2011-10-30

『月天』第11号を読む 宮本佳世乃

【俳誌を読む】
自在かつヘン、だけど抱きしめたくなるような
『月天』第11号(2011年10月1日)を読む

宮本佳世


世の中には、自在なオトナとそうでないオトナがいます。

たまに寄せてもらっている「月天」のオトナたちは、自在かつヘン(いい意味で、ですよ)。大酒呑みが多いということは序の口で、カラオケや楽器ではセミプロみたいな人もいるし、いきなり大きい筆みたいなもので道路に文字を書きだす書道家もいます。席題句会を回文で出句する人もいるし、漫画家も、紫の服しか着ない人もいます。バレ句ばかり書いて笑っている人も、「いいか、世界はすべてウソなんだよ」と毎回教えてくれる人もいます。

句会ではみんなホントにうるさく、笑いながら句を作る。披講も何も、人びとがこんなにもよく笑う句会は他に見たことがありません。

酒蔵吟行の下見でいい気分になってみたり、旅に行ってみたり、12月には団体戦の俳句合戦をやったりして、世の中を遊びつくしているようなそんなオトナたちなのです。

 

さて、私が今回読んだのは、「句誌月天 第拾壱號」です。

まず、巻頭60句!振り子さん「みしりみしり」

  永き日の柱をさはりながらゆく

  抜いた草から熱い空気が出て来る

  大声のとどかぬ雨のかつぽう着

  月光の畳のへりを踏みにけり

  木の瘤に触れて荒々しくなりぬ

  グラジオラス倒れ袋小路である

振り子さんの句が、60句ならぶと圧倒されます。

一見、明晰判明。カンナや向日葵のように一本ですっくと立っている花のようです。でも良く読むと、何かを希求したり言葉を足しているかに見えて、自己をすり減らすことを目指しているかのように感じます。

言葉を自らの手から離れるか離れないかのところで浮かせている感じがあります。「永き日の柱」とか「抜いた草」とか名付けたところから論理性がでて、ひとつずつの関係が作られていく。

そしてその関係が未確定であるということ。未確定なのは、たぶん、存在しているもの全てなのでしょう。

 

他の24方の20句ずつを読んでいきます。書いてみたらすごく長くなっちゃいました。

小林苑をさん「露地」

  夕立闇ちよいとごめんくださいまし

  まぼろしの金魚ぱちやりと跳ね上がる

  突然に入道雲のどまんなか

全体的に小気味よい雰囲気が好きです。苑をさんの句は、格好いい。そのなかに、得体の知れない、笑ってしまうような怖さが潜んでいます。


槇さん「ウフフ」

  まだ敬語なれど鯛焼きはんぶんこ

  桃色のウフフ浮いてる蓮の池

はんぶんこしてくれる手先を見ているとドキドキします。それが鯛焼きなんて。どっちが頭を食べるかで、またドキドキします。


東人さん「司法書士」

  春の野に糖尿病がわかる本

  おとなしき畳の上の金魚かな

  練炭の焔かがやいてきて解散

句会で作られたのなら、大爆笑だったでしょね~。ちょっと、ずるいよね東人さんって。


井口栞さん「とさりとさり」

  夏山に向かい蒟蒻食うており

  秋麗島から島へ歩きけり

自らの身体を通したダイナミックな句柄です。健康ということが象徴的に詠まれているようです。


村田篠さん「鍵盤」

  ふはふはときて水になる蜻蛉かな

  人に会ひ別れるまでの春の服

  腰かけて桜の昼となりにけり

点を線に伸ばすのは「魚座調」なんでしょうか。篠さんの句は若干の不思議をはらんでいます。


中嶋いづるさん「マロングラッセ」

  聴力のありて案山子のうつむけり

  身の内に海の明るさコート脱ぐ

明るさも暗さも知っているような句群でした。読むときに、すこし姿勢を正しました。


啞々砂さん「空へ」

  澄む空へ大きな玻璃を磨き込む

  雪降ると届きしメール風邪の床

手が届きそうだけど、そこに行くまでにひとつ「何か」がある。少しナイーブでしょうか。


北村宗介さん「五月一日 於東京」

  瓦礫の下膨れしあおきアルバム

  瓦のごとき土塊剥がし一輪車押す

まさに20句連作。ヴォランティアセンターという言葉が出てきたり。連作の中からいくつか抜くことも憚られました。言葉の無駄がない、まっすぐな句群だと思いました。


かまちんさん「明日は明日の風が吹く」

  はにかんでやがて淋しき風信子

  木枯らしや鯨の化身という男

かまちんの句は実にかまちんらしい。いつもお会いするたびに歯がきれいだなぁと思っています。


小林暢夫さん「メタボ猫」

  出目金に見つめられてか猫坐る

  来る人へそっと団扇の風送る

ふっとしたやさしさ。しかも少しかわいらしくて。お年玉を多めにくれそうです。


阿形さん「野猿」

  河豚食いて長靴買いて山に入る

  鳥の目に朝露降りて魚の目

阿形さんの句には自然がたくさんある。地べたの匂いがいつもしている。うらやましい。


まり子さん「クレマチス」

  誰もかもどこか紫春立ちぬ

  陽だまりに父ある如くコートあり

どこか一歩ひいたような目線の句が多い。それにしても、誰もかもどこか紫とはなかなか言えないですよ。


井口吾郎さん「無臍忌勇む」

  酒飲みよ無臍忌勇む黄泉の袈裟

  貰うのにマフラーラフマニノフらも

回文魔王。ここでは抒情的な句を選びました。何かを信じているところが、句の強度を上げている。


遠藤治さん「ふたり」

  ミモザ咲く空のしきりに零れをり

  たましひの溢れてゐたるダリヤかな

少し遊んでいる句よりも、こういう句のほうがいいと思いました。抜けられない何かを感じます。


月犬さん「河をゆく」

  春の夜の耳のかたちのさだまらず

  父の日の大きな象を見にゆかむ

物体にぐっと近づいているようにみえて、そこに何らかの機微を感じる句群でした。まとまって読むと手堅さが際立って見えました。


西原天気さん「そのあたり」

  そのあたり紙の匂ひの走り梅雨

  氷屋がはたらけばそこらぢゆう光る

なぜかわからないけど、読者の身体感覚をとおして作っているように思えました。
とっても不思議な、まるでデジャブのような。


雪我狂流さん「あんぱんのへそ」

  桃色が離ればなれの雛あられ

  カステラの薄紙はがす蝶の昼

狂流さんは食べもの20句。甘いものが半分以上、おいしそうでキュート。 句にすこっしも無理がない。うらやましいな。


近藤十四郎さん「扇風機強」

  一の酉町は半身を埋めている

  春ゆきて包み紙やら破ればよろし

直接的な言葉として出てはいないけれど、何かを待っている俳句のような気がする。
さみしさを肯定しながら、そこにある。


桃児さん「猫と灰皿」

  猫退いて日溜りになる二月かな

  日めくりをめくり忘れて桜かな

言葉遣いが美しいと思う。特に桜の句にはうっとりするばかり。


貞華さん「札納」

  街頭に壊されてゆく五月雨

  左だけ汗の流れる運命線

一句目はさみだれとよみました。なんかぶつって切れた感じが良かったです。強さを感じます。


笠井亞子さん「鳥ら」

  箱庭を灯せば夜の来ていたり

  論客がふたり水羊羹ふたつ

どちらも質感がありありと、ぬめっと伝わってきます。全体からほどよいドライさを感じました。


長谷川裕さん「そろそろ来る」

  階がそのまま春の行き止まり

  石棺にきっと蛍の灯っている

  明日へ明日へ黙って座っている桃よ

裕さんと文通をしていたらコロッとだまされてしまいそうです。


斉田仁さん「激痛」

  渡り鳥数字に弱い妻と見る

  冬瓜と己の老いを持て余す

  短日の空気をつくる空気入れ

転んだりとか絶対しなさそうな仁さん。自在のかたまりみたいな句群。


烏鷺坊佐山哲郎さん「未生学」

  献体は蝶なり生れて翔ぶ前の

  母よ再度われを妊娠せよ焼野

寺山修司の芝居を見ているような感覚になりました。どれをみても、ああ、佐山さんの句だなぁ、と思う。

 

こうして改めて読むと、「月天」は、俳句がたくさん載っている俳句雑誌なのでした。
そうそう、誌内で4つの歌仙が巻いてあります。これも楽しいです。「どうだ、お前たちにはこんな楽しいことできねぇだろう」って、ガハハ、イヒヒとお酒を飲みながら笑っている妖怪たちの姿が見えました。

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