2011-12-11

西一村 歌集「夏の鉄橋」を読む 瀬戸正洋

〔歌集を読む〕
西一村 歌集『夏の鉄橋』を読む

瀬戸正洋


西村(西一村)にはじめて会ったのは同人誌の合評会の席上、まだ、僕らが二十歳代の頃だ。同人の一人が高校の教師でその教え子だと言っていた。

彼と会うのは月に一度、年に数回、年に一度、数年に一度と少なくなっていった。彼は僕らの同人誌には一度も寄稿はせず、もっぱら自分達の「湘南文芸」に黙々と書いていた。彼の小説が掲載された「民主文学」を渡されたこともあった。この時、彼ははじめて原稿料を得た。

僕は歌人の西一村は何も知らない。この歌集を読みこれは西村の書く小説と何も変わらないと思った。彼の書く文字も昔と同じだ。文字を眺めると彼の性格が理解できる。原稿用紙の升目にきっちりと書かれた几帳面で律儀な文字。彼は正しく生きたいと願っているのだ。西村にとって正しく生きるとは自分自身を赤裸々に語ることだ。銀座を裸で歩く覚悟を持つということだ。だが、いくら赤裸々に語っても創作にはならない。

彼は三年前から酒を断ったという。十五歳の時から四十年間飲み続けていた酒を断つことが創作に繋がるという考え方が西村らしい。創作のために酒という人質を出したのである。西村の笑顔は悪くないと思う。一緒に酒を飲み不愉快な気持ちになったことは一度もない。それ故、僕の軽薄な言動によって彼は不愉快な目にあっているに違いない。彼はそんなことはおくびにも出さない。老妻は僕を叱る。「あなたの言葉、行いがどれだけ私を不愉快にしているか」と。毎日、言われると確かに自分でもそう思うようになる。

難聴と視力障害、跛行もありて七十歳を目前の母

金のことを言いたきらし遠まわしに口ごもる母電話の向こう

子に世話はかけたくないと言う母は独居の気楽さを折おり見する


老いてゆく母にも怠け心あり甘えもずるさも垣間見する余生


ひとり住む母にたべもの持ちてゆく臥りいる日の多きこのごろ


この母が生活保護費の中から遣り繰りをし、彼をキリスト教会の幼稚園に入れたのである。彼は小学生の頃は牛乳配達、中学生の頃は新聞販売所の二階に住み込み、家計を助けながら義務教育を終え進学した。特に四首目、この作品は心に沁みる。彼の代表作だと思う。子だからこそ、血が繋がっているからこそ感じてしまうのだ。そして、それはまさしく彼にとっては自画像なのである。

納屋の二階にひとり暮して十五年か声のしずかに鉦たたき棲む

自転車と酒の短歌ばかりと評さるよーし、みてろと酒飲んで寝る

ドブネズミ風呂場の蔶子の下に出てうろうろしておる何思いてか


歯形から小さき鼠も居るらしと石鹸見ながら風呂場に一人


寝ながらに自ら脈とることをいつから覚えしか我を訝る


したたかに酔うて自転車とばしたり気付けば家の門に来ており


赤錆びた自転車に乗りて夢ばかり心に描きて走る朝夕


僕と出会った頃からの彼の住まいだ。三十年近く住み続けている筈だ(「納屋の二階」の作品は平成十年)。平塚の農家の納屋の二階に暮らし、自転車に乗って街に出掛ける。彼にとって自転車は牛乳配達をしていた頃からの付き合いだ。

書き続けよ一作でも多く仕上げよと生前の師は口酸く言いたり

師の御骨は富士の裾野の五年間無料墓地の後は散骨と聞けり


或る日わが励まされし言葉また思う電車に乗りて小田原に来ぬ


何ゆえに北条幻庵長綱を尊びしか小田原へ行くたび師を我は思いき


淋しくとも飲み過ぎるなと言い残しこの世を去りし師を思う夜


西村の小説の師は田中章恵だ。その頃、大磯の骨董屋の二階に住んでいたと記憶している。彼は、自転車で平塚から師の住む大磯へと通ったのだ。彼は田中章恵と出会った後、文学賞の候補に名前が出るようになった。合評会が終わり誰かが「帰宅後、読みたい本がある場合、読むべきなのか、書くべきなのか」などと間抜けな質問をした時「書くに決まっているだろう」と言った。そんなことも、全て酒の中での思い出だ。

おからまで産業廃棄物だという何かおかしくないのかこの日本

人間にほんらい「組」など要るものか勝ち組・負け組うさんくさき世


僕ならば「これは産業廃棄物なんだ」と、へらへら笑いながら食べるし、僕の人生など「負け組」に決まっていると居直る。振り返ってみれば自分自身でも馬鹿馬鹿しく下らない人生だ。「勝ち組」であろう筈がないし、羨ましいなどとは死んでも思わない。僕は逃げまくって生きて来た。気力を振り絞って死ぬまで逃げ延びたいと心底願っている。

だが、西村は違う。彼の短歌を読むと僕は自己嫌悪に陥る。裏通りの赤い提灯が夜風に揺れているのを見ると吸い込まれてしまうのである。僕らは酒を交えずに会ったことが一度もない。平塚紅谷町の居酒屋で安酒をあおりふらふらと歩いていた時、舗道のベンチの年老いた浮浪者が、何かぶつぶつ呟いていた。西村は、その男に挨拶をする。「知り合いか」と僕が尋ねると「うん、彼は哲学者なんだ」と西村は答えた。

きょうも酒あすも酒またあさってもどこまでも酒に逃げるわれかな

酔わないと眠れぬこの身になりて久し月高くあり水のごとき空

輪廻あらばその輪をどこかで断ち切りて二度と生れてきたくなきわれ


わが心に脆弱、怠惰の多かりき手術せん血は噴き出さんとも


炎天の舗道を渡るみみずありて干涸びつつも意思あるごとく


書くものの一枚も書けぬ日のありて気持ちばかりが焦りておりぬ


短歌の師である橋本喜典氏は「跋-課題、山のごとし」の中で

なんとなく上手い短歌が多かれど下手でも味こそが大事ではないか というような歌には私は少なからず危惧を抱く。「味」とはあじわい、情趣といった意味であろうが、「下手でも」よいということばは、どん底から少しでも這い上がろうとする人には使ってほしくないことばだ。いかに表現するかは、何を表現するかとともに表現者の最初にして最後の問題である。どんなにくらい内容を詠んでも、うっとうしい、やり切れないような暗さを感じさせない歌、それは「下手」であっては到底不可能なことだ。一村さんの、大きな課題であろう

と書く。この指摘は彼自身も気付いていなかったことだと思う。むしろ、自分にとっての長所だと思っていたのかも知れない。西村は良い師に巡り会えたのだ。歌集『夏の鉄橋』何度も読み返したが、彼は偉くなったと思う。西にあるひとつの村とは西方浄土のことだ。自分自身を赤裸々に語り尽した後、彼は辿り着くことができるのだろうか。


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