【不定期連載】 牛の歳時記 第6回 春眠 鈴木牛後 足投げだし両手を捨てて春眠す 金子兜太
春眠 「春眠暁を覚えず…」と唐の孟浩然の詩にあり、春の夜、曙の眠り心地のよさは格別のものである。(講談社日本大歳時記)春眠と牛の取り合わせの句は見つけることができなかった。牛の鷹揚な雰囲気は春眠と相性がいいように思うが、近すぎることを嫌ったためだろうか。代わりと言ってはなんだが、掲句を挙げさせてもらった。 よほど気持ちのよい春眠なのだろう。今の言葉で言えば「爆睡」といったところか。冬は寒さに蒲団にしがみつくようにして眠らなければならないが、暖かくなって思う存分手足を伸ばしているのだ。大仰な表現が鼻につかず、むしろ気持ちが良い。 さて、実は牛はあまり眠らない。 牛には、何となくのんびりしたイメージがあるが、家畜としての牛とて、元来は被捕食者であった草食動物なのだ。常に肉食動物に狙われていたころの記憶は深く遺伝子に刻まれているのだろう。ある研究によれば、牛の睡眠時間は1日に3、4時間とのこと。しかもそのうち、深い眠りであるノンレム睡眠は20分程度であるらしい。 牛のノンレム睡眠は、人間がいない夜中などに起こることが多いらしく、ほとんど観察することができない。眼を瞑っているのを見かけることさえ稀なことだ。半分眼を瞑っていても、人間が近くに行くとすぐに眼を開いてしまう。そんなに緊張しなくても、誰もとって食ったりしないのに。 だが、牛にもやはり個性というものがあって、たまにはよく眠る牛もいる。写真の牛などはそうだ。眼を瞑っている牛を見かけることはあっても、ここまでくつろぐ牛は滅多にいないのではないかと思う。このような姿を見かけると、思わず頬が緩んでしまう。このような牛は野生ではまっさきに虎などに食われてしまうのだろうが…。 ところで、牛のノンレム睡眠の発現時間は、牛のリラックス度と相関関係があるとも言われている。いくら牛が寒さに強いといっても、冬の厳しい寒さの下では、常にある程度のストレスがかかっていただろう。そんな冬が終わり、春の日差しが牛舎に射し込むようになれば、牛もリラックスして春眠を満喫しているに違いない。と言っても、せいぜい一日数十分のことではあるが。 余談だが、写真の牛は赤白斑のホルスタインである。赤白斑は黒白斑に対して遺伝的に劣性であるためかなり珍しい。我が農場でも、60数頭のうち2頭しかいない。このぼんやりした斑紋の色も、まさに春眠に相応しいような気がするがいかがだろうか。 角の無き牛春眠のまろきかな 牛後 ●
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