〔週俳6月の俳句を読む〕
夏のおしゃれアイテム
榊 倫代
先日あるドラマを見ていたら、「冬なのに白い靴!?」というセリフがあった。見るからにコンサバでスノビッシュな主人公が、息子の連れてきた女を見て言いそうなことだと面白く見ていたのだけれども、一緒にいた家人は「なんで冬に白い靴履いたらだめなの?」という感想を持ったらしい。
川端康成「掌の小説」の「夏の靴」では、少女の境遇を明かす重要な小道具として、白靴が物語の最後の場面に出てくるが、ここでのやりとり、
「冬でも白い靴を履くのか。」
「だってあたし、夏にここへ来たんだもの。」
も、読んでもぴんと来ないということになるだろうか。「小さい靴が一足枯草の上に白く咲いていた」の悲哀は、季感を抜きにしては語れないと思うのだが。
しかし言われてみれば、気候に合わせた服装をする慣習やルールはかなり緩くなっていることに気づく。冬でも半袖、夏でもブーツ、サラリーマンは一年中スーツという世の中だから、冬の白い靴に違和感を抱かない人は多いのかもしれない。
閑話休題。
海を見に行く白靴のおろしたて 村上鞆彦
季節というものを日々の生活の中でも意識している作者なのだろうと思う。わざわざ海へ行く日にあわせて、新調した靴をおろしたのだろう。新しい靴の硬さやまだ擦れていない靴底の立てる音。夏の始まりと響き合っている。浮き立つ心が足元にも伝わるようだ。
サンダルなどではなく白靴であるのが、端正な作者らしい。それも、きっとスニーカーではなく、白いデッキシューズ。
(直接存じ上げないのですが、お写真や読んだものから受けるイメージで勝手なことを書きました)
「行く」ではなく「見に行く」の微妙な距離感もいい。大人の夏休み、という感じ。
スーパークールビズも悪くはないけれども、白い開襟シャツやパナマ帽、白靴という、かつての日本の夏の男性の服装が実は大変好みで、密かに復権を夢見ている。
「銀座にソオダ水を飲みに行く」〔註〕的な夏のおしゃれアイテム(笑)としての白靴、どうですか。
〔註〕尾崎翠「詩人の靴」
第215号 2011年6月5日
■生駒大祐 しらたま 10句 ≫読む
第217号2011年6月19日
■村上鞆彦 海を見に 10句 ≫読む
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2011-07-03
〔週俳6月の俳句を読む〕榊 倫代
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