2011-12-04

〔超新撰21を読む〕田島健一の一句 松尾清隆

〔超新撰21を読む〕
予言?
田島健一の一句……松尾清隆


白菜が祖母抱きしめて透きとおる  田島健一

この句を読んで先ず感じたのは、「白菜」と「祖母」の関係がふつうと逆転していることへの違和感。当初はただそれだけであった。

ここで作者自身のブログにある声のコンテンツ「はいくのじかん(2)7月18日 現代俳句協会青年部勉強会 二次会にて」からその発言を引いてみよう。

「俳句って、みんな写生っていう頭があるから、もう既に起こったこととかを詠もうとするじゃない。でも、起こりうることを詠むんだよ」

「大震災のあとに色んな句が出来るけど、あれはぜんぶ起こったことなんだよ。だから何か違和感があるわけよ。起こる前もそういう事ってあったはずだと思うの」

「起こる前と後で作る句が変わるっていうのは、そもそもそこにアプローチ出来てないということ」

(※居酒屋での会話を録音したものなのでこういう口調になっています)

改めて掲句を読んでみると、震災を境にわれわれが意識せざるとえなくなった、人間と自然とのパワーバランスの変化を事前に察知していたかのようである。作者自身のことばを借りれば、そこにアプローチ出来ていたということになろう。

短歌界では、穂村弘氏がちかい内容の発言をしている。「歌壇」11月号の鼎談「震災後の表現の行方」から引く。

「うーん。今は事後という意識なわけじゃないですか。だけど、何かの事前でも つねにあるわけで」

「塚本邦雄には戦争という絶対的な体験があって、第一歌集が戦後に出る。その時間というのは事後だよね。でも、そのときの大きな出来事を抱え込んでいて、 それを事前の文体に変えるというか。その後、生涯、今はこれから厄災が起きる戦前なんだということを言い続ける」

これを読むと、田島氏の発言もそれほど突飛なものではないと思える。最初に感じた違和は、日常や常識というものに対して作者が差し挟もうとしている違和感なのかも知れない。



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