週刊俳句時評・第43回
俳句幼年期の終り?――志賀康『山羊の虹』
関悦史
一昨年の「LOTUS」での連載(第15号~18号)開始当初から、いったい何が始まったのかという不穏な気配を漂わせていた志賀康の『山羊の虹――切れ/俳句行為の固有性を求めて』が、ついに単行本として邑書林から刊行された。
「切れの歴史書にして預言書の誕生」と宣伝文句にある通り、錯綜を重ねてきた切れについての論議、芭蕉から現代にわたってその実相と機能の仕方の変遷をつぶさに辿り、切れ、引いては俳句が本来孕んでいる可能性を最大限まで引き出そうとした労作で、今後本書を避けての切れ論議は成立しないのではないかとすら思われる。
実作者にとっては切れがこれまでにどのような機能を開発されてきたかが通覧できる書物でもあるのだが、切れ論とはいっても、実作や鑑賞における技巧論に終始する偏狭な書物ではいささかもない。
むしろ俳句というジャンルの固有性に発した高度の詩論といったほうがよく、専門的でありながら、というよりも専門的であるがゆえに、詩歌に関心の深い読者に対し、俳句における作者・読者の詩的体験とはどういうものなのか、その真面目を窺わせる入門書としておそらく最適の一冊ともなる。
志賀康は子規以降の切れの変遷を見ていくために《五十余人の俳人の一千句からなる私家版アンソロジーをつくり、切れの特徴(仮想的規範として抽出された切れの諸相や新種の切れ)で分類し、時系列的にみてゆくという作業》を行なったという。その結果、切れの機能は時代が下るにつれて次第に弱まっていることが改めて確認されている。
「一千句」というのが統計学的に有意な数字かどうかは定かでないものの、このアプローチ法で重要なのは、単に理系的・機械的な処理を施した(から議論の土台となりうる)という無味乾燥な正確さではなく、志賀康という読み手を通してそれぞれの句の内実と味わい、そしてそれをもたらす切れの機能の仕方につぶさに批評眼が働かされているということだろう。
とはいえ論全体の進み行きは、目次を見ればわかるように、フローチャート(流れ図)のように明確なものである。
はじめに
芭蕉発句の切れ
一 意義の方向づけ
二 暗喩
三 文相当の表現性
四 宙吊り感
五 感性の異化作用
子規以降の俳句の切れ
一 昭和初年まで
(1)「意義の方向づけ」と「文相当の表現性」
(2)碧梧桐の新傾向俳句
(3)「情感の映発」
二 昭和一桁後半から終戦まで
(1)草田男の暗喩
(2)新興俳句
(3)内面への視線
三 戦後二十年間
四 その後の有季定型俳句
(1)藤田湘子の切れ観
(2)長谷川櫂の切れ観
(3)取合せ
来たるべき切れを求めて
一 不可視への自問――河原枇杷男
二 「切」から「開」へ――安井浩司
おわりに
《本書で明かしていきたいことは、従来言われてきたことの延長線上での切れの役割ということにとどまらない。というのは、本書では俳句形式の静的側面をできるだけ脱して、動的な「俳句行為」の側面から、切れのはたらきを見ていきたいからである。(……)
すると当然ながら、ここで考える切れには、一般に考えられてきた概念を大幅に超えたものが含まれてくる》(p.8)
と「はじめに」に書かれているとおり、本書での切れの探究は、言語化しえない所与のものに対してぎりぎりのところまで迫りぬく試みとなっている。
《時に我自ら我を疑ふ事さへある》碧梧桐
《言葉の向うに、言葉を通して、現実にはない或る一つの時空が顕つかどうか》飯島晴子
これら本書中に引かれているもののほかにも類似の文言は少なくなく、俳句が散文的に言い換え、理解されうる領域以外に、或る固有の仕方で接し、開けているという了解に異論がある俳人は多くはないと思われるが、志賀康はさらに《一句全体が新しい世界にどのように開いていけるか、さらには、俳句形式がいかにして他者・異界に晒される形式になり得るか、ということなのだ》(p.156)と踏み込み、その結果、終章が《「切」から「開」へ――安井浩司》と題されていることからわかるように、従来、異端・前衛視されてきた安井浩司が俳句の原郷ともいうべき地点から最も多大な潜勢力を引き出している存在として見出される。
いや、話の順序は逆で、安井浩司という、実際に現われてしまうまで余人の想像しえなかったような作者の存在が、俳句形式への根源的考察を使嗾したのだろう。
じっさいこの章での志賀康による安井俳句の読み込みはじつに精細なもので、例えば第三句集『中止観』の《人参が死産の家におどりゆく》の「人参」を、アレゴリーのように介入しながら《喩的に暗示する個性を持っていない》人参そのものであると定位し、その反・喩による他者性・異界性への開けを評価しつつも、そこに《こちら側の世界から、「人参が死産の家におどりゆく」と発語している者の姿》を感じ取り「いま・ここ」の生起性からの隔たりを指摘する。
続く第四句集『阿父学』の《旅人よみえたる二階の灰かぐら》や《翁二人がすれちがうとき黒牡丹》も《一句の全体が有機体として生きる場や、それらの句の複数としての場の息づきを、所与のものとして感じることはなかなか難しいのである》と裁定され、《燈心草にあらゆる今日の牛の声》《白雲と老母うやむやの関に遊べ》などを含む第六句集『牛尾心抄』に至って、ようやく志賀康は《その世界は、内容的には地上のものであっても詩的地上性は不思議に払拭されていて、個の最も原初的な情動や生理の発現を許すなにものか(原文「なにものか」に傍点)の存在が感じられるのだ》と、後知を免れた原知の表れを認めるのだ(この「後知」「原知」は志賀康の用語だが、それぞれ「言語的分節による認識」と、それを被る以前の「与件」と取ってよいと思う)。
ここでは「わからない句というわかり方」をも排し、「神」等と名づけてしまうことによる後知化・実体化をも避けつつ、ひたすら俳句が原知・所与のものへと開ける回路を探る稠密な思考が展開されている。
そしてこうした安井浩司を俳句の本流に据える見方を我田引水と言わせぬために、そこまでの歴史の検証過程が置かれているわけだが、この前段階の部分も無論益するところが多い。
(子規、碧梧桐、虚子、蛇笏、石鼎、水巴、青畝らの句を引き)
《この時代、作者が自分の感動を「かな」「けり」のような切字表現に託し、読者もそれを共感できるということを互いに信じあっているような、共同体的俳句観がまだ残っていたのである。散文では表現できない感動を、解釈するのではなく直截に胸中に受けとめるという読みが、共有されていたのではないだろうか。と言うよりも、この時期を最後にそのような読みの共同能力は失われていったと言うべきだろう。
この後、俳句制作の環境全体が次第に都市化・近代化・複雑化するとともに、都市生活者の手による俳句が次第に比重を増していくなかで、次第に作者の内省の率直さを共通の基盤としていった近代的感性は、多くを述べる書き手と、すべてを解釈済みにしたい読み手を生むことになっていった。
そのようなことを通して、「文相当の表現性」に存在する非理の共感域を失ったことは、俳句そのものが大きな空隙を宿命的に内包したことを意味していたのではないだろうか。》(p.68-69)
切れの諸機能が弱まっていく歴史的過程、その原因を下部構造、社会の変動に求めるという形で史観を形成することは本書の眼目ではないので、この話題はこれ以上深められることはない。切れの減少傾向は歴史的必然を仮構するためよりも、むしろ単に事実確認として言われているようだ。
注目すべきはこの「非理の共感域」を失った結果、俳句の享受がどのような現状を迎えているかの確認である。
その一例として出てくるのが田中裕明の《悉く全集にあり衣被》に対する解釈の割れなのだが、小澤實はこの句を《日記、メモなど断簡零墨まで収められる全集に対するほのかな批判を感じる。(略)ありがたいのだが、なにかうるさいような感じ、それが「衣被」の諧謔によって表現されている》と読み、正木ゆう子は《作者は欲しかった全集をやっと手に入れた。(……)里芋の小芋をまるごとふかした素朴な食物は、若い作者がやっと揃えた全き全集の喜びにふさわしい》と読む。両者の受け取り方はかなり異なっている。(p.141-142)
これを受けて志賀康はこう述べる。
《以上の何人かの読みの例では、季語の読みあるいは季語の属性の発見に評者の感性を集中し、発見されたものが季語以外の部分の読み(物語)を保証しているかどうかが、最重要であるようだ。》(p.145)
その理由として上がるのが以下の藤田湘子に触れた件りである。
《小論では、(……)湘子が、季語以外の部分が季語とかかわりのない内容であるという句づくりの方法論を強調し、季語の情感の狭いワク内での句づくりから脱し、切れを深めようと主張するのを見てきた。季語の本来の情感が生活実感に裏打ちされて所与の情感として受容されていた時代には、季語はそれとかかわりのない内容のフレーズへも、意義の方向づけや暗喩という手法で、あるいは文相当の表現性という無媒体の詩情を通して、架橋をかけることができたのだろう。
しかしこの「季語以外の部分が季語とかかわりのない内容である」という方法論は、本意による非思量かつ所与の架橋が困難なものになってきた現代においては、それでもなお一句の中心として確定すべきものと信じられている季語の含意を、改めて認識し了解する必要性を生んでしまったのである。その結果、季語の連想のワクから遠去かろうとした切れを、解釈のペーストで埋めようとしてきたのではないか。未解決の混沌状態のままでの非理の受容という超越的な価値体系を通した切れというものを、手放してしまったのだ。》(p.149-150)
しかし…
《そもそも俳句とはそんなふうに、ことごとく解決済みにするものとしてあったものだろうか。(……)そのように、切れを貼りあわせて自己の納得の世界に回収してしまう読みとは、もはや切れの読みとは言えないだろう。そしてまた、そのような読みをもっぱら期待しているかのような俳句には、もはや切れがあるとは言えないだろう。》(p.146-147)
ここで明らかにされているのは、近年、俳句がしばしば言語化済みの了解可能性や共感性の枠内で享受されてきてしまったことと、切れの減少とが相関関係にあるということである。
共感性の枠内にあるものは「他者」ではなく、そして他者性の有無は文学テクストの価値に大きく影響する。志賀康が切れを重視する根拠はここにある。単なる技巧や特質の問題ではないのだ。
《現実の世界を超脱することに俳句の本来的な切れがあるのではないかということは、俳人の広い範囲で考えられていると言って良いだろう。(……)すなわち問題とすべきは、一句のなかの言葉と言葉の間の切れということではなく、また句末の切れの深さというような従来の切れ観でもなく、一句全体が新しい世界にどのように開いていけるか、さらには、俳句形式がいかにして他者・異界に晒される形式になり得るか、ということなのだ。》(p.156)
《長谷川櫂は、「別の世界」を「言葉の風味で成り立つ世界」と表現したが、そういうふうなすでに共通感覚となった後の美意識ではなく、美意識を含めた私たちの意識やタブーも含む現代の価値観、そして存在の不可思議への気付き、そういったものの萌芽的原風景をこそ見たいという思いも強い。
こう言ったからといって、これから書こうとしていることは、俳句元来の志向性の一面からそれほど遠くへ行こうというわけではないのである。》(p.157)
志賀康が本書で提示したものは、切れは、進化するというより、俳句形式の単独性に立ち戻って改めて深化すべきだという方向性だろう。
《現実を見回してみるならば、俳句が短歌はもとより現代詩よりも先鋭的詩の可能性に開いているのだということに、ほかならぬ俳人たちの多くが思いを馳せることがないということ、そこに俳句の情況の最大の難儀があるのだ。》(あとがき p.200)
俳句が最も先鋭的というのは私個人が一読者として俳句を読み始めたときの印象でもあったが、また最近は忘れがちになっている感覚でもあった。
そしてこうした可能性を見出され、未来へ繋がる作例とされているのは何も安井浩司ばかりではない。切れの情況論から見れば「べた凪状態」となっている近年の有季句からも、「意義の方向づけ」とは異なる「情感の映発」を成す切れの句として次のような例が挙げられている。
松の花月下は下駄の音よけれ 藤田湘子
葛切や南さみしき京の空 同
夕月や島をはなれぬ凧 飴山實
羅や運河にうつる橋の裏 小澤實
月の出や鯛骨蒸の眼澄む 同
杣人の長身たわむ露の月 田中裕明
湖國とや墓を洗ふに水鳴らし 同
《これらの句では、季題趣味を借りてくるのではなく、季語にしてもその本意にどっぷりつかることを要求するような季語ではなく、一句の情感―世界と言ってもよい―が、その句自体によって創出されているようだ。「意義の方向づけ」の衰微した形とは全く違うのである。特に小澤實や田中裕明の句での言葉の斡旋のうまさは、俳句に新しい像空間を将来しているように思う。これらはもはや従来の有季の句というよりも、季感を含みつつもそれを超えて、世界の象徴としてはたらきはじめているように感じられる。》(p.152)
ところで志賀康は「所与のもの」等の言葉遣いからするに、俳句が「開」けていく先を自然や現実、あるいは少なくともそれを基盤とした領域に想定しているようだ。ときにホーリズムに接近するかに見えるのもそのためだろう。
本書では多行形式については取り扱わない旨が「はじめに」に記されているのだが、多行俳句はしばしば後知(言語的分節)によって所与のものを回避、あるいは排斥しつつ、自己と虚の間をダイレクトに架橋しようとしているような印象を、私も持っている。多行形式と志賀康のいう原知への探求とはおそらくそこで別れる。有季の佳句の作例も含め、「開」けのルートは一つではないのだろう。
本書の「切」を「開」へと陰陽反転させるダイナミズムは、それへの賛否を問わず、俳句はいかなる機構によって詩であるのかという問いをもって読者を揺さぶる震源となる。
※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。
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