2011-10-09

〔10句競作を読む〕玉と石 堀田季何

〔10句競作を読む〕
玉と石 堀田季何


第2回「10句競作」全作品を拝読。意欲的な作品が多く楽しく読みとおせたが、まさに玉石混淆。しかも、作品単位で玉と石に分かれているのではなく、ほぼ全ての作品に玉と石が入り混じっている、そういう印象を受けた。

そもそも主要新人賞の30~100句ではなく、たったの10句で勝負するわけだから、玉だけを出すべきなのに、砂利に当たる率が高かったのには驚いた。芭蕉の「衰や歯に喰当てし海苔の砂」は食べている人間の衰えを詠んでいるが、今回の競作では、食べている人間でなく砂を混ぜてしまった人間の衰えを嘆くべきであろう。

面白い事に、石に相当する句は、守りに入ってしまったオーソドックスな句が多かった。つまり、類想類句に出したり、つまらない内容を詠んでしまったり、報告で終わったりしてしまっているからである。もちろん、34篇の中には珠玉もたくさん見られたが、それらの佳品のほぼ全ては、守りに入ってはいなかった。冒険を試みた形跡が見てとれた。

ベテラン大御所ならともかく、若手・新人ならがんがん冒険して、俳句の未来を切り開いてほしい。『週刊俳句』の「10句競作」はそのためにこそあるのでないだろうか。

さて、小言はこれまで。以下、各作品の印象や気になった句を、スペースの都合上、印象批評で。公平性のため、作者のプロフィールは一切無視した。結果、評者より句歴の長い先輩の作品にも容赦なく辛口コメントを書かせていただいた。その点、ご寛恕を。


【01 新・露出狂】

「新・露出狂」という題名に応えて、読者を驚愕させるようなエロスの世界に誘ってほしい。そもそも露出狂を直接詠んだ句がない(それとも、エロスの句をネットに露出させたから露出狂なのか)。意味がわかりづらい「緑陰」の句が評者にも選者にも一番よく思えてしまうのは残念。際どい題材は読者の期待が高いので、作者は羊頭狗肉だと思われてしまい、損している。素質もリビドーも感じるので、今後に期待。


【02 株主総会】

2)評者も同様の世界にいた事があるので、よくわかる。こういう世界の職業詠は好きだ。そのかわり、期待が高い分、予定調和的でない内容にしてほしかった。典型的な株主総会の情景でなく、読者を最後まで昂奮させるようなプラスアルファが今後の課題。「想定問答」や「冷房」の句には好感が持てたが、「アイスティー」や「玉の汗」のような句はもっと捻りたい。季語の斡旋も適切だったので、あとは内容で弾けてみるだけ。


【03 夏の傷痕】

「西瓜にのまれ」の幻想も「なめくぢ」の暗喩も成功していると思う。10句、物語性をそそる語彙を使いながらも実は特に連作ではなかった、と云うところが損。ソープ嬢や小児性愛を詠むなら、徹底的に踏み込みたい。また、季語の斡旋も改善したい。ポテンシャルがあるので、玉と石の落差をなくせば次回以降チャンス。


【04 炎昼裡】

「印刷」の句は玄妙、「一行詩」の句は清新。しかし、「朝市」や「大鳥居」の擬人的な動詞、「炎天」・「はっきり」・「ヨット」のような類想の多い発想は克服したい。「蝉しぐれ」の句も面白かったが、青山茂根の「塔あらば千の虫籠吊るしたし」を越えていないのが惜しい。


【05 座禅】

俳諧の時代に通じる素朴なユーモアに満ちあふれている。こういうセンスは、今後も大切にしていきたい。ただ、表現、内容(意図が見え見えだったり、類想的だったり)、季語の斡旋、いずれも改良の余地あり。今後の路線は機智か写生か。


【06 片膝】

一読、非常に手馴れている人が作っている感。安心して読めた。今後は、「上手」・「皆人」・「大広間」のような報告調の句を捨てられるか、類想句の多そうな爺臭い趣味を捨てられるか、それにかかっている。「八月大名」・「花氷」の句などはエスプリがあって佳品。「蛇行」・「銀漢」は素敵な内容ですが、表現に推敲の余地あり。


【07 無限接点】

今回、高く評価できたものの一つ。詩になっているし、滑稽味も成功している作品が多く、題名も適切。質的には、良いのが前半5句に集中してしまい、竜頭蛇尾になってしまったのが痛い。採れる句が5句もある作品は他にはあまりなかったので、あと1,2句推敲していれば受賞できたかも。評者は「対話篇」・「始まり」が好き。


【08 夏休み】

全体的にきちんとした俳句が多いし、安定性を感じさせる。ただ、類想が目立つし、「句会用の安全句」ばかりで構成している、というネガティブな印象を読者に与えてしまっているのが不幸。作品のトーンからは作者の抒情性を感じるが、類想的であったり、インパクトが弱かったりする句が並ぶと、詩情よりも報告性が前面に出てきてしまい、読者は「あ、そうですか」と返すほかない。夏の淡い日々という世界観が素敵なだけに勿体ない。


【09 Summer In The City】

同じく夏の作品だが、こちらは都市の夏。大半が建築構造物の句。「駅徒歩」・「高速道」の句は独特の把握があって佳品。他の作品は、少し受け狙いの意図がみえみえだったり、説明的だったり、類想的だったり。惜しいものばかり。蛇足だが、「美少女が団扇を配る繁華街」には評者も通いたくなった。


【10 夜 叉】

平均点の高かった作品の一つ。二物衝撃が効いている句も多かったし、作品全体を貫く世界観も見えてくる。「なまなまと」の感覚や「月待つや」の情緒が新鮮。題名になっている「夜叉」の句も面白い。弱い句はあるものの、完全な駄句がないのも強み。玉に瑕といえば、閉鎖された空間に関する句が多すぎたことで、選者に敬遠された所以か。


【11 蝉鳴くや】

競作応募作品の中では珍しい社会詠。昭和の戦争、目下の原発問題、それに孤独死等の現代における社会問題。これらテーマに照らしてみれば「向日葵」の句における「殺人者」という言葉の斡旋に賛成できるが、この言葉を生かすのには10句は少な過ぎたかも。「驟雨」・「金蝿」は、逆に、テーマを問わずに通用する。唯一残念なのは、過去の戦争詠、戦争想望詠、昭和期の社会詠と似た作りの句が多かった事。新たな社会詠を作るのは、なかなか難しい。


【12 情熱諸島】

読者に意味不明であろうがなかろうが、発想や取り合わせの面白さで詩を作り上げることに情熱を賭けている作者の姿勢が見えて好感が持てた。口語俳句で押し通しているのも内容に合っている。しかし、壮大な内容を五七五の定型に無理やり押し込んでしまったせいで表現に瑕のある作品が多い。自由律にしろとは言わないが、表現の最適化のためなら字余り、破調、五七五以外の韻律型(七七五とか七五七)等にも積極的にチャレンジしてほしかった。ちなみに、こういう作風の場合、読者の理解はどうせ得られないので、勝つためには句のインパクトが大事。「仏壇」・「ながれぼし」・「横綱」の句は合格。


【13 地球空洞説】

面白く読めた一連。まず題名が巧み。連作としての作りが良く、配列が計算されていて、一句目の「半ズボン」から読者を引き込み、うまい具合に地球の裏側に放り出し、最後の「端居して」で収める。連作としては強いが、一句一句の強さは最初と最後がベストで、中間が弱い気がする。ただし、(明らかに社会詠である「萬歳」・「個人情報」の句だけでなく)全ての句を社会詠として読みなおしてみれば中間の句も悪くない気がする。「アルピノがアルピノを喰」ったり、「誰かが」「落とし穴」を掘ったり、「生き埋めに」されたりする世の中である。


【14 だれにともなく】

力のある作者。題名になった「だれにともなく」の句は、その言葉が活きることで成功している。蝉時雨と黙祷の取合わせは普通なら失敗する。「幼ゆび」・「うつしよ」の句も独特で、類想があることにはあるが、巧く処理している気がする。しかし、類想そのままの「水馬」・「遠花火」・「採血」・「原爆忌」等は残念。


【15 夏の果】

ビートルズの曲や建物のビルも詠まれているが、全般的に古い印象。明治どころか、江戸時代でも普通にありそうな句が散見される。伝統性と古臭さは表裏一体であり、このような作風は決して悪いことではないが、何か独自の視点や把握を打ち出せないと月並や類句に陥る危険性が高い。その点、「空蝉」・「折鶴」・「遠くより」には可能性を感じる。


【16 ヴァカンス】

形而上の世界に果敢に挑戦しただけでも、(今大会では)高い評価に値する。形而上に踏み込んでいるといっても、九堂夜想よりはイメージが見えやすく、関悦史ほどにはペダンチックでない。いずれにせよ、こういった作風の句は、イメージのわかりやすさや描写の的確さで判断するのではなく、内容を含めて詩として成立するか否かで価値を判断したい。「発語して」・「イッヒ・ロマン」・「宵闇」・「ヴァカンス」等は佳品。「われも」や「空棚」のような句は、永田耕衣等に類想類句あり。あと、潰す、濁す、棄てられる、食われる、折り曲がる 崩ゆ等、劣化に繋がる行為がやや多すぎる気も。内容的には、全作品中一、二を争う。


【17 雨】

楽しく読めた口語連作。口語調と云うこともあり、俳句の骨法は押さえながらも季語や定型に捉われていないところが良い。雨というテーマ、独特の口語スタイルで10句をまとめたところも巧み。総合点は高い。「喧嘩した」・「雨降る」・「いろんなものが」等が印象深い。しかし、口語の面白さと勢いに任せ過ぎているきらいもあり、つまらない内容をオブラートで包んでいる句もある。例えば、「よほほと」・「嗚呼予想を」で、きちんと捨てたい。また、「バナナ腐る」や「手をつないで」は着想が面白いが、表現に推敲の余地あり。


【18 夏桃さん】

17番は雨だったが、18番は桃がテーマ。面白く読めた。当然、桃の必然性がある句とない句に分かれたが、前者は殆どの句が性の領域に留まっていて残念、後者は桃というキーワードが生かされていないので残念、とダブルでさびしい。「冷蔵庫」や「シンデレラ」の句のようなセンスの良さをもっと生かして、「ストッキング」・「半分に」のような詩情に乏しい句は捨てたい。蛇足だが、エロスの句が多かった割には、作中主体の性別がわかりづらい一連だった。「どぶ川に」は女性的な視点だが(男性でも成立する内容だが)、後半は(異性愛なら)肉食系男子の視点になっているからだ。さらに、後半の「白桃の」・「ストッキング」・「半分に」等はステレオタイプ的な男性の視点であって何かがおかしい。作者の性別はどちらでも良いが、性を主観的に扱う連作の場合、作中主体の性別や性的志向はわかりやすくしてほしい。そして、ステレオタイプ的でない方法で悪ぶってほしい。


【19 離味句素】

本歌取りや文体模倣を含むパロディーの一連。こういう場に出した試みは評価に値するが、結論的にはあまり成功していない。俳句という短い詩型では、あまりにも原句を変えてしまうとパロディーではなく、ただの別の句になってしまうからだ。原句が特殊な語彙を使っていてそれを残す場合、もしくは、原句が代表作とされている特殊な型や表現をそのまま使っている場合でないと成功しづらい。つまり、俳句のパロディーの場合、必要最小限の変更で最大の変化を生み出していることが望ましい。さらに、パロディーの句でも、鑑賞に堪えうる質も必要だ。「エレジー」・「鹿威し」は原句の「たとへば秋の」・「貫く○の如きもの」をそっくり残しているのでパロディーだとわかるが、ただの別の句になってしまっている句も多い。作品として一番良いと思うのは「エレジー」と「人間を」。


【20 晩夏】

カタカナ語の多さからわかるように、いずれも都会的な情景、都市における日常詠。王道の型がしっかりとできている作者。残念なのは、過半数の句は季語の斡旋が弱く、季語が容易に動くこと。動詞が動く句も多い。補修された「歌詞カード」や「輸入盤」といった素材の面白さや「モニターに映る花道」といった着眼点の良さをもっと押し出してほしい。


【21 行つたきり】

読者によって大きく評価が分かれる作品。今回の評は作者プロフィールを見ずに行っているのだが、この作品だけが例外。受賞作が21番だと知ってしまっているため、作者名もわかっている。しかし、結論は変わらない。21番は技術的には全作品中トップレベルであり、巧い句と思った句は沢山ありながらも、惹かれる句が一つもなかった。困った事である。助詞の使い方や韻律も優れていて大きな破綻がない。つまり、玉と石でいえば、石がない。おまけに「鳥飛ぶ仕組み」という表現など、よく考えたなぁ、と評者は思わず唸ってしまう。ただ、全体的に斡旋されている語彙が「綺麗寂び系」に属し、しかも内容も瑣事(濡れている蝉殻、雲の巣の水滴、朱鷺に吹く夕風、箱庭の舟の状態、等)に特化しているため、読者にはその繊細さを非常に高く評価する人もいれば、線が細すぎると感じてその詩情をあまり好まない人もいるだろう。京料理のようなものである。残念ながら、評者は後者であるが、あくまでも好き嫌いの話であり、作者の才能は紛れもない。


【22 あちら・こちら】

全体に詩情を感じる。この世での生の不確実性を感じさせる一連。「輪郭の」・「ちちははの」が特に佳吟。「花あやめ」・「箱庭に」等、いずれの句も一定レベルを越えている。技巧よりも内容で勝負しているところに好感が持てた。幽明という内容では、中村苑子や澁谷道などが知られていて、彼女たちと真っ向から勝負する事は厳しいが、また違った趣があるので、さらに独自の把握を開拓できれば案外勝負できる気もする。次回に期待。


【23 生簀】

何といっても「アッパッパ」が佳品。珍しい季語だが、代表作になり得る。面白がり過ぎているが、それが季語の響きに合っている。「プール」の句も面白い。二句とも季語が動かない。「三叉路」のようなお惚けの句も評価できる(霧は広範囲なものなので、三叉路の交差点が霧に包まれていれば、どの方向を見ても霧だろう)。残りの句は、表現に多少の瑕疵があったり、面白がり過ぎていたりするが、その辺も作者の持ち味である気もしてくる。素質を感じる。


【24 果実】

手練の作者という印象。玉石混淆なのが惜しい。「眼窩には」は珠玉。蜜柑の句などの比喩には改善の余地があるし、林檎や柘榴の句などにおける発想は類想的で弱い。また、テーマ性があるのは良かったが、他作品の雨や桃と違って、ただ色々な果実を季語として詠んでいるのが残念だった。形而上の概念を含めて、多方面から果実という題材に迫ってほしかった。


【25 暮れる】

「渦巻」・「海賊」・「魂」は鋭い把握があって秀逸。「引つかける」・「冬空」の奇想も悪くない。様々な文体を使っていることで連作としての効果を上げているが、一部の「蔓」の句等は表現に推敲の余地あり。


【26 全力】

ほんわかとした奇想と機智が持ち味か。「マスクして」・「蜘蛛潰す」・「十匹」などが典型で、楽しめる。しかし、負の言葉に頼りすぎている感もあり。俳人は負の言葉が好きな人種らしいが、殺す、叩いて、なし、消して、潰す、担がぬ、墓石、落ちて、お悔やみ、足りぬ、とか全句に当てはまると連作全体が陳腐化してしまい、句の魅力が伝わりにくくなる。


【27 三分の一】

決して家族詠を否定するわけではないが、家族詠は難しい。よほど特殊な体験をするか鋭い観察眼を持っていなければ類句類想に堕してしまうし、情も入りすぎてしまいやすい。そして、残念なことに、作者は家族詠の罠に陥ってしまっている。最初の八句は類想が多い。また、最後の二句はやや乱暴で、「前の持ち主」や「方位磁石」にもっと焦点を当てたい。否定的な事ばかり書いたが、作者の「俳句的育ち」の良さは評価する。句の作りは平明ながら真っ当であるし、切れ字もきちんと使っている。今後はもっと対象に踏み込んで、切り込んでほしい。


【28 夏の谺】

伝えたい事を適切に表現する上で、大幅に推敲してほしい。句の内容は殆ど理解できるが、きちんと伝わってこないもどかしさがある。ただ、「ラマダン」の句は好い。王道の型の中で言葉をつないだだけの単純な作りなのに、韻律も揃っているし、内容もただの報告以上に備えている。また、「冷酒」の句は「雲滑らせて空は坂」という認識が素晴らしいので、その認識に集中し、初五はばっさり捨ててしまいたい。「二万年」の句は、類想があることにはあるが、人の子ではなく、人以外の仔を詠んでいるので新鮮。


【29 尾行】

怪奇物。俳句は短い文芸なので、他ジャンルよりも饒舌になれない分、余計な事を言わずに読者の想像力に委ねる事ができ、ホラー向きである気がする。本作はそれを証明した感じ。但し、表現や内容がこなれていないため、怖さが中途半端になってしまい、怖いのか、悲しいのか、滑稽なのかわからない一連になってしまっている。その中で、「君の体」の句は、怖いのか、悲しいのか、滑稽なのかわからないながらも成功しているように思える。


【30 夜の果ての旅】

意欲的な作品。本歌取りといった手法も取り入れながら21世紀初頭の社会詠に挑んでいる。ただし、社会詠の常として、本作も玉石混淆。過激な語彙に振り回されていたり、手法があざとかったり、底が浅かったりする句が散見される一方、「殺むれば」のような珠玉もある。「シエスタ」・「心中」も面白い。


【31 春雷】

良い意味での「伝統」俳句を感じる。写生を中心とした花鳥諷詠の典型。しかし、こういう素材を詠んだ句は歴史的に非常に多いため、本作でも自然と類想類句との境界線上にある句が多く、例えば「ふたりとは」・「風雪」は類句の山があるので捨てるべき。また、「今がある」・「倒れてもおのれを曲げず」は境涯詠にしても直接的すぎて悪い意味で観念的。健康に良い「無農薬」だから形が「ひねくれている胡瓜」や公害のない「太古の空を取りもどす」という発想も上手く表現しないと道徳臭が出てきやすいので要注意。平明だが、「病葉」の句が一番好い。意外に類想が少ないし、写生に徹しているので観念や道徳に陥っていない。


【32 十点鐘】

有名挌闘家の忌日というテーマ性に敬服。人物を知れば知るほど忌日の名前の付け方が面白く感じられてくるし、忌日(という季語)以外の部分で人物へのオマージュになっている事がわかってくる。忌日俳句は、季語と季語以外の部分がべったりくっついていても大丈夫なので(普通の俳句は両者の距離を開いた方が良い)、理にかなっている。ただ、いくらべったりくっつくにしても、季語から容易に連想できる内容や(オマージュでなく)人物像そのものを付けるのは望ましくない。その点、「鉄人忌」・「軍曹忌」・「突貫忌」をはじめ、多くの句が失敗してしまっているのが惜しいし残念だ。逆に「翠玉忌」は上出来。2代目タイガーマスクである三沢の忌日と猫の取合わせは良い塩梅に思える。


【33 卯の花にほふ】

かなり作句に慣れた人だろう。しかし、類想の多い句ばかりで、物足りなさを感じる。4句から8句まで、それに10句目は、「卯の花」や「線香」のような品の良い句もあるが、いずれにも既視感がある。2句目、9句目は季語に難あり、というか季語以外の部分が平凡で余程の季語でないと救われない。1句目も季語に難あるが、「次男に妻のやうな嫁」が面白い。妻に行動か容姿が似ている嫁を次男が娶った、と読むとつまらないが、次男が自分の妻(たぶん次男の母親ではない後妻)を寝取っている、と読めば源氏物語のようで奥深い。ベストな句は「入道雲」。破天荒だが、成功してしまっている。


【34 御来迎】

現代では珍しい山岳俳句の一連。一種の手応えのようなものが感じられ、想像でなく、実景である気がする。こういう実景の山岳俳句で重要なのは、自分はこういうものを見ましたという報告でなく、読者の心を動かす圧巻の情景や細部を見据えた徹底的な写生。その点、「虹に呑まれて」は佳い。


週刊俳句「10句競作」第2回 結果発表

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