週刊俳句時評第38回
ビフテキと冷奴 宇多喜代子句集『記憶』を読む
神野紗希
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先日、現代俳句協会青年部の企画にお邪魔してきた。西東三鬼が生前にラジオ放送で俳句の作り方を語っているテープを、宇多喜代子氏が手に入れて、それをCDに焼き直したので、みんなでそれを聞こう、という会だった。三鬼の声は、想像していたのと大差はなかった。妙に、人の心を誘う声だった。ラジオの中で、「私たちはなぜ俳句を作るのか」という問いに対して、「自分が今このときを生きておるという感覚」「今の自分」「生きている自覚」というものが表現の根元にあると、繰り返し説明していたのが印象的だった。
CD自体は、十五分程度の短いものだったが、そのあと、宇多氏は、過去の俳人たちの話を中心に、いろんなことを語ってくれた。その中に、ビフテキと冷奴の話があった。
宇多 昔考えていたことと、どんどんどんどん、考えは変わりますよ。変わらないほうがおかしい。おんなじところに、おんなじ思いでずっと硬直してるのが、いちばんだめだと思うね。あんた、みんなビフテキなんかあったら、わーっと食べるでしょ?ここにビフテキと冷奴があったら、あんたどっち食べる?ビフテキのほう食べるでしょ?それがね、やっぱり年をとってくると、やっぱりあたしは冷奴食べると思うよ。昔は冷奴なんて、「こんなの」と思ってましたよ、「またお母さん冷奴出してる」と思ってましたよ。ところがね、生理的な感性ってのは変わるんですよ。やっぱり、境遇とか、環境とか、肉体の変化によって、変わるんですよ。そうすると、昔は、これはこっちからしか見えなかったというものが、ああ、こっちから見たらこうなんだ、みたいなね、違うアレもあるんだ、みたいな見方もできたり。かつてはこういう色が好きだったけど、今はこういう色が好きだわ、みたいな。軸が変わらなきゃいいんです。軸や根っこが変わらなかったらいいんです、枝葉は。
これは、宇多氏の実感から発せられた言葉だろう。
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そんな宇多喜代子の新刊句集が出た。第六句集『記憶』だ。彼女の嗜好が、どのように変化してきたのか。今いる場所は、どこなのか。そして、変わらない「軸や根っこ」はどこなのか。それを知るために、彼女の過去の句集をひもといてみたい。
春の風苦しむ鶏を抱きにゆく 『りらの木』(昭和五十五年)
頭の重い鴨の一羽を撃ち墜す 〃
鳥のごとくにいつの日か死す三人いて 〃
夏の兎飢えたり夢もみていたり 〃
野の蝶をみな懐中にかくしけり 〃
サフランや映画はきのう人を殺め 〃
第一句集『りらの木』は、鋭く重量感のある、石の礫のような句が並ぶ。一句目、「苦しむ鶏」を「抱きにゆく」愛情は、かろやかな「春の風」の中で、一塊のかなしみとして、句の重心・中心となっている。二句目、「頭の重い」と表現することで、銃を撃ったときのずっしりとした体感を言い当てている。それは、鴨の命を奪った一撃でもあるのだ。六句目、人が死ぬ映像を娯楽として鑑賞することへの疑問が呈されている。映画の中で人が死んだことをいうとき、「映画」が「人を殺め」ているという表現をとることで、映画を作った人間たちと、それを見ている私たち、双方への冷ややかな批評の視線が突き刺さる。「サフラン」は、紫で涼しげな花だ。その色彩が、ひやひやとした心理感覚を体現している。
全体に、死のイメージが大きく一冊を覆っている。三句目の「鳥」「三人」の使い方や、五句目の野の蝶を胸中にかくすというモチーフのように、抽象的イメージで書かれているのも特徴だろう。
麦よ死は黄一色と思いこむ 『夏の日』(昭和五十九年)
鵲が忘れていった父の帽子 〃
魂も乳房も秋は腕の中 〃
うらがえる芥子の畑よ誰かたすけて 〃
なぜ草矢暗くてひくい扉が越せぬ 〃
秋いまだ草の根しろく水の中 〃
第二句集『夏の日』は、『りらの木』から四年後の刊行ということで、そこまで大きな作風の変化はないが、「誰かたすけて」「なぜ」「いまだ」等の措辞に、自己の思いが、強く滲むようになったとはいえるだろう。
さくらのような薄墨の朝いつかくる 『半島』(昭和六十三年)
真二つに折れて息する秋の蛇 〃
一念の亀の子亀の子海に入る 〃
雪の原鴉の全智むらさきに 〃
生きながら蜻蛉乾く石の上 〃
人の死はいつも初雪に間に合わぬ 〃
半身は夢半身は雪の中 〃
これも、第二句集から四年後の刊行。このあとの第四句集『夏月集』で、大きく作風が変わるので、この『半島』までが、宇多の句業のひとつの区切り目になるだろう。意図的にルビをふった俳句など、冒険もみられる。一句目、目覚めたら、さくらのように薄く淡い色彩が世界を包んでいるような、そんな朝が、いつかきっと来ると断じている。希望を感じる句だ。おそらく、今の宇多であれば、この「いつかくる」の部分は書かない。もし書かれるとすれば「来た」というかたちで書くのではないだろうか。「いつかくる」の部分に、この時代の宇多の心の在り様があると読みたい。
天皇の白髪にこそ夏の月 『夏月集』(平成四年)
白でなし透明でなし那智の滝 〃
蛇の目は野の全景をおさめたり 〃
天に星地に闇幹に出水跡 〃
鱶の腹横に裂くことやむを得ず 〃
百歳は花を百回見たさうな 〃
第四句集『夏月集』。一番目につく変化は、それまで現代仮名遣いを使っていたのを、旧仮名遣いに変えたことだ。それまでの前衛的な作風のイメージもあったことから、伝統回帰ととられたことも少なくなかったようだ。実際、句の内容も、第一句集と比べてみると分かるが、あっけらかんと、明るくなった印象がある。
二句目、「白でなし透明でなし」というもの言いは、どのたまねぎを買おうか「ああでもないこうでもない」と考えている主婦のようだ。「那智の滝」という伝統的な情緒を持つ歌枕を、見た目の色だけ取り出して、そうした卑近な気分で句に詠んでいるところが新しい。六句目もそう。ときに人を食ったような、腹の据わりようは、これはこれで、押しても動かぬ重量感がある。それまでは、重心を前に置き、礫のように突き進んでいた詩性が、このあたりから、ゆったり座って、重心を後ろに置くようになる。
心臓のにぎやかな日の牡丹雪 『象』(平成十二年)
まず目鼻塞ぎ雛を納めたり 〃
八月の窓の辺にまた象が来る 〃
なんということなき部屋に春の空気 〃
粽結う死後の長さを思いつつ 〃
髪洗うまでの優柔不断かな 〃
死に未来あればこそ死ぬ百日紅 〃
大きな木大きな木蔭夏休み 〃
天空は生者に深し青鷹 〃
書くことも読むこともなく雪の中 〃
冬鷗一羽が生れ一羽死す 〃
旅おえてまた梟に近く寝る 〃
第五句集『象』。ここでまた、旧仮名から新仮名へと、表記を戻している。平明な言葉で、生きていることの華やぎが言いとめられている句が多い。その「生」は、「死」と裏表だからこそいきいきとしているのだという哲学が、「粽結う」の句や「百日紅」の句から読みとることができる。日常を詠んだことが分かる句が増え、抽象的な句は、初期に比べると、なりをひそめている。
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そして、今回刊行された、第六句集『記憶』(角川学芸出版 平成二十三年三月)。宇多は、この句集ではじめて、編年体を採用した。第五句集『象』から十年経っての刊行にも関わらず、収録句は三百句余り。一年に約三十句という厳選だ。句集の造りもいたってシンプル、値段も千五百円と手ごろな価格設定にしてある。そんなところから、宇多の哲学を読みとることもできるだろう。
ページをめくれば、簡単な言葉で、ずっしりとした重たいものを、両手でしっかり引き上げてくるような、そんな句が並ぶ。
庭花火生者ばかりで手を繋ぐ
ここになら住んでよさそう薄氷
千年を還せ揚羽の眼を還せ
深呼吸止めるとこの秋も終る
送別やこの青饅に足らぬ何か
よき相の朝の燕とすれちがう
触らせてもらう津軽の木の林檎
日と月の違いを述べよ冬木立
子猫の名いまだ決まらず雨止まず
冬霞向うが見えぬではないか
春の鹿朝の空気を奪い合う
一瞬の前にうしろに葛嵐
春の雲並びて二つ繋がらず
今生に目玉をのこす雪兎
石塊か蟇か日本の日暮時
二句目、「ここになら住んでよさそう」という軽い味わいの言葉ながら、どこか危うい気分が漂うのは、「薄氷」という季語の斡旋によるのだろう。今にも溶けて消えてしまうはかない光と取り合わせると、「ここになら住んでよさそう」の思いつきのような言葉の先にある未来が、どこか頼りなく思えてくる。でも、そもそも、生の時間自体、長さのとてもあやふやなものだ。そうした、薄氷のような時間の上に、「ここになら」の直感が連なって、人生は動いてゆくのだろう。
四句目、深呼吸をやめると、秋が終わってしまう、ということはよくわかる。冬は、深呼吸をすると、喉がつめたいし、そもそも寒いからちぢこまっていて、なかなか深呼吸という気分にならない。でも、この句は「この秋」。「この秋」と、ひとつの秋を指すことで、そうして終わってきた全ての秋の連なりが思われると同時に、次の「この秋」が来るのかという、単純な疑問がわいてくる。「この」だから、失われてゆく秋の時間が尊い。それはいつなんどきでも同じことなのだが、このように平明な言葉で切りだされると、今はじめてその真理に気付いたような心地になる。
「一瞬の前にうしろに葛嵐」、一読、飯島晴子の「葛の花来るなと言ったではないか」を思い出す。一瞬という時間のほかは、すべて、葛嵐のようなものだ、ということだろう。もちろん、主体は今、葛嵐の真ん中に立っている。現実に、葛嵐の中にいて、その風の強さを受けながら、同時に、彼女は、生の時間の、「前」でも「うしろ」でもなく、この「一瞬」に立っているのである。そして、時間は、葛嵐のように、ざあああっと、ものすごい勢いで、音を立てながら、あちらへと吹き去ってゆく。
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自ら「ビフテキと冷奴」の喩を用いて語るように、宇多自身、ビフテキ的なものから冷奴的なものへ、舵を切ってきたようだ。しかし、もちろん、変わらないものもある。たとえば、彼女は、一貫して、「死」のことを書いている。映画に死ぬ人も、麦畑に呼びかける死も、目鼻を塞がれる雛も、新しい命が生まれることによって押し出されるようにして死ぬ冬の鷗も、目玉を残して消える雪兎も、みな、死ぬ。おそらく統計をとったとしても、これだけ、「死」の語を用いて句を作ってきた俳人は、珍しいのではないだろうか。しかし、彼女は「みんな死ぬ」という事実の前に、ニヒリストにはならない。苦しむ鶏は抱き、穏やかに粽を結い、庭の花火にさびしくなったら、ときに手を繋ぐ。
宇多 女性の底力は丸腰ですよ。刀がなくて、丸腰でやれること。何もなくても身一つで立てる力を持っている。きっと、宇多の句の「根っこ」には、生きて死ぬものたちへの透徹した愛情がある。きっと、愛することで、「みんな死ぬ」というおそろしい真実を、超えようとしてきたのだ。句集名にもなっている「記憶」とは、しっかりと目に焼き付けて、対象を覚えておくこと。まさに、愛することだ。「みんな死ぬ」という大きな命題に、どう対処するかで、人の生き方、スタンスが大きく変わってくるわけだが、宇多は、生きていくそのひとつの在り方を、抽象で具象で、愚直に見せてくれる俳人である。
鍵和田 女性の底力を一言でいえば、いろいろなものに対する愛情かなあ。
宇多 そう。愛情とも言えるでしょうね。
(「俳句」2011年7月号 「大特集 女性俳句のこれから/スペシャル対談 女性俳句の底力」より抜粋)
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