2011-08-14

〔超新撰21を読む〕山田耕司の一句 野口裕

〔超新撰21を読む〕
視覚と嗅覚をさまよう
男波弘志の一句……野口 裕


揚羽蝶帯の匂ひのしてならぬ  男波弘志

昔懐かしい言葉で言うと工業地帯に生まれ、両親は生活に汲々としていたもので、伝統的な宗教とは縁遠かった。長じてから、たまに阪神地帯を南下し、弘法大師の勢力圏であった和歌山あるいは四国方面に出かけると、ちょくちょく曼荼羅に出会った。

しげしげと眺めたことはないが、ちょっと見にどうも奇妙なものに思えた。平面を分割して、分割した一区画ごとに意匠が描いてある。一区画は全体の縮図のようであるが、ひとつひとつは異なっているようにも見えた。

さらに長じてから、美術館や博物館で鑑賞するなら、見る方の意識も気取ったところが出てきているので仏教の哲理みたいなところに向いていくだろう。だが、値段の安さにつられて泊まったお寺のやっている民宿で見かけたときは、あの味噌汁はまずかったなとか、えらく蚊にやられたなとか考えているところで出くわしたことになり、そんな状況での曼荼羅は下卑ているようにも見え高尚なようにも見えた。

揚羽蝶は綺麗なものながら、生物として当然の営みのため、雌ともなればフェロモンを放っているだろう。とすれば、この句の「帯の匂ひ」はフェロモンに近いものだろうか。蝶の紋様は帯のそれと重なりつつ、しかもずれる。作者の操るところにしたがい、読者の想念は視覚と嗅覚をさまよう。



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