する句風の変貌はあまり感じなかった。百句の後半に、句作中断前からの友人に対する追悼13句があげられていることも影響してか、句風は連続している印象を受けた。その句風は以下のようにまとめることができるだろうか。
この世を祖述する正統な言葉(世界観)は失われている。対するに、世を呪詛する言葉さえも奪われている。
黒揚羽耳の奥より逃げ出しぬ
世は悲しみに満ち、悲哀は我が身を貫く。
茄子に臍彫りて不幸をわびにけり
だが、言葉は取り返されねばならない。
炎天を吸ひ炎天にラッパ吹く
以上のような観点から書かれたかに見えるが、一句がすべてを言い尽くすことはない。ひとつひとつの句は一隅を照らす役目を果たしつつ、すべてが一句の中に透けて見えるような句に仕上がっている。一句で全体を表そうという性急さとは無縁の余裕があり、それがユーモアと結びついている。
最初に揚げた句は、そうした美点をたっぷりと湛えている。
≫『超新撰21』・邑書林オンラインショップ
2011-07-31
〔超新撰21を読む〕山田耕司の一句 野口裕
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿