2011-12-18

俳枕12 龍安寺と高野素十 広渡敬雄

俳枕12 
龍安寺と高野素十 

広渡 敬雄

「青垣」19号より転載

龍安寺は洛西に位置し、金閣寺と仁和寺の間にある。

宝徳2年(1450)、足利管領の細川勝元が徳大寺家別荘を譲り受け建立した臨済宗妙心寺派の禅寺で、山門を入ると夏は睡蓮で名高い京都三大古池のひとつ「鏡容池」が広がる。

かつて本堂を兼ねていた方丈の前庭は、相阿弥作と伝わる枯山水の代表的庭園として知られ、油土塀に囲まれた細長い庭一面に白砂を敷き詰め、大小十五個の石を配し「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。見る者に様々な創造的想起を促す意味では前衛的芸術とも言える。

 方丈の大庇より春の蝶      高野素十
 この庭の遅日の石のいつまでも  高浜虚子
 此石に秋の光陰矢のごとし    川端茅舎
 寒庭に在る石更に省くべし    山口誓子
 石庭の石のひとつをめぐる雪   落合水尾
 睦みては拒み忘春の石十五    能村登四郎


「龍安寺」と前書きのある「春の蝶」の句は、「ホトトギス」昭和2年9月号初出(第八席)、素十の代表句として知られ、第一句集「初鴉」に収録されている。

「作者の深い瞑想を経た写生句で『春』の一字は細心にして大胆」(虚子)、「『春の』の措辞の調べを百誦して独自の感動を受け取ればよかろう」(山本健吉)「大庇からこぼれるように躍り出た蝶は、一白の眩しい春のいのちだ」(横澤放川)、「何と美しい言葉の流れだろう。それは、詩というより音楽に近い」(小林恭二)等々の鑑賞がある。重厚な暗い庇から現れた蝶に対する作者の心の躍動とその生命への慈しみが読み取れる佳句である。

高野素十は、明治26年(1893年)、茨城県北相馬郡山王村(現取手市)の農家に生まれた。新潟県長岡市の叔父の家から長岡中学に通い、旧制一高を経て東京帝大医学部に入学、法医学、血清学を専攻、同教室の水原秋櫻子の勧めで、大学卒業後に俳句を始める。

大正12年(1923)、三十歳で、虚子に師事、ちなみに俳号は、「素質十分」との意味で虚子が与えた。虚子の唱導する客観写生俳句を忠実に実践し、同15年に「ホトトギス」初巻頭後、昭和2~4年には年三回の巻頭で頭角を現わし、秋櫻子、青畝、誓子とともに「四S」と評され、「客観写生俳句」の旗手となった。

ドイツ留学後、新潟医科大学の教授となり、学長を最後に退官し、奈良医科大学に転じた。昭和32年に、「芹」を創刊主宰、倉田紘文(「蕗」主宰)等を育てた。

昭和22年、54歳の第一句集「初鴉」は、「磁石が鉄を吸ふ如く、自然は素十君の胸に飛び込んでくる。文字の無駄がなく、筆意は確かである。句に光があるが、これは人としての光であろう」との虚子絶賛の序がある。他に「雪片」「野花集」「素十全集」「素十全集別巻」の句集を残している。

昭和51年、83歳で逝去、墓は千葉県君津市鹿野山神野寺にある。

「素十は俳句という表現型式の本質、限界をもっとも正確に理解し、『言葉』によって生まれた風景を『写生』であるかのように作る。言わば『究極の写生』を実践した数少ない俳人」(山本左門)

「素十の俳句は近代的な意味でのリアリズムではなく、日本語の象徴機能を最大限活用したもので、ホトトギス俳句のたどり着いた頂点の一つ」(四ッ谷龍)

「素十俳句の底に流れているのは、実は『生のかなしみ』、そのかなしみに注ぐ慈愛の眼差しが素十の人間性を切に伝える。」(倉田紘文)

「素十の確かな目は、自然の一点を凝視する。見て見て見抜く眼の忍耐を持っている。が、自然の限られた一点は時にはトリヴィアリズムに堕ち、『草の芽俳句』と言われることもある。素十俳句には、『取り合わせ』による発想はなく、確かな目の働きには、自然の背後の生活的な翳は全く遮断されている。生活と芸術は全然二元的であり、その点芭蕉のような境涯俳人とは、反対の極に立つている。とまれ、素十の凝視による単純化の至芸は、抒情を拒否しながらも抒情を獲得しているとも言える。」(山本健吉)等々の多くの「素十評」がある。

素十の原風景は、筑波山山麓のの空っ風のなかに青む麦畑であろう。奇しくも「資質」に恵まれ、家業を弟に譲つて学問の道に進んだ故に、文芸たる俳句と生活は遮断せざるを得なかったのだろう。さらに幸少なき異父姉、母。「客観写生俳句の旗手」としての素十俳句の底に流れる「かなしみ」「慈愛」は、直弟子倉田紘文氏の弁に深く頷かざるを得ない。 

 百姓の血筋の吾に麦青む
 塵とりに凌霄の花と塵すこし
 また一人遠くの芦を刈りはじむ
 一瓣の疵つき開く辛夷かな
 朝顔の双葉のどこか濡れゐたる
 翅わつててんたう虫の飛びいづる
 雪片のつれ立ちてくる深空かな
 野に出れば人みなやさし桃の花
 大榾をかへせば裏は一面火
 端居してたゞ居る父の恐ろしき
 ひつぱれる糸まつすぐや甲虫
 四五枚の田の展けたる雪間かな
 春の月ありしところに梅雨の月
 空をゆく一とかたまりの花吹雪
 たんぽぽのサラダの話野の話
 片栗の一つの花の花盛り
 日輪の上を流るる冬の水
 草餅の少し固くて柔かし
 黒人の子の黒人や秋の風


付記

この「俳枕」を掲載した「青垣19号」を、直弟子である倉田紘文先生にお贈りしたところ、深謝の言葉とともに素十先生から直々にお聞きしたとして

俳号は花札でスカが16枚、その6を捨てて素十としたこと。
「方丈」の句は、初め「蝶一つ」でしたが、どうしても「春」を詠み込みたかった。

との謂れまで教えていただきました。

「方丈」の句の「春」の一字に対しての、虚子、山本健吉氏の絶賛ぶりに素十の「してやったり」との満面の笑みを見る思いもする。

また、俳号は、虚子の素十に対する期待感とともに、やや冷めて茶目っ気もある
素十の一面も垣間見えて興味深く拝見した。

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