〔週俳12月の俳句を読む〕
十二月のプレゼント!
馬場龍吉
十二月はすでに過ぎ去っているので、週刊俳句でプレゼントがあるとは誰も思わないだろうから安心してタイトルに使ったのだが、ただでさえ忙しいこの時期に創作をまとめてくれた作家諸氏からのプレゼントに乾杯だ。
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椅子に老人窓に青年クリスマス 原 雅子
「目のつけどころがシャープです」と言うべきだろう。掲句はあくまでも「老人に椅子青年に窓」とは言っていないのである。老人の椅子は過去であり、青年の窓は未来なのだ。主はモノであり、従は人である。モノに託すと言う俳句の骨子の強さがここにはある。聖樹を囲む人々の胸の内にあるものをモノが表しているのだ。
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枯原の中の灯台ならば抱く 高勢祥子
言葉に男コトバと女コトバがあるとすれば、明らかに男コトバで語られている。のだが、ここには苛められて泣いている子供を抱くような母性を感じる。岬ににょっぽりと立つ灯台はそういう意味で母性の対象となるような気もするのだ。灯台のあの高さから言って子供ではなくオトコのような気もするが。
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オリオンを待つ非常口全開し 渋川京子
非常口と言うからには家屋と言うより施設などのビルであろう。不思議だが、たいていは非常口が入口と出口になっているので敢えて非常口とことわらなくても良さそうなものだが。オリオン座はどんな星座オンチであっても北斗七星と同じくらいに見上げた記憶があるはずだ。ここではオリオンそのものよりも待っている時間の余白と期待感を感じる。
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歩道橋より氷海を見下ろせる 山田露結
氷海の見られるところと言うと限られるなーと思いつつ。歩道橋(日常)から氷海(非日常)を眺めているのではないだろうか。これが流氷であれば氷の軋む音も聞こえてくるのだろうが、氷海の向うは何も聞こえない無音の世界、白日夢の世界だ。
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すみずみへ光を撒きて掃納 阪西敦子
日々に掃除をする人と、まとめて掃除をする人のどちらが合理的かと言うと、それはまとめてやるほうが合理的に決まっている。しかし、清潔感を保つにはやはり毎日の掃除が欠かせない。「すみずみ」と言うとアッケラカンとして隅々が見える部屋だろうから光も隅々へ行き渡りそうだ。「光を撒く」に俳人の眼差しが光る。
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洗面器湯船の柚子に当たりけり 小野あらた
湯船からお湯を汲み出す洗面器に柚子がぶつかる。家族に付き合って湯当たりもいいところだろう柚子は洗面器に乗って出たいのかもしれない。何気なく気付いたことを俳句にする。こういうタダゴトにも詩は宿る。
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はるばると涸滝に来てしまうかな 岡野泰輔
凍滝を期待して来てみると、涸滝に遭遇したと言うことなのだが、「はるばると」にその残念さがうかがえる。涸滝は関東、西日本で見られるが、東日本にはあてはまらないとは思うのだが。
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三島忌の吊り輪鉄棒床運動 太田うさぎ
文学から急に肉体の筋肉美に目覚めた三島由紀夫を想うと、掲句の体操の小道具に人格を見るような気がしなくもない。何事もほどほどがいいのだが、こと俳句となるとほどほどどころか生き甲斐にしている人も少なくはない。
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いろいろな湯気の混じれる冬の雨 津久井健之
「湯気立つ」で冬の季語だが、ここでは湯気のみなのでストレートに「冬の雨」を持ってきたのかもしれない。冬の湯気の存在は心までもあたたかくしてくれる。湯気と雨は同質だが混じることのない水分同士だから、まじったと見えるのは交差しているだけに過ぎないのだろう。だが見た目では交差と言うよりたしかに混じり合っているのだ。俳句はそれでいい。
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