商店街放浪記48
大阪・天王寺、あべの界隈(2)
小池康生
あべのキューズモールをとやかく言うつもりはないが、ショッピングモールというものが苦手なのだ。
それなら、行かなければいいのだが、行きたいのだ。
街がどう変わるかを見ておきたい。
結論から言うと、出来立ての建物はとてもキレイ。
そして、この類いのモールは、最近、あちらこちらで見かけ、どこもとてもよく似ている。
<阪急西宮ガーデンズ>、<くずはモール>などとソックリである。
同じ設計図をちょこちょこといじって出来上がったような印象。
それほど、よく似たレイアウトである。
だから、どこかの大型ショッピングモールに行けば、もう他のモールに行かなくていいわけだ。
地域住民に向けて作っているのだから、よその人間はこなくていいのだ。
行くときは覚悟しなければいけない。自分の街にあるそれと同じものがそこにあると。
樟葉という街は、大阪と京都の中間にあるだが、車があるからと行って、1時間以上もガソリンを燃焼して大阪と神戸の中間にある<阪急西宮ガーデンズ>に行くと、<くずはモール>とそっくりのものを見ることになる。中に入るといよいよ、
「樟葉に戻ってる・・・」
と妙な錯覚に陥る羽目になる。
少し大袈裟に聞こえるのは、大袈裟な文章のせいだが、まぁ、しかし、そんなに無茶なことも書いていない。
日本全国駅前に同じようなファーストフードとチェーン展開の居酒屋が揃っていくように、都会のなかの巨大スペースには、よく似たショッピングモールができていく。俳句で言えば、類想、月並みである。
概ね一緒であること責めても仕方がない。
微妙な違いを愛でる方が世の中を楽しめる。
あべのキューズモールには、東京の渋谷にある「109」が入っている。
わたしはこれが見たかった。
阿倍野に「109」、どんなことになるのだろうか。
大阪にギャルなんていない。原宿の橋の上で外国人に写真撮影をせがまれるようなギャルは大阪にいない。差別ではなく、トーキョーの彼女たちは、今も感性の新種なのだと思う。
大阪にも大阪の新種は当然いるだろうが、東京のそれとはまた違うテイストであるような気がする。阿倍野の「109」は、大阪の街に、阿倍野の街に定着するのだろうか。
なぜか、そんなことにも興味がある。 一回足を運んだからといってそれが分かるわけではないし、10回足を運んでも分からないし、遠くで薄らぼんやり考えて忘れる程度のことだろうが、それでも興味は興味だ。
東京の渋谷「109」の前で待ち合わせることはあっても、中に入ることはなったし、ましてや、ギャルの衣装を売る店の前を歩くなんてことはない。
しかし、あべのの「109」では、歩けるのだ。
わたし一人ではない、路地裏荒縄会の、むさくるしい男どもがいる。
ペーパーさん、筆ぺんさん、九条DX、いずれも、嵩高い男たちである。
ビジネススラックスにワイシャツ姿である。
頼みの綱は、赤レンガさんだが、彼女とて・・・いや、なんというか、概ね同世代なので、ここを歩くには辛いものがあったかもしれない。
結果、まぁ、なんとか、109ゾーンを歩ききり、それはイズミ屋のファッションコーナーを歩くのと大差のない体験であった。
しかし、ここに109を招致するのは、かなりのアイデアであると思うし、同じような建物のなかで、違う仕事をしようとするプロデューサーなのか、バイヤー的人物なのか、そのポジションの手柄かは知らないが、仕事人の存在を感じる。
今、大阪では、ナンバ界隈の客が、この阿倍野天王寺界隈にとられているという。
土曜日曜は大変な人出であるようだ。
屋上で一休みし、本日の居酒屋をどこにするか、つらつら語りあう。
このキューズモールの中に、居酒屋の集まる一角がある。
九条DXが素早く見破ったのは、
「地権者の入るビルでしょう」
ということだった。大きくは、あべのキューズモールのなかにあり、北側の段落分けされた飲食街である。
ここに彼の明治屋が入っているのだ。
太田和彦氏の『居酒屋大全』にも書かれている、あの明治屋。
わたしはこの店にどれだけ憧れていたことか。
明治屋は閉店して、無くなったと思っていたが、ここに・・・。
めでたいる誰も異議なく、いそいそと明治屋へ向かう。
あべのキューズモールの中に、彼の名店が復活していたとは。
竜胆のどこが嫌ひか考へる 康生
(続く)
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2011-09-18
商店街放浪記49 大阪・天王寺、あべの界隈(2) 小池康生
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