小川春休
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波多野爽波、波多野爽波。波多野爽波という名前、波に始まり、波に終わる。しかも「爽」の一字を含む。そして、主宰誌の名は「青」。風早翔太か波多野爽波かと言うくらい、爽やかな、颯爽としたイメージを持つ名前。
そういえば先日、本稿の題について、松本てふこさんから「朝ってなんか、必然だなあ、と思ってます」とのお言葉を頂戴し、地味に喜んでいます。
さて、引き続き第一句集『鋪道の花』、まだ半分も来ていません。今回は昭和20年から22年の句。一句目、戦争終わってすぐの冬です。WAR IS OVER!
家々と冬菜畠に比叡聳え 『鋪道の花』(以下同)
何の説明も必要なさそうな句だが、中七の「に」に注目して味わうと、冒し難い威厳を備えながらも、家々や畠を見守ってくれているような、そんな表情の比叡山が浮かんでくる。離れているものを句の中でどのようにつなぐか、それが「に」一文字の働きにかかっている。
掃除しに上る二階や冬の雨
句の中の「現在」、この二階はほとんど利用されていないのであろう。かと言って全く放っておく訳にもいかないので、掃除だけは欠かさずにしている。外はといえば冬の雨、あまり使われていない部屋の空気は、何とも寄り付く島のない冷たさで静まり返っている。
滴りに横よりとべる滴あり
「滴り」とは何か。季語としての本意は何かという問いへの答えになり得る句。つまりそれは、簡単に言うと、上から下への水の運動なのである。そこに別の滴りが何かに弾けて横から飛んでくる。一句全体が、水の運動だけで成り立っている。その純粋な躍動感!
片づけし部屋に昼寝の枕置く
「母急逝」と前書のある一連の中の一句と思われる。綺麗に片付けられた部屋、床は畳だろうか、そこに枕だけあれば昼寝には事足りる。しかし前書を思うと、片づけるという意味自体が重みを増してくる。片付けられた部屋の広がりも、心中の喪失感と響き合う。
爽かに洋館を置く松の中
青々とした松林の中の洋館。句中の言葉は、そのほとんどが、洋館を在らしめるために費やされている。「爽か」から、白っぽい外観を想像する。さらに「置く」、松林の雰囲気からは幾分遊離した、人工物らしい人工物としての洋館の佇まいを浮き上がらせている。
瀧見えて瀧見る人も見えてきし
大きな音を立てる瀧の方へと歩みを進める。まず瀧の威容が見え、そのほとりに瀧見の人を発見して、瀧見の人同士、自然な親しみを覚える。去来の〈岩鼻やここにもひとり月の客〉に通じる所の少しある句だが、掲句のクリアな遠近感は爽波ならではのものだ。
春宵を番台にただ坐りをり
こんな春宵の過ごし方、一遍してみたいよなぁ、と素直に憧れる。無粋ながら技術的な話をすると、「ただ」の二文字で、番台の人の在り様から辺りの雰囲気までも伝える言葉の働きが素晴らしい。そういう言葉の冴えが、句に溶け込んでいて目立たないのも良い。
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2012-02-12
朝の爽波 4 小川春休
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