金原まさ子断章
私達はなぜ眠るのか──睡眠は21世紀に残された謎の一つ──ネズミを眠らせないでおくと二、 三週間で死んでしまう。では眠っている間、脳は何をしているか──記憶の整理や増強、消去などが行われているという。
将来モニターにそれら一切が映し出される日が来るかも。音声付きで。ところでスペインではモルヒネは駄目で、マリファナはよろしいというのは本当でしょうか。
「音声付きで」(「らんno.56」2012)
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(…)俳句はこの後も咽喉に刺さった小骨のように私を刺激しつづけるでしょう。一読安らぐ句を作りたいと思いつつ、また一読身ぬちを貫くような句を書きたいとも思います。この思いは壮年で逝った娘の夫を偲ぶとき、幼く死なせた私の長男を哀れと思うとき深増さるのです。
句集『冬の花』あとがき(1984)
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米寿とか古稀とか云うのはまうやめませう私達と思っていましたのに私がその米寿になってしまいました米寿。
それはさておき、森茉莉はその晩年「魔利のひとりごと」の中で御自分のことをこのように書いています。
「(私は)馬鹿げて楽天的に出来ていて、ふと星の煌めく空を見上げて、天からお札が降って来たら素晴らしかろうと想ったり、英国の女王か、英国の貴族のお爺さんから、茉莉さんに贈る、という黄金色(きんいろ)に輝く紋章入りの手紙つきで、大きな宝石が送られてくるような幸福がどこかにあるような、そんな奇妙な想いを胸に抱くこともあるのである。」
文中「お爺さん」と限定する所がおかしくてかなしいのですが、私もほんの少しそのような気分の人間であるらしく、たとえば夜中ふと目覚めて憑かれたように机の前に座ると自分の意志とは関係なく指がひとりでに動いて珠玉のような俳句が生まれつづけると好いなと思ったり、凄い小説が五百枚位一夜で書けないものだろうかと祈るような気持で考えることがあるのです。これはひみつですが、かつて昼間ひとりでゐる時ひそかにスプーンを撫ぜて努力したことがありました。駄目でしたやっぱり。そういう馬鹿げた私ですからおのづから俳句もその気配が濃いです。
(…)
現在俳句は私にとって身近な存在ですがいつの日か、遠くで明滅するともしびのようなものになるのかと想い、その日まで熱烈に書きつづけてゆきたいと思っています。
句集『弾語り』あとがき(1999)
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