〔週俳6月の俳句を読む〕
不思議な来客
藤枝一実
夏の客人漂うて来て椅子にゐる 生駒大祐
「夏の客人」が「漂うて来て」という情景を頭の中に結ぼうとすると、するすると逃げてしまう。
何故だろう。
まず、「夏の」と大きく掴んであることで、夏の雑多で具体的な情緒は一括りにされ、抽象的な面だけが据え置かれている印象を受ける。そこに「漂うて来て」という浮遊感が加わり、「客人」の実在性そのものが危うく感じられるのだ。
しかし、彼の人は「椅子にゐる」。「椅子」という確かな物質を得たことにより「客人」は依然得体の知れない姿でありながら不思議なリアリティを伴って浮かび上がってくる。
虚実を縫い合わせたような空間と時間のうねりが魅力的である。
第215号 2011年6月5日
■生駒大祐 しらたま 10句 ≫読む
第217号2011年6月19日
■村上鞆彦 海を見に 10句 ≫読む
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2011-07-03
〔週俳6月の俳句を読む〕藤枝一実
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