2011-07-03

商店街放浪記45 大阪港吟行(1) 小池康生

商店街放浪記45
大阪港吟行(1)

小池康生

大阪港のことは一度書いている。

あれから何度か港をうろつき、また書きたくなった。

最近のことではなくて、今年の2月のこと。旧聞に属するのだが、昨日今日の話もどうせすぐさま旧聞となるのだから、良しとしよう。自分で良しとしながら古い根多を引きずりだすわけである。

去年あたりから、銀化大阪句会では、「大阪ディープ吟行」をおこなっている。定例の句会とは別に二ヶ月に一度、大阪の街をうろうろするのである。

鶴橋に行ったり新世界に行ったりしている。新潟や名古屋からの参加者もいて、大阪に詳しい日本人を増やしている。

2月の吟行の趣向は、大阪港に事務所を構え大阪港の研究をしている赤レンガさんに案内を請うことであった。

銀化俳句会と路地裏荒縄会のコラボーレーションである。

路地裏荒縄会の筆ペンさんにも声を掛けた。この人、同人誌に所属する俳人なのだ。

以前に書いた商店街放浪記の大阪港編では、胴間声が響く居酒屋で港湾労働者がおばちゃんの乳を揉み、その横で、筆ペンさんは、カウンターのティッシュケースから紙を抜き取り、そこに俳句をしたためていた。

あれは確か、夏の話。今度は冬から春にさしかかる大阪港だ。

銀化京都句会も迎え、にぎやかな吟行である。

なぜ、皆をここに案内したかというと、以前、赤レンガさんの事務所で見た一枚の写真が気になっていたのだ。その写真がこれ。












外国の写真ではない。

ジャパニーズの大阪である。

明治36年頃だろうか、築港事業でできあがった大阪港の大桟橋だ。そこに外国の船が行き交う。夢のような写真だ。

わたしは、この写真に感動し、もっともっとたくさんの人がこの現実にあった“夢”を知り大阪を見直すべきだという思いが高まった。

まずは銀化の仲間に見せようと・・・・。

その思いを赤レンガさんにぶつけると、「他にも写真やグラフなんかパネルにしてあるから、それで紙芝居風に大阪港物語ができるよ」とのこと。それで話が決まった。

大阪の地下鉄淀屋橋駅に集合。

京都勢も京阪一本で来られるし、名古屋から来る仲間にも便利。

それだけではない。京都勢から御堂筋を歩きたいとのリクエストもあったのでそれも考慮。意外なことであるが、京都勢は、御堂筋を歩いたことがないというのだ。

だいだい神戸の人も京都の人も、大阪の街が好きではない。

大阪人は京都も神戸も大好きで頻繁に遊びに行くが、神戸や京都から大阪に遊びに来る人は、百年にひとりくらいである。

それほど他府県から大阪の人は愛されていない。

全員集合のあとは、地上に上がり、淀屋橋から本町まで御堂筋を散策。

この界隈、御堂筋がもっともよろしき佇まいを見せる。御堂筋の東西に歴史的な名所旧跡が点在するあたりなので、その空気感が御堂筋にまで及んでいるといえば大袈裟だろうか。

御堂筋歩きの目的のひとつに、芭蕉終焉の地訪問があった。以前の吟行でも訪れているのだが、京都勢は初めてなのでご案内する。

御堂筋には二つの分離帯が存在する。

南向き一歩通行の大動脈。6車線を有し、真ん中が4車線。その両脇にグリーンベルトを持ち、左右に1車線ずつある。東側の1車線と中央の4車線を仕切る分離帯の上に、芭蕉終焉の碑があるのだ。

だから、信号のない車線を横切り分離帯に乗っかる。危ないといえばアブナイ。

若くはない集団が細い分離帯に集まっているのをドライバーたちは、不審な目で見ていく。石碑と記念写真を撮る中年および高齢者の異様な集団である。

当然ことながら、御堂筋に面した南御堂にもうかがう。ここには芭蕉の辞世の句を刻んだ句碑。

さて、芭蕉詣でを終え、地下鉄中央線に乗り込む。

御堂筋と中央線が十字架の形をなし、大阪の街の骨格になるのだ。

十五分もすれば、大阪港である。

まずは、赤レンガさんの事務所のある三井商船ビルの見学。

このビル内で句会を行うのである。

車で海遊館に行く人は、必ずこの前を通っているはずである。











前出の大阪港大桟橋は、この写真の左手奥、すぐのところにあったのだ。

この三井商船ビルは、大桟橋に出入りする外国航路の待合室だったのだ。

大桟橋は失われ、待合室は商業ビルとなり、デザインナーの赤レンガさんは、ここで仕デザインの仕事をし、ショップも経営していたのだ。

ビルをチラ見し、昼飯である。

気軽な中華へ。今日は参加していないが、路地裏荒縄会のペーパーさんご推薦の「泰県(たいけん)」である。昼間から、ビールを飲み、安くて旨い定食を食べる。彌榮浩樹は、この店で、「泰県ランチ」という前書きを付けた句、

 まづスープ来て素潜りの春の鴨  浩樹
 
を作り、皆を驚かせた。もちろん、掲句を知るのは、数時間後の句会でのことだが、私もこの句を頂き、大阪句会の亀田憲壱も採っていたことも覚えている。

食事を終えると、渡し船。安治川河口、河であり海であるところを渡る。帆船をはじめ、各種観光船が行き交うが、わたしたちは無料の船で渡る。

この船から、吟行気分がぐっと盛り上がるのだ。

 早春や船に手書きの時刻表  康生

(続く)

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